【こころに雨が降ったら】前編:オロオロすることにも意味がある? 臨床心理士・東畑開人さんと考える、困っている人への向き合い方
ライター 嶌陽子
子どもの世話をしたり、老いてきた親のサポートをしたり、友達や職場の同僚の悩みを聞いたり……。年を重ねるごとに、周りの誰かの世話や心配をすることが増えてきた気がします。
ときには毎日の繰り返しに疲れてしまうことや、「もっとこうすればよかったのかも」と落ち込むことも。私たちの日常には、いつだって身近な人に対する「ケア」と、それにまつわる葛藤がつきものです。
とくに家族や友人が深い悩みや苦しみのなかにいるときは、一体どうすればいいのか。その際の心の持ちようや考え方を知っておくだけでも、気持ちが少し楽になるのかもしれません。
今回お話を伺うのは、臨床心理士の東畑開人(とうはた かいと)さん。昨年、身近な人に心の不調が訪れてケアが必要になったとき=「雨の日」にどうすればいいかを具体的に書いた『雨の日の心理学』(KADOKAWA)を出版しました。
心のケアって一体どういうもの? 身近な人が困っているとき、どう向き合えばいい? やさしく励まされたような気持ちになったお話を、前後編でお届けします。
年齢を重ねるほど、ケアすることが増えてくる
東畑さんは大学勤務などを経て、現在は都内でカウンセリングルームを主宰しています。近著『雨の日の心理学』の元となっているのは、一般の人向けに実施したオンラインセミナー。セミナーの参加者には親や子ども、友人などのケアに悩んでいる40〜50代女性も多いそうです。
東畑さん:
「親やパートナー、子どもだけじゃなくて、友達をケアしている人も。この年代の人たちって、周りにケアする人がどんどん増えていくように思います。
一概には言えないけれど、女性の方が友達をつくる力が比較的ある気がしていて。日々の生活のなかで誰かと繋がっちゃう、そして心配しちゃう。それはつまり、ケアと出合っていくということでもあるのかなって思うんです。
だからケアは大変なことでもあるんだけど、つながっていく力だとも言えるんじゃないかと思います」
部屋を飾るのも、買い物をするのもケア?
心のケアというと、特別な配慮や繊細さが必要とされるイメージ。家族や友人に対してうまくできている自信はありません。ところが、東畑さんから出てきたのはこんな言葉でした。
東畑さん:
「たとえば、部屋に何かを飾ってインテリアを整えたり、気持ちいいブランケットや便利な収納ボックスを買ったりするじゃないですか。それは家を居心地よくすること、気持ちのいい場所をつくることであって、ケア以外の何物でもないですよね。
つまりケアっていうのは決して特別なことではなく、日常で自然に交わし合っていることなんです。 “おはよう” とか “行ってらっしゃい” って言うのだってケア。ただ一緒に居るというのもケアだと思います。
ケアとは “ニーズを満たすこと” でもあると本には書いたんですが、 ”気持ちいいこと“ “寂しくないようにすること” も大事だなと思っています。それに、ケアにはもちろん苦しいこともありますが、うまくいくと楽しいこともあるよっていうことも、本で伝えたいことのひとつでした」
東畑さん:
「 “寂しくない” っていう感情って、あまり起きないですよね。もしくは、居心地が悪いときは周りの環境が気になるけど、居心地がいいときってそんなに意識しない。人はケアがうまくいっているときは、ケアされていることに気づかないものなんです。
親が子どもにあまり感謝されないのも、そういうことだと思います。逆に感謝されないということは、ケアがうまくいっていることでもあるんですよね」
雨の日は、前触れもなく始まってしまう
日常がうまくまわっているとき=「晴れの日」は、ケアも意識されることなく、ごく自然に交わされています。けれど、そんな当たり前のケアが通用しなくなるのが「雨の日」です。子どもが急に学校に行きたくないと言い出した、パートナーが夜眠れなくなった、職場の同僚から深刻な悩みを相談された……。雨の日は前触れもなく、ある日突然やってきます。
理解していたつもりの相手のことが分からなくなり、普段かけている言葉も届かない。一体どうすればいいのか分からず、オロオロするばかり。もっとどっしりと構えて受け止めたいと思うのですが……。
東畑さん:
