【あの人の生き方】前編:30代後半の「今しかない」。一人で旅したポルトガルと、愛が詰まった手書きのノート

編集スタッフ 津田

のんびりした空気が漂う駅前を抜けて、土手を歩くこと15分。大きな川のある町に、ポルトガル料理研究家の馬田草織(ばだ・さおり)さんは住んでいます。

よく晴れた秋の昼下がり。馬田さんは、玄関扉を開けると「いらっしゃーい!」とたっぷりの笑顔で、私たちを出迎えてくれました。

今回のインタビュー特集は「あの人の生き方」がテーマです。人生100年時代と言われる今、自分らしく生きていくためのヒントを探して、さまざまな方の「今まで」と「これから」をお聞きしています。馬田さん編は全2話でお届けします。

 

どうしてポルトガル?と、よく聞かれるんです(笑)

文筆家であり、ポルトガル料理研究家の馬田さん。フリーランスとして食と旅を軸に、雑誌や書籍などで取材執筆をする一方、プライベートでは「思春期真っ盛り」の中学生の娘と二人暮らし。

そんな馬田さんが主宰する「ポルトガル食堂」は、自宅でポルトガルの料理とワインを紹介しながら、みんなで楽しく気軽に、食べて飲んでおしゃべりする会。インスタグラムで募集すると、たちまち満席になるほどの人気ぶりです。

一体どんなきっかけでポルトガル?とお聞きすると、時計をチラリと見て「時間はありますもんね」と、ポットにたっぷりのお茶を用意して、大学時代の思い出から話し始めてくれました。

馬田さん:
「卒業旅行で1ヶ月ほどかけて、興味のあったイタリアやスペインを周り、最後に日本から留学中の友人がいるリスボン*も近いから、数日ほど滞在することにしたんです。

当時はまだメールがなくて文通でね。彼女の手紙にあったのは女子大生らしいたわいない話ばかり。でも時々、街のことが書かれてて、何もなくて地味だけどいいところだというのです」

*…ポルトガルの首都

▲卒業旅行のお土産で買ったアヒルのランプ。タオルでぐるぐる巻きにして大切に持ち帰った

だからポルトガルは旅の「おまけ」。スペインからの長旅の列車を降りると、リスボンは首都の駅なのに薄暗くて、ガラーンとしていて、寂しくて、本当に何にもない!と思った、と笑います。

馬田さん:
「そんな中、強烈に印象に残ったのが、彼女と食べたごはんでした。すごく美味しかったんです。

パンは100円、ワインは200〜300円くらい。チーズはたしか100円しなかったと思います。庶民の食べるものが充実していて、繁華街も観光向けに開発されていなくて、ヨーロッパなのに絶妙にゆるい空気が流れている。けっこう居心地がいいところだな、と感じたんですよね。かといって、すぐに自分の仕事に繋がることはありませんでしたけれど」

 

30代半ばで「あ、あの時の!」と閃いた

大学卒業後は、出版社に勤めることになりました。月刊女性誌の食ページを担当し、料理家やシェフの方々を取材し、ライターさんと一緒に誌面をつくる日々に奮闘します。

30代半ばで独立。編集部での経験から、食や旅を軸に雑誌で仕事をしていこうと考えて、『料理王国』、『料理通信』、『dancyu』などで取材執筆を重ねます。

馬田さん:
「当時はまだ雑誌に勢いがあって、仕事はとても楽しかったです。

その一方で、フリーランスとして、自分の仕事をどう作っていこうか考えていました。料理王国の編集長から『フリーでやるなら一冊、自分の名前で本を書いた方がいいよ』と勧められたこともあって、色々テーマを模索していましたね。

当時はイタリアの南部をよく旅していたので、イタリアの料理やワインもいいかなと思ったけれど、日本のみならず、イタリアに住みながら、シェフやレストランや家庭料理などを取材している人もいたので、今更自分がやってもなぁと。

そんなとき、『はっ! あの時のポルトガル!』と閃きました。あの “地味な国” は、今どうしてるんだろうと気になり、調べてみることにしたんです」

 

