【ムーミンとトーベさん】後編:あいまいでむだなものにも、生きていくのにたいせつなものが入っている

編集スタッフ 津田

大人になった私たちに、ムーミンとトーベ・ヤンソンが教えてくれることとは。フィンランド在住の翻訳家で、ムーミンを心から愛する森下圭子(もりした けいこ)さんと、森を歩くようにたっぷりとお話をしています。

後編では、ムーミンに出てくる生きものたちの生きづらさや、不器用さ、その愛おしさについて考えてみました。

前編はこちら

 

「わしを仲間に入れないで、おまえたちだけで消したって?」

大人になってから、はじめて『たのしいムーミン一家』や『ムーミン谷の夏祭り』を読んだとき、「大切なのは、自分のしたいことがなにかを、わかってるってことだよ」というスナフキンの生き方に、あこがれをもちました。

けれどもそれと同じくらい、私の胸に沁み入ったのは、そうはできない、うまく生きられない人たちの悲喜こもごも。

とくに『ムーミンパパ海へ行く』と『ムーミン谷の十一月』の二つの作品には、大人のジタバタがたっぷりと描かれていて、自分の弱さを抱きしめられたような、大人も懸命に生きているんだと言ってもらえたような、安心感がありました。

たとえば、物語の始まりはこんなふう。

「八月末のある日の午後、ムーミンパパが手持ちぶさたで庭を歩き回っていました。なにをしたらいいか、わからなかったのです。」

毎日が平和すぎて、ものたりないムーミンパパ。ムーミン谷で小さな山火事さわぎがあり「ぼくたちで、すぐに消したんだ」という家族に、いかりが込みあげ「わしを仲間に入れないで、おまえたちだけで消したって?」と拗ねるムーミンパパ。そしてある日、一家ではるか海のむこうにある小島にわたって灯台守になる、と言いだします。

ムーミンたちが、あのムーミン谷をあとにするという、家族にとっての大きな変化と、ムーミントロールが自立していく姿や、パパやママの人生の停滞期の葛藤を描いたようにも読める物語です。

 

風の声、雨の音色、人間と同じように自然とかかわること

森下さん:
「すごく魅力的なおはなしですよね。

それまでの作品は、ムーミン屋敷という、絶対的な安心できる場があって、冒険をしても、最後は家に帰ってくるハッピーエンドでした。ムーミン屋敷の存在が、読者の安心感でもあったと思うんです。ところが、この作品では、それがなくなります。しかも、登場人物がすくなくて、自然との関わりがこれまで以上に際だつ印象です。

この自然の描かれ方は、私がムーミンの背後にフィンランドあり、と思う部分でもあります。

トーベ・ヤンソンは子どもの頃から夏になると群島で暮らしていました。フィンランドでは、大自然の中で夏を過ごすのは一般的なのですが、トーベは子どもの頃から、小さな岩礁に勝手に小屋を建ててみたり、ボートでひとり島めぐりしたり、ムーミンの中にあるような冒険や自然との関わり方をしていました。

自然と共生する暮らし、トーベの冒険、それらがムーミンの世界に生きている。

何人かで森を歩いても、見えてくるものが違うように、私たちはムーミンを読みながら、それぞれに違ったところに目をやったり想像を広げたりしている気がします」

 

心の奥深くほりさげた穴に、たいせつなものをしまっておくのです

まさに、トーベの冒険とムーミンの世界をとおして、私たちは私たちなりに世界の見方を広げることができる、と感じた一節がありました。

冬も間近な、ひっそりした秋のひとときは、いやな時期だと思ったら大まちがいです。せっせとせいいっぱい、冬のたくわえをして、安心な場所にしまいこむときなのですからね。自分の持ちものを、できるだけ身近に、ぴったりと引きよせるのは、なんと心地よいことでしょう。自分のあたたかな思いや考えをまとめて、心の奥深くほりさげた穴にたくわえるのです。その安心なところに、たいせつなものやかけがえのないもの、そして自分自身までを、そっとしまっておくのです。

『ムーミン谷の十一月』

はじめて読んだとき、自分の欲しかった言葉だとじーんとしてしまい、思わず涙をこらえました。どうしてトーベは、今を生きる大人の私たちにまで、こんなにも響くものが作れたのでしょう。

森下さん:
「『なんでトーベは私の気持ちが分かるんだろう』。そう感じる人も多いんです。自分がそのとき必要な言葉に出会えることもよくあって。だから私はムーミンを読み続けるのかな。

フィンランドでは、トーベ・ヤンソンでイメージされるのが、愛と自由と勇気。これは本人も大切にしてたことです。物語を構成している自然や人々のさまざまな営みの中に、愛も自由も勇気もあって、これが読むごとに違ったかたちで響いてくるというか、沁みるというか」

