【わたしの転機】陶芸家・飯高幸作さん「サラリーマンから陶芸家へ、心の底にあった本当のきもちに気づいたときに人生が動いた」
編集スタッフ 田中
写真 宮崎えりか
陶芸家・飯高幸作さんの人生のターニングポイント。
「わたしのターニングポイント」は、転機をテーマにお話を伺う連載シリーズです。
人によって様々なカタチでやってくる人生のターニングポイント(転機)は、生き方に変化が起きた時期といえます。誰かが、その経験をふりかえって見つめることで、また他の誰かが「何かを決める」ときの勇気や励ましになったり、自らを導く道しるべが浮かび上がったりすることがあったらいいなという思いでお届けしています。
シリーズvol.5にご登場いただくのは、陶芸家の飯高幸作さん。
飯高さんは、当店でもお取扱いさせていただいている「蓋付きポット」の作者でもあります。美しい佇まい、そして一点ずつ手作りの味わいがただよう作品は、再入荷してもすぐに売り切れてしまうほど。(本日、2月29日再入荷しております!→こちらからどうぞ)
写真 クラシコム
そんな飯高さんは、なんとサラリーマンから陶芸家へ転身した経験の持ち主。いま作陶を生業とする飯高さんが、その転機や後に訪れる自身の独立など、どんな思いを持って歩んでこられたのかをお聞きしました。
サラリーマンから陶芸家へ、一冊の雑誌が「転機」のはじまり。
飯高さん:
私のターニングポイントといえる時期は、サラリーマンから陶芸家の道へ方向転換したときといえます。
東京都内で車関連の仕事をしていましたが、ある日ふと目にした雑誌のなかに茨城県笠間での陶芸を取り上げていた記事を見つけました。そこに書かれていた陶芸家としての生き方、土から物を創造し生活のなかで育んでいく…そんな生き方に心を奪われて、『これだ!』と直感が走ったんです。
翌週にはもう、車を飛ばして笠間の地へ向かっていました。
笠間へ向かう途中、気持ちが高揚する感覚とともに、新しい目標に向かって進んでいいのか疑問と戸惑いも感じながら、ハンドルを握っていたのを覚えています。
雑誌に掲載されていた陶芸家の方に会いに行って、自分が陶芸を志したいという気持ちをぶつけました。その後、笠間へ何度か通い、お話を聞いたりするうち、その方に私の気持ちが本気だということが伝わったようで『自分のところに入るより、基本をみっちりと勉強したほうがいい』と別の窯元を紹介してくれたのです。
その間も『自分は本当に陶芸家になるのか』と自問自答を続けました。しかし最終的に、後悔をしたとしても自分の心に従おうと決めたんです。
当時24歳、サラリーマン生活2年目でした。それから7年、紹介いただいた窯元の寮に入り、住み込みで修行しました。そして2011年4月より埼玉県越谷にあるアトリエで作陶を始めて今に至ります。
▲器と古道具とカフェ「kousha」の隣にある飯高さんのアトリエ。
会社員を経験したからこそ気づけた、心から楽しいと思えること。
飯高さん:
子どもの頃は、親の薦めでボーイスカウトに入って、キャンプをしたり、自分たちで道具を作り、その道具で何かを作るという体験を楽しんでいました。他にも図工教室にも通っていたりと、“ものづくり”が身近でしたね。
けれど、正直それが生業となり生活していけるとは思ってもみませんでした。将来どうなるかもわからない、収入面で不安があったこともあります。
だから、頭のなかでその可能性を否定して、サラリーマンになりました。会社員当時は、朝早く電車にのって、夜遅く帰宅する生活。車を買われるお客さまに寄り添う接客の仕事で、大きなやりがいもありました。休みもきちんとあり、経済面も仕事面も恵まれて、問題なく過ごしていたんです。
しかし日々積もる違和感が同時にあったのも事実。
だんだんと膨らんだ違和感によって、自分の本心に気づかされました。それは、“自分の手で何かを作っているときは、とても楽しい”という思い。
この思いを信じて、いまの暮らしを始める決心をしました。
転機のあとも続く日々、自分が決めた道だから歩いてこれた。
飯高さん:
修行期間は約7年。私は当時24歳で、少し遅いスタートでした。でも周りの同輩たちは、若い子もいれば自分より年上の方もいて。約10人くらいで一緒に修行しました。