20年かけて丁寧に作られた本に出会って

ポルトガルの郷土料理を調べようと、馬田さんが連絡したのは在日ポルトガル大使館。そこで一冊の本に出会ったことが、その後の人生を大きく変えました。

1982年に出版された、300ページ以上、厚さ3センチ近くもある図鑑のような料理本です。

馬田さん:
「著者はポルトガル中から何千という郷土料理のレシピを集め、それらを実際につくりながら、最終的に約800のレシピに絞って掲載したそう。しかも20年もかけて! 私もレシピを取材する仕事をしていたので、その年月と数にびっくり仰天でした。

写真もたっぷりで、料理やお菓子はもちろん、活気のある魚市場の様子、昔ながらのキッチン、腸詰めを作る女性達など、その風景にも惹かれました。私も実際に見てみたい、現地で食べてみたいと思うものがたくさんあったのです」

馬田さん:
「これは絶対いける!と思い、勢いのまま、料理王国の編集長に企画書を出すと、『面白そうだけど、原稿料しか出せないよ』と言われてしまいまして。

旅費をどうしようと思っていたら、ちょうど取材期間に開催されるワインイベントがあるという情報をつかみ、その主催者に連絡して、ジャーナリストとして招待してもらい、無事に渡航できることになりました。

それが『ポルトガル食図鑑』という、8ページ分のルポルタージュになりました(『料理王国』2006年8月号)。

すっかり魅了されましたね。まだまだ、あそこには食べたいもの、見てみたいものがあると思い、結局その1年で三度もポルトガルを訪れるほど本格的にハマっていきました」

 

もう一度、ポルトガルへ行きたい!

日本にいても、何をしていても、ポルトガルへの想いはふくらむばかり。けれども料理王国の記事の後、仕事につながることはなかなか叶わないまま、月日が流れていました。

馬田さん:
「悶々としていたんでしょうね。その頃は結婚したばかりで、子どももまだいなくて、1ヶ月くらいまとまった日数で取材に行くなら今しかないと思いました。

何に載るとかないし、ギャラも出ないのだけど、もう自分で自分に仕事を発注すると思えばいいんだと、あの本を読み解きながらポルトガルの家庭料理や郷土料理を訪ねる旅をしようと、渡航を決めました」

カメラマンは雇わず、自腹で一眼レフを買って勉強し、通訳は大事なところだけ入れる。そんな一人きりの取材旅です。

前回お世話になったコーディネーターさんに紹介してもらったり、自分からFAXで取材を申し込んだり、ここぞと気になっていた食堂やレストランを回りました。一軒につき、数日から一週間ほど滞在し、中には、従業員が寝泊まりするところに一緒に泊まらせてもらうこともあったそう。

馬田さん:
「1ヶ月かけて、北から南までポルトガルの食を訪ねてまわったとき『おいしいものは食堂にある』と感じました。星がいくつとかではない。そして、ポルトガルという国全体が食堂みたいだな、とも。

その後、自分用に、写真を貼り付けて走り書きのメモを添えた取材ノートを作っていたのがきっかけになり、書籍を出せることになりました。それが『ようこそポルトガル食堂へ』です。ホテルのロビーでWi-Fiを繋げて、決まりましたとメールが届いたときは嬉しかったな〜」

 

手書きのノートは、愛のかたまり

その時のノートがこちら。なぜでしょう、ページをめくるほどに胸がいっぱいになってきます。

今年39歳になった私。それと同じくらいの年齢の馬田さんが、今しかないと一人で取材に出かけ、美味しいごはんにニンマリしたり、このワインが飲みたかった!とガッツポーズをしたり、ホテルの部屋で取材メモをまとめたり。

「なんだかもう、初期衝動ですよね」と照れくさそうな、懐かしそうな馬田さん。きっとこのノートには、楽しい時間も、嬉しい時間も、心細い夜も、いつか絶対というガッツも込められているような気がします。

続きは後編で。ポルトガル食堂を主宰するようになったきっかけや、娘さんを育てる日々のことを伺います。

 

(つづく)

【写真】メグミ


もくじ

 

馬田 草織

文筆家・編集者・ポルトガル料理研究家。取材先の酒場で地酒を飲むのが至福のひととき。著書に「ようこそポルトガル食堂へ」(産業編集センター・幻冬舎文庫)、「ポルトガルのごはんとおつまみ」(大和書房)、「ムイトボン! ポルトガルを食べる旅」(産業編集センター)。料理とワインを気軽に楽しむ会「ポルトガル食堂」を主宰。開催日などはインスタグラムから。

インスタグラム @badasaori

 


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