森下さん:
「話はすこし変わりますが、直訳すると『感情的孤独』という言葉を、フィンランドでしばしば耳にします。孤立感と言ったらいいでしょうか。社会としてどう取り組むべきか話題になったりします。

ある学者は、金曜日にはすれ違う人全員に挨拶するとおっしゃっていましたが、私自身はトーベの物語の中に見られる『自然との関わり方』にヒントがあると考えられないかなって。

森を歩いているときの生きものの気配、風が頬をさわっていくときの感触、葉擦れの音、雲の様子、花の匂い。人間だけでなく、自然も他者として意識的に関わったら、孤立というものも、すこし変化していくのではないかなと」

 

あらゆることが「役に立ちそう」じゃなくてもいいのかもしれない

トーベが持っていた自然や他者と関わる好奇心、そして自分のことをあたらしく知っていく好奇心。それらは、ムーミントロールにもしっかり受け継がれています。

森下さん:
「好奇心というと、生産性を考えることありませんか。為になるとか、役に立つとか。でも、ムーミントロールはそういうことがない。

他の人には無駄に思えても、そんなこと関係ないんです。またムーミンママが、そんなムーミントロールの背中を押しているのです。

私たちの中にも、将来性や成長とは関係なく、好奇心はすでに存在していて、そういう、いっけん “むだなもの” が、人生を私らしくしてくれるのかもしれません」

 

待つことができるのは、きっと希望があるから

約束していたインタビューの時間が終わりに近づくと、森下さんは、ムーミンとトーベからもらったものについて、こんなふうに話して聞かせてくれました。

森下さん:
「ムーミンを読むと……、時間はかかるかもしれないけれど……、なんだろう、今、パッとうまく言葉にならないけど……。

ムーミンを読むと、私のなかには、きっと、いつも希望がある気がしているのかな。

こうしなきゃってわけでもなく。こうだよって説明されているわけでもなく。だけど私の中には、希望が生まれているように思います」

言い淀んだり、言い直したりしながら、たっぷり時間をかけて言葉を紡いでくださったのが、とても心に残りました。

それで思い出したのが、『ムーミン谷の仲間たち』の『春のしらべ』という短編。

スナフキンがあたらしい歌をつくろうとしていて「もう何日もあたためてきたもの」だけど「まだ外へ取り出す気にはなれない」というくだりがあります。「むくむくとふくらんで、すっかりしあわせなものになるまで、待たなくてはいけませんからね」。そうでなければ、台無しになってしまうというのです。

森下さん:
「あのおはなしも、とてもいいですよね。

そうそう。スナフキンが待つことができるのは、やっぱり希望があるからじゃないでしょうか。

生まれるか、生まれないか、わからない。でも大丈夫。どこかに確信めいた『大丈夫』という感覚がある、それが希望なのかな。

役に立つかどうかとは関係のない好奇心、答えをいそがずに待つ姿勢と、大丈夫という感覚。どれも時代に逆行しているようですが、でも、これらは私がムーミンを読んでいるときに感じる、希望の背景なのだと思います」

 

遠くにあるようで、ほんとうはいつでもそこにあるもの

このインタビューのあと、『ムーミンパパ海へ行く』と『ムーミン谷の十一月』を再読しました。

そんな私は、はたから見てもなにも変わっていないのだけど、たしかに内側ではなにかが変わったのだと思います。

たとえば、自宅を出てから会社に着くまでの道のり。ふと見上げた空の青さ、風にのってくる夏のはじまり、道ばたの花の匂い、そういうものに、前よりもずっと、気づきやすくなりました。

それは、新しい自分になっていくようでもあり、ほんとうの自分を探すようでもあり、もともとのいるべきところへ戻っていくような感覚でもありました。

遠くにあるようで、ほんとうはいつでもそこにあるもの。自然と関わることで見つかるもの。そういうものも自分をつくっているという確信めいた感覚。

森下さんと一緒に、森の中をのんびり歩くように話して見つけたのは、きっとそういうものだったのだろうと思います。

(おわり)

 

【写真】土田凌、森下圭子(1,7,8枚目)

【参考】ムーミン全集[新版](講談社)


もくじ

 

森下圭子

1969年生まれ。ムーミンの研究がしたくて1994年の秋にフィンランドへ。夏は島めぐり、秋は森でベリー摘みに始まって茸狩り、冬は寒中水泳が好き。ヘルシンキ在住で、取材や視察のコーディネートや通訳、翻訳の仕事をしている。映画『かもめ食堂』のアソシエート・プロデューサー。訳書に『ぶた』『アキ・カウリスマキ』、ミイのおはなし絵本シリーズ、『ぼくって王さま』『トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉』『ムーミンとトーベ・ヤンソン 自由を愛した芸術家、その仕事と人生』など。

 


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