はじめの数年は雑務をこなしたり、ただただ土を練ったり、仕事中は一切ロクロに触らせてもらえませんでした。先輩方が仕事を終えた夜になってから、ひたすら練習に励む毎日でした。
そんな生活を3年ほど続けたあと、ようやく仕事中でも数時間ロクロに触らせてもらえるようになりました。
しかし、遅々として進まない自分の技術のなさにいらだちを覚えたり、終わりの見えない将来への不安に押しつぶされそうになったり。修行時代は心が折れそうになったことも数え切れないほどありますね。
また、何度となく失敗も繰り返しました。
納期ギリギリの品が窯から出してみると、全部ダメになっていて「もう夜逃げをしようか」とさえ考えるような追い詰められた失敗もあったんです。
そんな自分に対し師匠は厳しく、成功するまでじっくり作品づくりに向かわせてくれる方でした。まだ修行中の身の自分にはつらい作業でしたが、その厳しさの中に弟子を想う優しさを感じました。今となってはかけがえのない時間だったと思います。
“作家”としての迷いに立ちむかった時期
飯高さん:
修行を始めて、多くの作家がもつ迷いがあります。「いつ独立するか」ということです。
ものづくりというのは、終わりがありません。納得のいくものを作ることは難しいことで、どれが良い、どれが悪い、それは自分が決めることであり、誰も答えを持っていませんでした。
ということは、自分で決めなければ終わりがいつまでたっても来ないのです。
修行をして7年が経っていた頃、独立準備を進めながらも、そういった悶々とした気持ちも抱えていました。
その後2011年の震災を経て「自分の作品作りに邁進できることに感謝しながら、しっかりやっていこう」という心構えになっていきました。
これからも、ものづくりの良さを伝えていく生き方がしたい。
▲埼玉県川口市にあるカフェ、ギャラリー、雑貨を扱うsenkiyaが運営するカフェ。飯高さんの器で食事を楽しめます。
飯高さん:
独立後の拠点を探していたときに、senkiya*のオーナーとの出会いがあったんです。そして今のkousha*がある場所で「工房とカフェ」という新たなスタイルのお店をオープンさせることになりました。
これまで家族をはじめ、作品を手にとってくださるお客さま、koushaのスタッフ、友人たち…すべての人が自分を支えてくれました。
自分一人でできることなんてちっぽけなことで、いまの自分があるのは間違いなく、すべて「人」のおかげです。
仕事がめまぐるしく、つい忘れてしまいがちな感謝の気持ち。その気持ちを忘れず、これからも日々作陶に励み、精進していきたいと思っています。
そしていま、地元の子どもたちに陶芸を教える機会を得ました。
私が自分の手でものを作り出す喜びを味わったように、多くの方にものづくりの良さを伝え、広めることで、この感謝の恩返しをしていきたいです。
*senkiya…埼玉県川口市にあるお店。アトリエやショップ、カフェ、雑貨店、ギャラリーなどを併設しており、イベントなども開催。様々なクリエイターが工房を構えるスペースもある。
*kousha…飯高さんが工房を構え、埼玉県川口市にあるお店senkiyaがカフェを造り、作家の器で食事を楽しめるお店。古道具や器、雑貨も販売。
▲飯高さんの作品も購入できます。
陶芸家・飯高幸作さんのターニングポイントをお届けしました。
車関係のお仕事をされていたサラリーマンを経て、陶芸家の道をえらんだ飯高さん。この転機をもたらした「自分の本当の気持ちに気づく」ことって、簡単なようでいて実は難しいことではないでしょうか。
けれど、飯高さんのように違う道を歩いてみて初めて、「本当の気持ち」に気づくことだってあります。そのとき「なんとなく楽しい、心地よい」と通り過ぎてしまわず、立ち止まって自分の気持ちを確かめることも重要なんですね。
そして、自分の気持ちに正直に行動できるか、その選択を肯定しながら歩むことができるのか。どれも厳しいことですが、自分が心から楽しめる人生をしぜんと引き寄せていけるヒントをもらった気がしました。
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