【育ち合うために】第1話:好きを譲らない人生を。大人も子どもも、大事にされるべき人だから
編集スタッフ 岡本
ママ、今日はほんとうにいい1日だったねえ。
夜ベッドに入って薄暗いなか息子と話していると、たまにこんなご褒美みたいな言葉をくれる時があります。
ああ、そんなふうに思ってくれてよかったとホッとすると同時に、母になってからのこの5年、自分自身に「今日は花丸をあげよう」と思いながら眠りについた日はどれくらいあったでしょうか。
あんなふうに叱るべきじゃなかったかも、子どもの話ちゃんと聞けてたかな。親としての振る舞いに自信が持てたことなんてまだ一度もないような気がします。子育てに正解はないって言うけれど、でもやっぱり自分の解釈だけでは不安を覚えてしまうのです。
これから先の5年も、またその先の日々も、私が私らしく子どもと向き合いながら、健やかに暮らしていけたら。そんな思いで手に取ったのが、保育者歴50年・自主幼稚園「りんごの木」を主宰する柴田愛子(しばたあいこ)さんの本でした。
子育ての中で感じる行き場のない不安や、理解しがたい子どもの言動に対して、新たな視点を与えてくれたいくつもの言葉たち。柴田さんが見てきた子どもの世界をのぞいてみたくて、りんごの木にお邪魔してきました。
全3話を通して、子どもとその周りにいる大人たちについて考える特集です。
馴染めなかった小学校。でも家にはちゃんと居場所があった
取材に伺ったのは、太陽が燦々と照りつける7月のとある猛暑日。「いやになるくらい暑いわね。でもみんな水遊びの真っ最中ですごいかわいいわよ〜。ほら見て」と、さっそく庭に案内してくれました。水に浮かぶおもちゃはペットボトルやお玉など、身近な生活用品ばかり。あれこれ上手に組み合わせながら遊ぶ子どもたちの様子から、体と頭をめいいっぱい使っていることが伝わってきます。
いきいきと駆け回る子どもたちを横目に、まずは柴田さん自身のことから聞いてみました。
柴田さん:
「私は5人きょうだいの末っ子でね、生まれた時から騒々しい日常のなかで育ってきました。自宅での出産だったから『赤ちゃんが生まれるよ!』という声を聞いた近所の人も集まって、大勢に囲まれながら生まれたみたいです。
今と違って、人と人の垣根が低い時代。裏に住んでいるおばちゃんにおむつを替えてもらったり、思春期の頃は家に行って話を聞いてもらったりしていましたね」
たくさんの人に見守られながら誕生した柴田さん。りんごの木で子どもや保育者たちに囲まれながら笑っている現在の姿を見て、どこか通じるものを感じます。
柴田さん:
「3歳差のきょうだいたちと家ではのびのび過ごしていたけれど、小学校にはなかなか馴染めなくて、静かに座っている時間が長かったの。6年間で自分から手を挙げたのは、2〜3回だったかしら。でも振り返ると、サナギの時期だったんだなと思いますね。
サナギってじっとしていて動かないけれど、中では着々と飛び立つ準備をしています。おとなしい子でも人見知りでも、ぼーっとしているわけじゃない。その子なりにちゃんと感じ取って羽ばたく時を見計らっているんですよね」
柴田さん:
「学校に対して気持ちが向いていないから、忘れ物も遅刻もしょっちゅう。いよいよ母が呼び出された日、ドキドキしながら『先生なんて言ってた?』と聞いても『気にするようなことじゃない』って私には話さなかったんです。
学校や地域、家庭などそれぞれ異なる価値観のなかで子育てしていると思うけれど、外での価値観を家庭にまで持ち込まれたら子どもは逃げ場がありません。
その時の母の言葉を思い出すたびに、守られていたんだなと思いますね」
好きを譲らなかった母
20歳で結婚した両親は、二人とも常識にこだわらない考えの持ち主だったそう。きょうだい間にもその空気が漂っていて、末っ子という立ち位置を意識したことがなかったと話します。
柴田さん:
「うちは『お兄ちゃんお姉ちゃん』という呼び方をしていなくて、いつも名前で呼び合っていました。だからなのか一番上の兄とは12歳離れているけれど、きょうだいみんな対等な関係だったし、それは父や母にも通じるものがあって。
威厳のある父の言うことを聞く、というよりも、家族同士一緒に育ち合おうという気持ちをお互いに持っていました。親だから偉いとか、子どもだから大切にされるべきっていうことではない。
社会の原点ともいえる家族間で、立場に関係なくどんな人も大事であるという意識を持って関わり合えたのは、ありがたかったなあと思います」
柴田さん:
