【いつかを叶える生き方】第1話:事務職やアパレルを経て、料理研究家に。なかなか好きなことを仕事にできず悩んでいた

ライター 長谷川未緒

世界の料理を紹介するレシピのみならず、パリのアパルトマンのようなキッチンにもファンの多い、料理研究家でフォトエッセイストの口尾麻美(くちお・あさみ)さん。

先日お会いした際、東京・学芸大学に各国料理とナチュラルワインを楽しめるお店を開いたと伺い、驚きました。世界中を旅しながら、各メディアでの取材や料理教室と多忙な日々を送るなか、どこにそんなパワーが!

そういえばご経歴をよく存じ上げないし、年齢を重ねてますますエネルギッシュに働く口尾さんに、ぜひとも仕事観について伺いたいと、定休日にお店を訪ねました。

第1話では、出身地の札幌で販売員をしていた日々を経て上京し、料理研究家になるまでを振り返っていただきます。

 

卒業して、地元の会社に就職したけれど……

料理研究家になる前はアパレルのお仕事をされていたのですよねと伺うと、じつはその前にも紆余曲折ありまして、と口尾さん。

口尾さん:
「両親も親戚も公務員ばかりで、公務員以外は仕事とは言えないみたいな家で育ったんです。だから好きなことを仕事にできると思っていなかったし、そもそも自分が何をしたいのかもわかっていませんでした。

学校を卒業後は、いったん地元の会社で事務職に就いたのですが、3か月くらい経った頃でしょうか。朝起きたら全身に蕁麻疹が出て、呼吸ができなかった。

病院で診察してもらってもどこも悪くなくて、これは事務職が向いていないということなんじゃないかと思ったときに、いとこから『好きなことがあるなら、やってみたら』と言われたんです」

好きなことは何か考えたところ、体を動かすことと洋服が好きだと気づきました。

口尾さん:
「ジムのインストラクターに応募したりもしましたが、たまたま好きだった洋服屋さんが札幌に出店すると知りました。接客は苦手だったけれど、社販で服が買えるし、好きなものに囲まれているのはいいなと思い、働きはじめたんです」

苦手だと思っていた接客の仕事でしたが、得意かもしれないと思うほど楽しかったそう。ところが、転機が訪れます。

口尾さん:
「東京の本店に異動を命じられました。上京を考えたことはなかったので辞めようと思い上司に相談したら『辞めるなら、東京に行ってからにしたら?』と」

本店には芸能人やスタイリストがよく訪れ、海外の雑貨を扱ったりディスプレイをまかされたりと、充実した日々を過ごしました。

本店で副店長になったあと、デパート内の支店の店長を任されたあたりから、また違和感を覚えはじめます。

口尾さん:
「外が見えない場所が苦手で……。路面店と違い、購入する意思のないお客様も多いなかで、一生懸命接客することに疲れてしまったというのもありました。

ディスプレイもあまり手を加えられず、クリエイティブな仕事ができないなと思ったんです」

異動願いを出そうかとも考えたそうですが、札幌時代と合わせ約5年に及ぶアパレル業は思い切って退職し、次の一歩を踏み出すことに決めました。

 

パトリス・ジュリアンのような「料理研究家」を夢見て

口尾さん:
「手に職をつけたいと。その頃、料理研究家という職業をよく見かけるようになって、パトリス・ジュリアンさんや上野万梨子さん、有元葉子さんといった方々が登場する本や雑誌を見ては、こんなにおしゃれな世界があるんだとあこがれていました。

子どもの頃からお菓子作りが好きでよく台所に立っていましたし、料理研究家になりたいと考えるようになったんです」

どうしたら料理研究家になれるのかわからなかったものの、料理学校に通うか、料理家のアシスタントになるか、飲食店で働くかの3択が浮かびました。

口尾さん:
「料理学校を見学に行ったら、マダムのような雰囲気の人ばかりで自分には合わないかな、と。

夫のツテで、料理家さんのアシスタントになれるか聞いてもらったのですが、その方の料理教室にも通ったことがなかったので断られ(笑)。

それで良さそうなお店を訪ねてスタッフを募集していないか聞いて回りましたが、未経験なので門前払い。何軒目かでようやく、渋谷の片隅にあるイタリア料理のお店が雇ってくれました」

前菜とデザートの担当になりましたが、そこでの仕事はそれまで経験したことのない厳しさと忙しさでした。

口尾さん:
「シェフの作ったパスタソースをかける仕事を任されたときに、たっぷりソースの入った大きなフライパンは重たくて片手で持てずにこぼしてしまい『食えっ』とどなられたり。

