【わたしの転機】前編:ブランディングディレクター・福田春美さん「20代で着た、水色のステンカラーコートで価値観を手放した」
編集スタッフ 長谷川
写真 飯田えりか
「わたしのターニングポイント」は、転機をテーマにお話を伺う連載シリーズです。
転機とは、生き方に変化が起きたポイントといえます。その経験をふりかえって見つめることで、また他の誰かが「何かを決める」ときの勇気や励ましになったり、自らを導く道しるべが浮かび上がったりするはずです。
シリーズvol.4にご登場いただくのは、ブランディングディレクターの福田春美さん。
現在47歳。札幌から上京し、アートやグラフィックの学校を卒業後、アパレルの道へ。「アクアガール」の店長を経て、「WR」を立ち上げるなど活躍。2006年には自らのブランドを育てながら、パリでも約3年半暮らしました。
2010年に帰国後、複数のアパレルブランドのリニューアルや立ち上げを行い、現在はディレクターとして2014年にオープンしたギャラリー・ショップ「EDIT LIFE」、ホームケアとフレグランスのブランド「a day」、ライフスタイル・ストア「コルテラルゴ」も手がけています。
価値観を手放す。心のざわつきを見つける。
▲お話を伺ったのは東京・神宮前にある「EDIT LIFE TOKYO」にて。店内には福田春美さんやスタッフがセレクトしたアイテム、クリエイターの展示、トークイベントなどを楽しめる。
約束の時間より早く到着した僕は、スタッフさんに挨拶しようと店内へ。すると、テーブルでMacBookに向かう福田春美さんがいました。傍らには愛犬のリタちゃんがおとなしく座っています。
そのまま雑談のように始まったインタビューの早々で、福田春美さんから「北欧、暮らしの道具店は1年半前くらいからウォッチしていて」の言葉。
その言葉に嬉しくなりながら、まるで “逆インタビュー” のように質問をくれる福田春美さん。抱いたイメージは、占い師。その目はとても真摯でありながら、僕の言葉からつながる未来を見通しているようでもあります。
「いつも自分に言い聞かせているんですけど、例えば2年後にその場所がうまくいっている想像をした時に、そこに来ている人は何をしてほしくて、何に良さを感じているかを思い描くんです。今するべきことを、少し未来のお客さまたちが教えてくれる。その気持ちをどの仕事に関してもクリアに持っているし、自分の中で更新しています」
▲福田春美さんが手掛ける「a day」。ホームフレグランスやハンドソープなどをそろえる。
福田春美さんは30歳を起点に、およそ5年ごとに代表的なブランドを作ってきた経歴を持ちます。その「見通す力」はどこから生まれるものなのか。聞いてみたくなって身を乗り出していくと「でも、相当失敗したんだと思う、私」と福田春美さん。
失敗談やこれまでの歩みを伺っていると、2つのキーワードが浮かびあがってきました。
価値観を手放す。
心のざわつきを見つける。
自分と向き合うことの大切さを、福田春美さんのターニングポイントから教わります。
9歳から続く習慣。希望を描いて、叶えていく。
▲福田春美さんの仕事や暮らしになくてはならないのがノート。2011年から愛用する「ツバメノート」は、書き味と並べた時の景色が好きだそう。
福田春美さん:
「小学校3年生……9歳くらいから、今でも3年に1回は続けていますが、例えば3年後、5年後、10年後と区切って、自分がどんな家に住んでいて、どんなことをしているかを書くんです。
昔から間取りを描くのがとにかく好きで。中学生か、高校生のときには、雑誌の『Olive』を見ながら、代官山から歩いていける距離に住んで、もじゃもじゃの犬を飼って、ベージュの車に乗って……って描いてあるんですよね。時間はかかっているけれど、今はかなり近いところまできています。
でも『自分は何がやりたい』というのはそんなになかったです。『自分で自分の時間を決められる人になりたい』くらい。
子供のときから毎日同じ時間に起きられなかったから、どうやったらそんなふうに生きていけるんだろうと思って。自分で自分のスケジュールを決められる、海外にもとにかく行ける……親が見たらびっくりしたと思うけれど、そういう希望だけをノートに書いていました。
私は単純に、“先に想像して、どうすればそこに行けるんだろう” と考えるのが、たぶん好きなんだと思うんです。
料理が好きなのも同じで、つくりたいものを想像して、温かいままサーブしたいってなったときに、何を先に切って、こっちは煮込んでおいて……と進めますよね。それがバイヤーの仕事なら、この日の立ち上げまでにこれを揃えて……みたいに」
「君はトレンドが大好きかもしれないけれど、エレガントじゃない」
福田春美さん:
「学生時代は、アートやグラフィックの学校に通いながら、輸入雑貨店でアルバイトをしていました。
グラフィック事務所の内定をもらっていたのですが、そのお店に来るお客さまや仕事が楽しかったし、『このまま深夜まで働いて、休みもあまりない生活でいいのかな』って胸がざわついて。結局、内定は断って、そのまま雑貨店で働き続けることにしました。
でも、楽しいばかりの毎日を送る自分にも飽きてきて、『自分には何ができる? 何に興味がある?』と考えたら、漠然と『洋服』が浮かんだんです。
あるアパレルブランドで働き始めて、20代半ばの頃にバイヤーの仕事でニューヨークへ行きました。その時の先輩バイヤーはファッションの師匠でもあって、とてもスパルタ。映画の『プラダを着た悪魔』が全然笑えないくらい!
