【自分らしく生きるには?】第2話:できるだけ付き添いたい。母親との別れは密な時間に。
ライター 長谷川未緒
新生活がはじまる春は、これからの生き方について考えるひとも少なくないのでは?
特集【自分らしく生きるには?】では、専業主婦から古道具屋の店主を経て、大人のための普段着のレーベル「CHICU+CHIKU 5/31」でデザイナーを務める山中とみこ(やまなかとみこ)さんにお話を伺っています。
「身の丈に合った範囲で冒険してきた」と語る山中さんに、第1話では、少女時代の思い出を語っていただきました。
第2話では、上京後の暮らしや、離れて暮らしていた母親の介護など、悩みが多かったという前半生について、お聞きします。
あこがれていた東京ライフだったけれど……
大学卒業後は青森に帰ることを両親と約束し、首都圏の大学に進学した山中さん。
あこがれていた上京後の生活は、どうだったのでしょう。
山中さん:
「幼い頃から両親と離れて暮らしていたので、ホームシックになることはなかったんですが、なかなか友だちはできませんでした。
都会での新しい生活にまだ馴染めておらず、積極的に話しかけることができなかったのだと思います」
山中さん:
「ずっと上京したいと思っていたわりには、それほど頻繁に東京に出かけるわけでもありませんでした。
たまに電車に乗って、渋谷にできたばかりのパルコなんかに行くんですけれど、雑誌で見ていたほどには、東京のひとって毎日すごくおしゃれをしているわけじゃないんだな、なんて思ったり(笑)。
でもはじめて雑貨屋さんに足を踏み入れたときには衝撃を受けましたよ」
山中さん:
「青森では、雑貨だけを取り扱う店というのはなくて、デパートの一角に置かれているだけでした。ところが東京の青山や渋谷には雑貨の専門店があったんです。
大学2年生になって、寮を出てアパート暮らしを始めてからは、そうしたお店で器などをちょっとずつ買い揃えていきました。
はじめて自分の部屋を持ち、空間作りも好きだったので、わくわくしましたね」
青森には帰らないと決めた
大学時代、山中さんは現在のご主人と出会います。
山中さん:
「夫はアルバイト先のオーナーの友だちでした。大学時代から交際をはじめ、卒業後は結婚しようと。
わたしは青森に帰るという約束で上京させてもらっていたので、両親には全く話していませんでした。どうして青森で就職先を探さないのかと、ずいぶんいぶかしんでいましたね。
『東京で就職します』と伝えたときには、『話が違う!』と父が激怒。
姉はもう結婚していましたし、兄は障がい者施設にいましたから、両親としては私に、お婿さんをもらいお墓を守ってもらいたかったんだと思います」
山中さん:
「父にどれだけ怒られても、だまって聞いているしかありませんでした。
家族には悪いことをしたと今でも思うのだけれど、青森に帰るという道を選ぶことはできなかったんです。
最終的には姉夫婦が父を説得してくれて。でも、納得したわけではなかったんでしょうね。
結婚のあいさつに帰省したときも、父が『会いたくない』と言って、前日まで向こうではもめていたそうです。
母は、たぶん父を説得してくれていたんじゃないかと思いますけれど、自分の気持ちをいうひとではなかったので、会ったときにはいつも黙っていました」
母親とふたりだけの時間を過ごして
その後、24歳で結婚し、二人の子供を出産。
多忙な中でも、1年に1度は必ず青森に帰省していましたが、40歳のとき、父親が他界します。
山中さん:
「持病があったとはいえ、急な展開だったので死に目にあうことができなかったんです。
永遠の別れは突然やってくるのだと骨身にしみて感じました」
山中さん:
「その3年後、母にがんが見つかりました。
当時、わたしは古道具屋を営んでいましたが、父とのことがあったので、看病したい気持ちに迷いはありませんでした。
すぐに店をたたみ、子どもたちはもう高校生でしたから『洗濯も食事も自分たちでやってください』と頼んで、青森の母の元にむかいました。
3か月ほど付き添い、容体が落ち着いたところで帰宅。それからは母が入院するたびに、青森に通う生活を10年ほど続けたんです」
山中さん:
「入退院のたびに東京から娘がかけつけるわけですから、自分の状態に気がついていたかもしれませんが、母にはがんだということを告げていませんでした。
そんな母は、わたしが東京に帰るときいつも『家計の足しに』とおこづかいをくれるんです。お札をティッシュに包んで。
自分のものを買えばいいのに、買わないんですよね。
ありがたくいただいて帰りましたけれど、お互いに本音を言わずに察して行動するわたしたちって、小津安二郎の映画の登場人物みたいだな、なんて思っていましたね」
かすみ草が好きだと、はじめて知った
亡くなるひと月ほど前からは、もう入院したくないという母のために、自宅で介護をしました。
山中さん:
「ずっと離れて暮らしていた母との、ようやく訪れた濃密な時間でした。
あいかわらず母は自分の希望や思っていることを口に出すひとではなかったので『何か食べたいものない?』と聞いても、『なんでもいい』と。
2階で休んでいても、朝ちゃんと着替えて1階におりてくるんです。体がきつかったら、寝ていたらと言っても、横にならないんですよ。
わたしがいるから心配させまいと気をつかっているのかな、と思うと切なくて。
母が休めるように、買い物に行くと言って2時間くらいぶらぶらして帰ったりしていました」
山中さん:
「あるとき、かすみ草を買って帰ったら、『その花、好きなの』と。
母が好きなものをはじめて知った瞬間でした」
かすみ草で祭壇を埋め尽くし、母親を見送ったあとは、義父の介護も始まり、40代から50代は思い悩むことが多かったそう。それでもやりたいことを手放さなかった山中さん。
続く第3話では、男の子が産まれた時点で、べったり仲良しはあきらめた、という子育ての話や、一番たのしいと語るいまの生活について、お聞きします。
(つづく)
【写真】小禄慎一郎
もくじ
山中とみこ
1954年生まれ。専業主婦、古道具屋店主、小学校の特別支援学級の補助職員などを経て、2003年49歳のときに大人の普段着のレーベル「CHICU+CHICU5/31(ちくちくさんじゅういちぶんのご)をスタート。著書に『時を重ねて、自由に暮らす』(エクスナレッジ)、新刊に『山中とみこの大人のふだん着』(文化出版局)がある。インスタグラムは @chicuchicu315
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