大量のニンニクの芯を取る作業をしたら、成分のせいですかね、親指が腫れ上がってしまったり。毎日、家にたどり着くと玄関でばたりと倒れてそのまま寝てしまうくらい、疲れ果てていましたね」

プロの現場を学ぶ貴重な体験を得ましたが、手取り足取り教えてくれたシェフが退職してまもなく口尾さんも辞め、次の店へ。

映画音楽が流れる店で、料理を任せてもらえるという広告を見て応募した店は、なんとスナックでした。

口尾さん:
「ママと中国人の女性がひとりいて、勤務時間のわりに給料がよかったんですよ。たまたま前任者がいて『昼間はまるまる空くから、やりたいことがあるならおすすめ』と。

厨房を見たら、フランス人のシェフを雇っていたこともあるそうで、設備が整っていたことも魅力的でした」

 

空いている昼間の時間に、何をしよう?

たらこスパゲティと、毎日新しいお通しを2種類作ってというのが、ママからのリクエスト。

口尾さんは張り切って、いろいろな料理を試しますが、なにせスナックなので、料理にそこまでの味は期待されていませんでした。

そこで昼間の空いた時間を使ってはじめたのが、ランチ弁当です。

口尾さん:
「日替わりで5種類、カレーやオムレツのような一般的なものと、クスクスのようなちょっと変わったものを作っていました。あこがれだったパトリス・ジュリアンさんはモロッコ生まれのフランス人で、正統派のフランス料理ではなく、モロッコ料理のようなパリで見かける異国料理に興味があったからです」

口尾さん:
「路上販売からスタートしたものの、誰も買ってくれないし30分も立っていられず(笑)。古巣のアパレル会社の本社に配達するようになり、だんだんとお客さんが増えていきました。

電車で回っていたので時間が足りなくなるとタクシーに乗ったりして。採算度外視です」

そのうち展示会のケータリングも行うようになり、お弁当を食べた人から、料理教室を開いてほしいとリクエストされます。

そして料理教室とランチのデリバリー、スナックの3足のわらじで4年くらい経った頃、チャンスが舞い込んできました。

 

棚に並べたタジンがチャンスをくれた

口尾さん:
「近所のワインショップの常連仲間にカメラマンがいて、うちに遊びに来たあとインテリアの取材を受けないかとお声がけくださったんです。そこからインテリアの取材が入るようになりました。

いつか料理教室のレシピを本にしたいと思っていたので、出版関係の方が取材に来るたびに相談したんですね。

そうしたらそのうちのひとりが、棚に並ぶタジンを見て『これ何ですか?』と聞くので、『モロッコの鍋です』と答えたら、『これを使ったレシピ本って、出てないですよね』と。そしてタジンを使って日本でも作れる料理本の企画を出版社に通してくれたんです」

料理教室のレシピ本ではなかったけれど、ついに本を出版したことで、ようやく料理研究家と名乗れるようになったと口尾さん。

流れに逆らわず、来るもの拒まず、が夢を実現する秘訣なのだとか。

たしかにご経歴を伺ってみると、そのときどきで人からの勧めに素直に従い、ちょっと違うなと思えば方向転換してきたご様子。

そして大切なことは、「思わないことは叶わないけれど、思ったことは実現するから、必ずきっかけが来ると疑わずに、目の前のことをやる」のだそう。

そうは言っても、ついあれこれ心配したり考えたりしてしまいませんか、と伺うと……。

口尾さん:
「目の前のことに夢中になっていると、考える時間がないんですよ(笑)。スナックで働いて、お弁当を作って運んで、メニューを考えて買い出しをして。料理教室をして、取材を受けて、とずっと走っていたから、よけいなことを考えずに済んだのかもしれません」

ずっと走り続けてきた口尾さんは、自分の拠点を作るという目標も、ついに叶えました。

続く第2話では、異国料理とナチュラルワインの店をオープンした経緯についてお聞きします。

(つづく)

 

【写真】川村恵理


もくじ

 

口尾 麻美

料理研究家・フォトエッセイスト。世界を旅して、それぞれの国の家庭料理を学んだり、ストリートフードを食べたり。そこからインスピレーションを受けた料理を本、雑誌、料理教室などで提案。著書多数で、近著は「旅するインテリア Pieces of Travel」(ケンエレブックス)など。
Instagram:@asamikuchio

 

【店舗情報】HÅN(ハン)
東京都目黒区中央町1-19-14 メディス学芸大学2F
18時〜24時(フードLO22時)、火・木曜定休
TEL:03-6826-9314
Instagram:@han__etoile

 


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