【57577の宝箱】あのときの私は確かに笑ってた 1枚のフィルムに焼きついた光

文筆家 土門蘭


先日、父からカメラが届いた。
長男がずっと欲しいと言っていた「チェキ」というインスタントカメラだ。長男はとても喜んで、さっそくフィルムを入れて撮り始めた。

彼が最初に撮ったのは、次男がポーズを決めている姿。パジャマ姿で、仮面ライダーのようなポーズを決めている。チェキは撮影するとすぐに印刷される。じわじわと影が映るフィルムに、兄弟は興奮した。
「すごい、浮かび上がってくる!」
「写真になった!」
デジタルデータで残すことが当たり前になった今、一枚の写真だけが残るというのは新鮮だなと思う。

長男は、フィルムを無駄にしないように、大事そうに一枚ずつ撮った。
「お母さんも撮らせて」
と言うので、すっぴんでパジャマ姿のままではあったが、ピース姿で撮ってもらった。
写真に映った私は少しぼやけていて、今撮ったばかりなのにすでに懐かしく感じるのが不思議だった。過ぎ去った瞬間が形になることで、「今」が「過去」になったことを強く実感した。
私はその小さな写真を手にしながら、60歳になった自分がそれを見ているところを想像した。かつての日曜日の朝に、まだ幼かった長男がカメラで自分を撮った日を思い出す、60歳の自分のことを。

長男の撮った写真は少しずつ増え続け、リビングの棚に無造作に置かれている。誕生日を迎えた次男がケーキを前にして笑っている写真、ギターを弾いている夫の写真、料理をしている私の写真。

私は時々、棚の前を通るときに、その写真をつまみ上げて眺めてみる。写真の中で笑う私たちの顔。こんなふうに笑った時間が紛れもなくあったのだと、写真は無言で示してくれる。

§

以前、ある人にこんなことを教わった。
「記憶って、思い出せば思い出すほど定着するものなんですよ」
逆に言えば、どんなに素晴らしい経験でも思い出さなければ記憶に残らない、と彼女は言った。

「それじゃあ、忘れたくないことはなるべく思い出せばいいってことですか」
と私が言うと、その人は「そういうことですね」とうなずいた。

だけど改めて考えてみると、私は嬉しかったことよりも、悲しかったことや辛かったことの方をよく思い出している気がする。ついつい、ネガティブなことばかり思い出してしまうのだ。
するとその人は、「それは、リスクを回避しようとする本能が働いているのかもしれないですね」と言った。「でもそればっかりでは、暗い気持ちになっちゃいますよね」とも。そして、こんなアドバイスをくれた。

「おすすめなのは、いいこと日記です。夜寝る前に、よかったことだけを思い出して書くんです。ご飯がおいしかったとか、かわいい服を買えたとか、誰かに褒められたとか、小さなことでいいので。すると、嬉しかった記憶が増えていきます」

なるほど、と私は思い、さっそくその日から取り掛かることにした。
スマートフォンで日記アプリを開き、そこに今日あった嬉しかったことを箇条書きしていく。「エッセイの感想でこんな言葉をもらえた」とか「豚肉の生姜焼きがうまくできた」とか「花を飾ったら部屋の雰囲気が変わって嬉しかった」とか。

ただ、日記は一度書いたらなかなか読み返す機会がない。それなので、良い記憶の定着があまり実感できず、もっと何かいい方法はないかな、と思っていた。そんなある日ふと、「嬉しかったことだけを集めたInstagramアカウントを作ったらいいのでは?」と思いついた。

すでにある自分のアカウントでやろうかとも考えたのだけど、なんだかちょっと照れ臭い。それに「いいね」の数を気にし始めると、投稿する内容についても深く考えて疲れてしまいそうだと思い、誰の目にも触れないフォロー0、フォロワー0のアカウントを新しく立ち上げた。

そのアカウントに、まずはこの間食べに行った喫茶店のレモンケーキの写真を投稿した。
「喫茶いのんのレモンケーキ。ユカさんと」
そうコメントを入れてみる。ユカさんとはお友達の名前だ。
彼女とお茶をした日からはもう数週間経っていたけれど、行った場所と人の名前を書くことで、その時に話した内容や彼女の表情がふわっと蘇り、とても楽しいおしゃべりだったことを思い出した。
「すごく楽しかったな」と思う。たくさんの発見があり、話が尽きなかった。帰りには、併設の花屋さんで芍薬を買って帰った。そんなことを、この写真を投稿するまでずっと忘れていた。

私は、カメラロールから写真を探し出し、さらに投稿していく。ご飯の写真が多かったので、私のタイムラインはほとんどかつて誰かと食べた物ばかりになった。

「エストレのカルパッチョ。ミナミさんと」
「MEMEMEで、サキさんとモーニング」
「家族と北海道旅行、海鮮丼」
「フリーランス開業記念に一人で食べたお寿司(松)」

それらをスクロールして眺めていたら、「嬉しかったこと、いっぱいあるな」と思って、改めて嬉しくなってきた。忘れていただけで、本当はいっぱいあるのだ。私が思い出せば思い出すほど、「嬉しかったこと」は「いい思い出」になる。

以来、私は密かにそのアカウントを運用している。今もまだフォロー0、フォロワー0だけれど、投稿はそろそろ30件。いいことがあったり、美味しいものを食べた日には、「後で投稿しよう」と心の中でいそいそする。まるで、「いい思い出」貯金のようだ。辛くなった時にはこれを見返して、「またきっと嬉しいことがあるはずだ」と思えたらいい。

§

長男のチェキのフィルムは、あっという間になくなった。その分、リビングの棚には新しい思い出が増えていて、私は相変わらずそれらを何度も見返している。

生きていたら、本当にいろんなことがあるものだ。辛いことや悲しいことが起こって、目の前が真っ暗になることだってある。

だけどそんな時でも、写真は嬉しかった記憶を呼び起こしてくれる。かつて、心から笑った日があった。穏やかに過ごした日があった。ささやかだけれども確かに形に残っている、愛しい記憶。

写真がその記憶を呼び起こしてくれる時、私の心には「思い出」という光が戻る。その光を手繰り寄せ、目の前の真っ暗闇を照らすと、まだまだ歩けるような気がしてくる。

そろそろ新しいフィルムを買ってあげよう。新しい思い出を、たくさん作るために。

 

“ あのときの私は確かに笑ってた1枚のフィルムに焼きついた光 ”

 

1985年広島生まれ。文筆家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 


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