初めてのコレクションで、ファッションウィーク。自分なりにはお金を掛けて、一番のおしゃれをしていくのに『なに、その格好。一緒に歩くの嫌だから着替えてきてくれる?』なんて言われて。できたばかりのDEAN&DELUCAでカリフォルニアロールを買って、泣きながらホテルで食べたな……。
その時の私は、いの一番に『イタリアンヴォーグ』や『フレンチヴォーグ』を手に入れて、載っているこのジャケットやスカートを買おうって決めていました。いわゆる “上質なブランドの、普通のカシミア” が怖くて着られなかったんです。そうしたら師匠に『君はさ、トレンドは大好きかもしれないけど、エレガントじゃないよね』って。
靴もパンツも、着るもの全部が今年!みたいなのは、師匠からすればすごくバランスが悪かった。それってどうなの?と、もう厳しく言われました」
覚悟して、水色のステンカラーコートを受け入れた、その瞬間に。
福田春美さん:
「その時に師匠から買いなさいと言われたのが、18万円もするシンプルな水色のステンカラーコート。自分の趣味ではないけれど、あまりに毎日厳しく言われてへこみきっているから、いちど素直になってみようと思って買ったんですよ、お金もないのに。悔しかったですよね。
だけれど、あまりに “何かが違う” という状況だけは突きつけられていて、師匠の下にいる時期だから外の世界も知らない。だからもう『とりあえず受け入れてみよう』って覚悟したんだと思う。
でも、それを着たらいろんな人に『いい感じだね』って言われて。早番で上がろうとした私に、大御所のスタイリストさんから『今日の福田さん、すてきじゃない』みたいに声をかけてもらえた時に、私の中の何かがほぐれたんだと思います。
ちょっと私は頑張りすぎていたんだなって、やっとわかった。そうすると、新しい自分に向かっていけるのが面白くなりました。
『絶対にこれだ』と思っていた価値観を手放して、何を足して、磨いていくのか。それがセンスなんだと思うんです」
大成功と初めての壁。苦しさを手放してパリへ。
福田春美さん:
「29歳のときに立ち上げたブランドで、最初は一日1万円くらいしか売れなかった時に『来年の10月10日の祝日までに一日100万円の売り上げを叩き出します!』とオーナーに宣言しちゃったことがあって。言ったもの勝ちだっていう気持ちもどこかにあったけれど、何をすべきか考えないといけなくなりました。
その時代は雑誌に載ってなんぼの世界だから、雑誌に関係する人々とたくさん会って、先々の特集の内容を聞き出して、自分のブランドが掲載できるチャンスを狙いました。
通販は電話と現金書留でやり取りする時代でしたから、雑誌に載ると一気にお客さまから電話がかかってきて。自分が探してきたものが当たったと思えるのが、もう楽しくて楽しくて仕方がなかった。結果的に10月10日は300万円売れました。しびれましたよね。
でも、ディレクターとして看板になってブランドを盛り上げようとするうちに、“1週間コーディネート” みたいな取材も増えて、なんだか次第にファッションタレントっぽくなってしまったんです。本当はサブカルやアートが好きな自分もいるのに、そこには触れないまま、取材のために服を用意してばかり。そんな日々に違和感がありました。
そこで若手スタッフが育ってきたこともあって、私はちがう趣向のブランドをやりたいと主張して、35歳で始めることになりました。このブランドが、結果的にセールスで大失敗してしまうんです」
福田春美さん:
「立ち上げたのは、生地の作り手さんなどとしっかり向き合って服を作るブランド。最初は雑誌でも取り上げてもらえていたけれど、2年目、3年目で急激に減って。これまで全部成功させてきたのに、初めての壁が現れました。
自分自身への取材も断って、“もっと職人的な、もっとストーリー性のあるものを作りたい” と、そちらを強く自己主張してきた。でも、自分が思うようにうまくいかず、苦しい思いが数年続きました。
そこにプライベートでもマイナスの転機が重なって、今思えば苦しさの先にパリへ逃げた感じですが、会社と相談して契約を変えてもらい、日本とパリを行き来して仕事ができるようにしました。
フランス語は全然だったけれど、パリには友達がたくさんいたし、年に5回は行っていたから道も知っていました。ぼんやりと住み方もわかっていたから、なんとかなるかなって」
福田春美さんはその後、自身で立ち上げたブランドを手放す決断をし、新しい出会いをパリで見つけます。それが「香り」でした。現在手掛けるホームケアとフレグランスのブランド「a day」にもつながる出会いです。
2010年の末にパリの家を引き払った福田春美さんは、2011年の震災を経て、またひとつの価値観を手放すことになります。40代、そして現在へ。後編に続きます。
(つづく)
ブランディングディレクター・福田春美さん「わたしの転機」インタビュー
前編:20代で着た、水色のステンカラーコートで価値観を手放した
後編:いい仕事は孤独と友達になることから。40代でわかった“向き合うこと”の確かさ
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