「人生には前触れもなく心のケアが始まってしまうときっていうのがあるんです。これって予防不可能なことだと思います。そこにびっくりするところから始まるんですよね」
東畑さん:
「でも、びっくりしてオロオロしていることそのものが、相手にとっては意味があるんです。つまり慌てているっていうことは、相手のメッセージをしっかり受け止めているということでもあるわけですから。
逆にあまりにも悠然と対応していたら、相手は自分の苦しみがスルーされていると感じてしまうかもしれない。僕だって誰かに辛いことを相談したときに相手が動揺しているほうが、少し気が楽になると思います。自分だけが不安なわけじゃないんだって。
オロオロするほうが、相手の心に近づいているんじゃないかと思うし、そのことが重要なんだと思います」
「ちょっと考えとく」だってOK
雨は降っていても、日常は続きます。とにかくできることを考えて実行してみるものの、空回りすることや、かえって相手を傷つけてしまうことも。ケアは一筋縄ではいきません。毎日が手探り状態で、「あんなことを言うべきじゃなかった」と落ち込むこともしばしばです。
東畑さん:
「医療とかのモデルだと、 “この症状にはこの薬” みたいな適切な対処法があって、それを行えば問題解決ってことになりますけど、心の場合は、やっぱりそうはいかない。正解がないのが心のケアなんです。
だから間違った対応をすること自体は、仕方ないのではと思います。失敗を受け止めて、余裕があるときにまたリカバーすればいい」
東畑さん:
「たとえば何かの相談を受けた時に、その場でいい回答をしなくちゃいけないっていうプレッシャーや、これを言ったらすごく傷ついちゃうんじゃないかって不安があると思うんです。
でも、あまり短い時間スパンで考えなくたっていいんですよ。もしも “あんなこと言わなきゃよかったな” と思ったら、悶々としてないで相手にそう言えばいい。いい回答が思いつかなかったら “ちょっと考えとく” とか “また話そう” って言えばいい。
1回きりでいい結果を出そうと考えず、もっと長期的に考えるといいんだと思います。心のケアで一番大事なのは、相手を孤独にしないことであり、つながり続けていくことですから」
時々失敗するくらいがちょうどいい
東畑さん:
「ウィニコットというイギリスの精神分析家・小児精神科医が “程よい母親” っていう概念を提唱しています。子どものニーズを全て満たす完璧な母親より、ときどき失敗する母親のほうがよい。そのほうが子どもが大人になる機会を与えるから、ということです。
身近な人のケアにおいても、万能でパーフェクトでいるより、ときどき失敗している方が、相手も現実的になって、お互いの間にインタラクションが生まれていく。たぶん現実っていうのは、そうできているんですよ。失敗はありうるって思っている方が、失敗したときのダメージが少なくて済む気がしますしね。
でも、人は追い詰められると完璧にやろうとしてしまうし、失敗を認めなかったりしがちです。程々でいいと思えたり、失敗したときにそれを受け止めて許容できるほうが次に活かせるはず。そのためには余裕が必要だし、余裕を持つためには孤独にならないことが大事だと思いますね」
オロオロしても、失敗してもいい。大事なのは相手とつながり続けること。まずはケアをするにあたっての土台となる考え方を教えてもらいました。
後編ではより具体的なケアの方法、そして東畑さんの考えの根底にある「一人にならないことの大切さ」について伺います。
【写真】馬場わかな
もくじ
東畑開人
1983年東京生まれ。専門は臨床心理学・精神分析・医療人類学。京都大学教育学部卒業、京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。精神科クリニックでの勤務、十文字学園女子大学 准教授を経て、「白金高輪カウンセリングルーム」主宰。2019年、『居るのはつらいよ―ケアとセラピーについての覚書』で第19回大佛次郎論壇賞、紀伊國屋じんぶん大賞2020受賞。『雨の日の心理学』『野の医者は笑う 心の治療とは何か?』『心はどこへ消えた?』『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』『聞く技術 聞いてもらう技術』『ふつうの相談』など著書多数。
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