【あの時の子育て】前編:正しい親より、楽しそうな親でいたい。悩んだ先に見つけた答え(りんねしゃ・大島幸枝さん)

子どもが生まれて考えるようになったのは、人生の優先順位でした。仕事と暮らし、そして子育て。新たに増えた大切なものと、昔から持っていた大切なもの。そのバランスには、何年経っても悩んでばかりです。
同じ境遇に居る仲間と肩を叩き合う時間も大事。でも、時には少し先を歩く先輩に言葉をもらいたくなることも。
今の悩みは、十年先にどう見えるのか。今回はそんな話を聴いてみることにしました。

お相手は、愛知県で無添加食品や天然雑貨の店「りんねしゃ」を営む大島幸枝(おおしま さちえ)さん。
暮らしを支える、誠実に作られたものだけを集めたりんねしゃは、地元の人にとっての安心して使える小売店。大島さんは父親から引き継ぎ2代目として、50年近く続くこの店を切り盛りしています。
▲愛知県津島市にある「りんねしゃ」宇治店
愛知と三重に3つのお店を経営しながら、商品の企画やPR、イベントや催事の主催など、全国を飛います。
そんな彼女は、プライベートでは二人の子どもを持つシングルマザー。20年近く、子育てをしながら働いてきたといいます。
いつもパワフルな大島さん。彼女はどんな風に2人の子どもを育ててきたのか。苦労したこと、悩んだこと。振り返りながらじっくり聴いていきます。
やりたいことに全力な両親の元に生まれて
▲三重県多気町の商業施設「vison」内には、和草茶のカフェと生活用品の店「本草研究所RINNE」を運営する
りんねしゃは1977年創業。今年で48年を迎えます。大島さんは6人兄妹の長女として生まれました。
子育ての話を伺う前に、まず聞くべきは彼女自身の子ども時代。なぜなら大島さん自身もまた、パワフルな両親の元で育ってきたからです。
大島さん:
「家族経営の店で、仕事と暮らしは当たり前のように一緒にありました。家族旅行といえば、生産者さんを訪ねることでしたし、私たち子どもも、学校から帰ればよく店の手伝いをしていました。農家さんから届く大根で切り干し大根を作ったり、練り物に加工してもらうために、釣ってきたイワシの骨を取ったり。
手伝いが好きだったわけではありませんが、親があんまり頑張っているものだから、手伝わなければいけないと、自然にそう思っていました」
興味のあることがあれば夢中になって外に出て行く、はたから見れば変わり者の両親でした。時には子どもより仕事を優先しているように見えることもあったといいます。
大島さん:
「小学生くらいの頃は友達が順に自宅で誕生日会を開いていて、それがとにかく羨ましかったですね。お母さんにケーキを作ってもらった、と聞いて。お母さんは外に出てってばかりでひどいって、母に文句を言ったことがあります。
その時に母が言ったんです。『この環境でよかったっていうことが、いつかわかるから』って。自分の生き方に自信を持っていたんでしょうね。母は私がどんなに文句を言っても、動じませんでした」
働くことが、今よりも難しかった20年前

そんな子ども時代を過ごしたから、お店を継ぐ意思もなく、社会人になってからしばらくは、上京して旅行会社で働いていた大島さん。ですが東京で働きさまざまな理不尽を経験するうち、真摯なものづくりをする生産者と向き合っていた両親の仕事を、改めて見直すように。店を支えていた祖母が他界したことを機に、家業を継ごうと、地元愛知に戻ります。
その後結婚し、ふたりの子どもを出産。そこからは目まぐるしい日々。店業と子育てに奔走する毎日が始まりました。
大島さん:
「忘れもしないのは、保育園の遠足に行ったときのことです。私は普段、お店を抜け出してお迎えに行き、さっと帰るばかりだったから、他のお母さんと雑談をすることがなかったんですね。そうしたら、そこにはすでに仲のいいお母さんグループができていたんです。バスの中で、会話の輪に入れなくて。
それを見た娘が『なんでお母さんはみんなとしゃべれないの』と泣いたんです。そうか、自分が仕事をしていると、こんなところで娘を悲しませることがあるんだと思いました」
昔は今より、女性が働くことが珍しい社会。保育園の行事も、仕事を理由に女性が休むなんて考えられないことでした。
なぜ働くの? 子どもがかわいそう。悪気のない、周囲からのおせっかいに傷つけられたこともありました。そんな時、支えになったもののひとつが、昔かけられた母の言葉だったといいます。
あなたも、仕事も大事。母が手紙にのせた想い

