【まあ、お茶でもしましょうか】後編:忙しくても、ほがらかに働く人たち

ライター渡辺尚子

松野弘さんときぬ子さん夫妻のご自宅で、お茶を飲んだのが、前編のこと。

「まあひとつ、お茶でもどうぞ」

の声に甘えて、楽しくおしゃべりをしてきました。

印象に残ったのが、「下町で商いをする家は、お茶の時間が決まっていた」という話。

弘さん:
「まあ、お茶っていっても、優雅なもんじゃないんだけどね」

仕事場でも、「お茶でもひとつ」の時間があるなんて。のぞいてみたくなりました。


前編をよむ

 

「ちょっとひと息」が、いい仕事につながっていく

お伺いしたのは、松野さんご夫妻が営む荒物卸「松野屋」。谷中にも小売店がありますが、馬喰町にあるこちらは、卸を中心とした本社ビル。仕入れたばかりの箒や籠、ブリキの箱、洗濯バサミ、たわし、まな板など、使ってみたい日用品がたくさんあります。

1階では、業者さんが商品を手に打ち合わせをしています。2階、3階では、職人さんが帆布を縫ったり、スタッフが値付けをしたり。

事務所の脇には、よく使い込まれた流し。たっぷりとお茶をわかせそうな、大きなやかんも置いてあります。

弘さん:
「昔はきっかり10時と3時になると、職人さんにお茶とお茶菓子を出していたんだよ」

そう言われれば、思いあたることがありました。

それは、植木職人や大工さんを頼んだときのこと。皆さん、仕事の合間に何度かお茶をしていました。お茶の時間も、きっちり決めているのだそうです。なぜかといえば、疲れがたまると怪我をしやすくなるから。休憩が、良い仕事を育てるのです。

「松野屋」は、自然素材の荒物を扱っていることで知られますが、もともとは、かばんや袋物を作っていたそう。つまりは、職人仕事。休憩を入れながらメリハリをきかせて、根を詰めた仕事をします。

弘さんが二十代の頃は、朝8時始業、夕方5時終業。1日2回のお茶は、ちょうどよい区切りだったのでしょう。

「いまは、出社時間も仕事の内容もそれぞれでしょ。みんなでお茶をすることはなくなったなあ」と、弘さんはちょっとさびしそう。けれどもよくよく観察してみると、「お茶でもしましょう」の習慣は、いまもゆるやかに受け継がれていました。

 

冷えた身体をあっためる、熱々の朝茶

朝の10時になると、1階のフロアにスタッフが全員集合。早朝から倉庫で働く人も、10時に出社するパートさんも、出先を回る営業さんも、全員顔を合わせられるタイミング。

「お茶の時間というか、朝礼だよね。みんな忙しいから、立ったまま飲むだけなんだけどね」と弘さん。

シンクには、色も形もまちまちのカップ。ひとりひとり、マイカップが決まっているのです。その日出社している人のカップがずらりとお盆に載せられて、お茶が注がれます。

朝のお茶は、必ず熱々のいれたてと決まっています。

「卸の担当は、冬の間も、吹きさらしの土間で作業するでしょう。足元から冷え切ってるから、熱いお茶がうれしいんですよね」とスタッフ。

マイカップで飲む熱々の一杯は、手に馴染んで、心がほぐれることでしょう。

カップを片手に報告や連絡をして、クイッと飲み干したら解散、それぞれの持ち場に戻っていきます。

▲流しの前には、スタッフ全員のマイカップ表が

 

ひえひえの麦茶が、夏をおしらせいたします

午後になると、仕事は佳境。職人さんがミシンをかける音や、営業担当がお得意さんに電話をかける声が響いています。

お茶は各自、きりのいいところで。

伝票を数え終えた奥村さんが「お茶でもいれようかな」とつぶやいて、立ち上がりました。

冷蔵庫をあけて、にっこり。

「あっ。麦茶!」

寒いうちはあたたかいお茶。夏がくると誰からともなく麦茶を仕込みます。麦茶のポットは、夏の訪れをしらせる風物詩というわけです。

「お茶、ここにおきますねー」と声をかけられると、帆布のバッグを縫っていた平野さんが笑顔になって「あら、麦茶ね」。

「ね、麦茶ですよー」と、奥村さんの声がちょっと弾んでいます。

新しい季節の気配は、なんだかウキウキするものですね。

弘さんが「どうぞ、おやつです~」

といいながら、籠に入ったビスケットや飴を配りはじめました。

作業に没頭していた人も籠からひとつとり、お茶でも飲もうかな、という顔をします。自席で飲んだり、共有のテーブルに移動したり。

それにしても、ポットにいれたお茶って、なんて良いものなんでしょう。

集まった人みんなで仲良くシェアできるし、人数が増えたらお湯をさして、増えたカップに注げばいい。

他愛ないお喋りをして、飲み終える頃には気分も一新。

お茶ってやさしいのみものだな、と思いました。

 

やさしい時間は、なにげなく続く

午後のお茶は、昔のように時間が決まっていません。それぞれのタイミングで自由にとる。

お茶をいれるのも、飲み終えたカップを洗うのも、とくに担当が決まっているわけではありません。

飲みたくなったから、隣りの人のぶんもついでにいれる。手があいていたから、まとめて洗う、ただそれだけのこと。

麦茶が冷やしてあったり、熱いお茶をわかしたり、人数分のマイカップがあったり。互いを思い合っているから続いている、さりげなくてやさしい習慣。

そう考えると、こうしてなんの決まりもなく、ゆるやかに続いていくお茶の時間というのもまた、悪くない気がしました。

さて、今日もあとひとがんばりしましょうか。

 

【写真】大沼ショージ

 

もくじ

 

松野きぬ子さん、弘さん

東京の下町で、昔ながらの味わいのある日用品を扱う「暮らしの道具 松野屋」を営んでいる。弘さんはブルーグラスのミュージシャン、きぬ子さんは手芸作家としても活躍中。著書に『あらもの図鑑』(新潮社)、 『松野家の荒物生活』(小学館)など。www.matsunoya.jp


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