【お坊さんのお悩み相談室】後編:ひとりも好きだけど、人付き合いもうまくなりたい。今から変われるでしょうか?
編集スタッフ 津田
ひとりも好きだけど、人付き合いもうまくなりたいなあと思います。
そんなとき、頭に浮かんだ人がいました。当店で「お坊さんのお悩み相談室」を連載していた僧侶の青江覚峰(あおえ・かくほう)さんです。今回は前後編で、ちいさなお悩み相談室を開いていただいてます。
今からでも、人付き合いはうまくなれますか?
もともと、ひとりの時間も好きだし、あまり人付き合いに悩むタイプではなかったけれど、ここ数年でむずかしくなったなぁと感じることが増えました。
でも、それは持って生まれた性格によるもので、もういい歳の大人の私が、今からもっとうまくなれるかしら、と思うことがあります。その不安を、青江さんにぶつけてみました。
青江さん:
「仏教では『過去と未来は幻に過ぎない』と考えます。
たとえば、津田さんは、人付き合いや会話の仕方について、ここ数年でむずかしくなったとおっしゃいましたが、本当にその前はうまくできていたことなのでしょうか?」
言われてみるとたしかに……。コミュニケーションは大切で頑張らなきゃとは思っていたけれど、昔からそんなにうまいわけではなかったです。
青江さん:
「ついつい過去って輝いて見えるんです。そういう意味で『過去は幻』。未来もそうです。明日がどうなるかは誰にもわかりません。
仏教では『今・ここ・私』と言います。過去もまやかし、未来もまやかし、ここ以外の場所で何が起こっているのか、他の人が何を考えてどんな気持ちなのか、本当のところはわかりません。おそらくこうだろうと勝手に妄想しているだけなんです。
それを即今・当所・自己(そっこん・とうしょ・じこ)という言葉に示しました。仏教では、唯一あるのは『今・ここ・私』だけ、と考える。だから『今を大事にしなさい』という教えなんです。
質問に戻りますと、人付き合いがうまくなりたいと『今の自分が思っている』のであれば、ずばり、後回しにしてはいけません。今の自分にできることを見つけましょう」
心は乱れるもの、という視点があれば
今を大事にする。後回しにはしない。たしかにその通りだと思います。でも、ついつい過去や未来にとらわれてしまうかも……。
どうしようという表情をしていたら、青江さんが助け舟を出してくれました。
青江さん:
「正論だけどむずかしいと感じるのも、よくわかります。
知っておくべきは『昔はうまくできていたのに』とか『いつかはうまくなれるかな』などの期待や不安というのは、妄想でしかないということ。だからこそ自分の心を乱してしまうのだということです。
今・ここ・私以外はすべて幻。とらわれていても仕方がない。その視点さえあれば多少なりとも余裕が出てきます。
目の前にいる相手に集中できるようになりますし、あるいは、ふと話の流れで心無い言葉を投げられたときにも『自分とは違うけれど、そういう考え方もあるんだな』と受け流すことができるようになりますよ」
諸行無常、どんなものでも変わらないものはありません
それから、青江さんは「諸行無常と諸法無我」という二つの言葉を教えてくれました。どちらも絶対的なものはないという意味だそう。
青江さん:
「諸行無常は、すべては移り行くもので、どんなものも変わらないことはない、ということを教えてくれる言葉です。
たとえば、このコップのお水。数分間ではなんの変化も無いように見えますが、冷蔵庫から出した時の温度ではもうありません。
私たちの関係も同じ。お会いしたばかりと今とでは、いろんなことをお話ししてきて関係も変わっています」
諸法無我、絶対的な存在はなく「関係性」でしか捉えられないのです
青江さん:
「諸法無我は、絶対的なものは存在しない、すべてのものは互いに影響している、ということを教えているものです。
私が見ている津田さんは、生まれた時の津田さんとも、明日の津田さんとも違う存在です。あるいは、仕事仲間、家族、友人、いろんな見方がそれぞれにあるでしょう。
そう思うと、津田さんの絶対的な存在はどこにあるんだろうってなりませんか?」
うーんと唸りながら考えてみたものの、あれこれ断片が浮かぶばかり。頭が沸騰しちゃいそうです。絶対的な自分というのは、なかなか定義できそうにありません。