大島さん:
「事情があり離れて暮らしていた時期に、母は私によく手紙を書いて渡してくれたんです。いつも側に居てあげられなくてごめんね、と。
でも母親が必ずしも一緒の空間にいることだけがベストだとは思わない。母ちゃんは、子どもたちがより良い人生を送れる社会にするために、今の仕事をしているんだって」。
そこに綴られていたのは、母としてではない一人の人間としての正直な気持ちでした。
大島さん:
「中3の受験のときにその手紙を読んで、いろいろな感情が湧いて泣いたのを今も覚えています。嬉しさと、寂しさもちょっとありましたが、”私も頑張ろう” という感情が一番大きかったですね。
反発したこともありましたけど、自分の信念のために生き、その生き様を見せようとしている母の姿は、自分を犠牲にしている姿よりずっといいと。母の言っていたことの意味が、次第にわかるようになったのだと思います」

周りの声に惑わされず、娘の自分だけにまっすぐに伝えてくれた想い。それがメールや電話ではなく手紙だったから、より心に届いたという大島さん。
今の自分が当時の母を理解できたように、自分の子どもたちも、いつかはきっとわかってくれる。そう信じて仕事を続けたという大島さん。母のように、大切なことを伝えたいときには子どもへ手紙を書いて、渡してきたといいます。
大島さん:
「自分の子どもたちとも、手紙のやりとりはよくしました。拙くても一生懸命に書いてくれることが嬉しかったですね。大切にとっておいています。
親子の仲は良かったけれど、けんかもよくしました。でも、それは実家に居た頃から同じで。両親は子どもの前でも平気でけんかをする人でしたが、彼らいわく『これは討論だ!』と。
暮らしていれば、悩むこと、ぶつかることがあるのは当たり前じゃないですか。家族のバランスなんてぐちゃぐちゃ。無理に取り繕う方が不自然です。
罵り合いはダメかもしれないけれど、意見のぶつけ合いはあってもいい。それを見てきたから、一緒に暮らすってこういうことなんだとわかってきた気がするんです」
お母さまは70代を超えた今も元気で、大島さん以上に活動的なほど。休まずちゃきちゃきと動いているといいます。
大島さん:
「彼女が自分の人生をしっかり生きている姿を見ていると、今は安心するんです。ああ、この人は一人でも大丈夫だ。だから私も自由にやろう、と。
精神的自立が早かったのは、母のおかげなのかもしれません」
子育てと "わがまま” は両立していい

軽やかに仕事と子育てを乗り越えてきたように見える大島さん。でも話を聞いてみれば、彼女もまた悩みながら進んできていました。
まして、昔は今よりも子育ての価値観が多様ではなかった時代。ぶれない芯を、どのようにして保ってきたのでしょうか。
大島さん:
「何かに迷ったときは、それが正しいかどうかより、自分にとって ”おもしろい"と思えるかどうかで選んできました。
子育ての正解なんて、みんな違うじゃないですか。田舎に移住するのも、東京で子育てするのも、いいところもあれば悪いこともあるでしょう。
その中で ”子どもにとっての正解” を選ぼうとしても、それが本当に子どものためになるのかなんてわかりません。ならば開き直って、自分が好きな方を選べばいいんだと私は思います。それを選んだ自分が楽しんでいられるなら。親が生き生きしていることは、子どもにとっても嬉しいことだから。
私は仕事が好きだったから、世間から見れば ”わがまま”だったんです。でも、誰かを否定したり、その価値観を押し付けたりしなければ、それは良いわがまま。自分らしくいるという意味で、子育てとわがままは、両立してもいいはずだと思っています」
母としての自分が、子どもにとってどんな存在であるべきか。いつまでも正解はわかりません。でも、大人になった今の自分が、今の母にどうあって欲しいか。 その答えならもう少し具体的にイメージできます。
正解がないのなら、視点を変えてみてもいい。大島さんの話は、一方向を見ていた自分に新しい景色を教えてくれたような気がしました。
続く後編は、幼少期から思春期まで、子どもの成長とともに直面してきたさまざまな悩みと、次第にたどり着いた考え方を聴いていきます。
【写真】橋原大典
【撮影協力】match
もくじ
大島幸枝
愛知県津島市で自然食のお店「りんねしゃ」を、三重県多気町visonで薬草カフェ「本草研究所RINNE」を運営。オリジナルの防虫線香「菊花せんこう」の製造販売や、食や暮らしのイベント企画を手掛けながら、全国を駆け回る。
Instagram: rinnesha_sachie
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