「幼少期の頃の母親について今でも覚えているのが、毎月必ず『民藝に行ってきます』と行って出かける姿。私は末っ子なのを理由にどこにでも着いて行く子だったけれど、その時だけは母のオーラが違って、連れて行ってとは言えなくってね。
でも18歳になったあるとき、『今日は民藝に一緒に行こう』って誘ってくれたんです。わくわくしながら着いていくと、そこは劇団民藝の舞台でした。
扱うテーマもお芝居も硬派な内容だったので、これは母からのメッセージだと受けとって真剣に観劇しましたね。それからというもの、97歳で亡くなる数年前まで、毎月一緒に民藝に通うのが習慣だったんですよ」
柴田さん:
「そんな母は『好きなことがひとつあれば生きていける』と、何度も口にしていました。
5人も子どもを育てて大変だったと思うけれど、母も観劇という自分の好きを譲らなかった。そのことが母自身の人生の軸をぶらさなかった理由になっていたのかなと、今になって思うんです。
だから今子育てをしているお母さんたちにも、『好きなことを大切にして。自分の人生を譲らないでね』と話しています」
好きなことってどうやったら見つかりますか?という問いには、色んなことに触れるとヒントがもらえるんじゃないかしら、と教えてくれました。それに大層なことじゃなくて構わないとも。
お酒が好きとかファッションが好きとか、あなたがワクワクして本音や感性を取り戻せることならなんだっていい。その言葉を聞いて、私の中にある小さな好きをないがしろにせず、目を向けてあげる時間を作ってみよう、久々にそんなふうに思えた気がします。
21歳で保育の世界へ。やりがいと戸惑いの日々
柴田さんが初めて子どもに興味を持ったきっかけをお聞きすると、16歳のときに誕生した姪の話をしてくれました。
柴田さん:
「同居していた姉夫婦に赤ちゃんが生まれたの。でも未熟児でね、生まれたばかりのときは小さくて、赤ちゃんてこんななの?とびっくりしました。3ヶ月保育器に入ってようやく家に帰ってきたときは嬉しくて嬉しくて。この小さい体に生きる力が満ち溢れている、子どもってすごい!って心底感動しましたね」
ともに暮らしながら、立てるようになったり話すようになったり、成長する様子を目の当たりにしてますます子どもへの関心を深めていく日々。これからも見守りたいという思いから、姪が幼稚園に入るタイミングで柴田さん自身も同じ園に保育者として勤めることになります。
21歳で保育の世界に出会うと、やりがいを感じるとともに戸惑いや迷いも抱くようになっていったのだそう。
柴田さん:
「それまで見ていた生まれてからの数年は、その子のペースで成長していくのを見ているのがただただ楽しかった。でも幼稚園からは『どう育てるか』っていう大人側の意思が子どもに反映されるようになることに、現場に出て初めて気付いたんです。
その園での考えだけでは不安で、いくつもの研究会に所属して幼児教育について勉強したんだけれど、あまりにも多種多様で余計に混乱してしまってね。知れば知るほどに苦しくなって、一度保育の世界から離れることに決めました」
子ども自身がどう育とうとしているか
幼稚園を離れたのち、半年ほど事務職を経験。その後、保育雑誌の編集に携わり、全国の幼児教育の場へ取材に訪れました。すると頭によぎるのは「自分だったらこうしたいな」という子どもがのびのび育つ環境に対する強い思い。
拭いきれない好奇心がふたたび湧き上がり、27歳で保育の現場に復帰しました。
柴田さん:
「研究会で学んだり、あらゆる幼稚園や保育園を見て回ったりしてどう育てるかに答えはないということが分かりました。それよりも私が知りたいのは、子ども自身がどう育とうとしているかっていうこと。
もっと子ども一人一人のことを知りたいと思って、私立幼稚園に5年勤めたのち、34歳で『りんごの木』をつくりました」
どう育てるかではなくて、どう育とうとしているか。書籍にもあるこの言葉を見たとき、子ども自身のことなのにいかに大人目線で息子や娘を見ていたかを痛感しました。子どもも大人も、それぞれの人生を生きる同じように大切な存在。当たり前のことなのに言われてハッとした自分に驚きです。
第2話では、「子どもの心に添う」を基本姿勢としたりんごの木の誕生から、50年間のなかで柴田さんが目にしてきた子どもの世界についてお届けします。
(つづく)
【写真】馬場わかな
もくじ
柴田愛子
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