青江さん:
「そうですね。となると言えるのは『僕から今見えてる津田さん像はこうです』だけ。それは嘘でもまやかしでもありません。
つまり、互いの関係性の中で認識できたことでしか何事もとらえられないんだ、というのが諸法無我です。
人付き合いはまさに関係性。私たちの生活は一人で成り立っているものではありません。だから考えるべきは『周りとの関係をどう結ぶか』に尽きます」
存在は関係性の中にだけある……。聞けば聞くほど、この世界を見る目が変わりそうなお話です。
青江さん:
「絶対的なものはありませんから『人付き合いのうまさ』も、また幻です。
仏教では、実体がないものを追い求めてしまうから、私たちは悩み苦しむのだと言われています」
青江さん:
「諸行無常と諸法無我。まとめると、自分自身は変わっていくもので、唯一存在していて意思をもって変えられるのは『自分と相手の関係』だけ、ということ。
そこに気づけたら、今ここにいる私が相手との関係をいかに楽しいものにするかに集中できるはずです。むずかしく聞こえるかもしれませんが、これはお互いに無理がなくて、実は楽なことでもあると思います」
色々あるけれど人生は一本の道です
青江さん:
「人生というのは一本道です。自分だけで過ごす時間があり、家族や友人と過ごしたり、仕事に行ったり、だれかと他愛ないおしゃべりをしたり。色々なことがあり、縦に並べると一本の道になるのです。
ひとりの時間も、人付き合いも、一本の道の別の側面。目の前にひとりの時間があれば、それを存分に楽しめばいい。みんなと一緒ならば、そこで何がしたいか、何ができるのか、どうすれば楽しいかを考えたらいい。
大切なことは『変化を受け入れること』。諸行無常という言葉の通り、私たちは絶えず変化してしまうものです。さらに本を読んだり、話したりすれば、知識も経験も感受性も違う存在になっていきます。変化をしながら、それぞれの道を歩いているということです」
▲ひとりの時間。みんなといる時間。それらを積み重ねて人生という一本の道になると表す青江さん
青江さん:
「だからこそ『今・ここ・私』を大切にしましょう。いま好きなこと、興味があること、苦しんだり悩んだりしていること。それは何だろうと考えていくしかありません。
人生には、ふと立ち止まって考えなければいけない瞬間もあるんだと思います。『歩く』という字は『少し止まる』と書きますね。ちょっと止まることで、今ここはどこだろう、自分はどうしたいんだろう、と考えるための余白ができることってありませんか。
ずっと歩いているだけでは疲れてしまう。立ち止まる瞬間もあるからこそ、またそれぞれの道を歩いていくことができるものです。ゆっくり、ゆっくり、焦らずに進んでいけばいいのかなと思いますよ」
今、ここにある自分。今、ここにいる相手との関係性。
ひとりも好きだけど、人付き合いもうまくなりたい。そのふたつは関係するものというより、今・ここ・私の積み重ねでしかないのだと、青江さんは言います。だから目の前の時間を大切にしなさい、と。
ならば、相手の顔色を伺うばかりでなく、「今ここの私がどう感じているのか、相手との関係性をどうしたいと感じているのか」に、まずはちゃんと目を向けるところから始めよう、と思いました。さながら観察日記です。
そんな心持ちで先日、久しぶりの友人たちと会ったら、すごく楽しい夜になりました。最近はじめたという趣味の話から、行きたい場所ややりたいこと、自分にも相手にもこんな一面もあったのかと話が尽きませんでした。
これからも相変わらずだとは思うけれど、この日の出来事はちいさな自信になりました。
悩んだり、苦しんだり、立ち止まったりしながら、ゆっくり一歩ずつ歩いたところが自分の人生になる、という青江さんの言葉が、いまの私の心に残っています。
【写真】鍵岡龍門
もくじ
僧侶 青江覚峰
浄土真宗東本願寺派 湯島山緑泉寺住職。米国カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。「暗闇ごはん」代表。超宗派の僧侶によるウェブサイト「彼岸寺」創設メンバー。
▼これまでの青江さんの連載はこちらから
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