【愛おしい時間のかけ方】後編:「いいもの」でなくたって、時間をかければ特別なものになる
編集スタッフ 松浦
入学、就職、異動、転勤、そして引越し。新しいものに囲まれる4月はいくつになってもそわそわするもの。周りと歩調を合わせるため、ほんの少し背伸びしたり、新しい環境は、居心地がいいとは言えないものです。
でも、今がだめでも大丈夫。どんなものも、すぐに捨てたり、投げ出すことをせず、「時間」をかけさえすれば、きっとそれはちゃんと大切なものになるはず。
後編では、この「長く大切に時間をかけること」を考えます。お話を伺ったのは、青梅で150年「できるだけ長く使ってもらえる傘」をモットーに傘店を続けられている、ホテイヤ傘店のご夫婦です。
「壊れた傘、直します」創業約170年の傘店を訪ねました。
レトロな昭和の街並みが残る東京・青梅。 駅からほんの数分のところに、今ではあまり見かけなくなってしまった傘専門店があります。名前は、ホテイヤ傘店。創業は江戸時代末期というから驚きです。
店内には、本格的な長傘から、雨天兼用の日傘、伝統的なほぐし織り、子供用の傘など、様々な種類の傘がまるで迷路のように並びます。その佇まいに圧倒されながら、恐るおそる傘の間を縫うように店内へ。
「全部で3000はあるね。いや、それ以上だな」店内を見渡し、そう語るのは店主の荒井亮太郎さん。奥様の澄江さんとふたりでこのお店を営んでいます。
早くにお父さんを亡くした亮太郎さん。戦時中、店を切り盛りしていたのは亮太郎さんのお母さんでした。働く母の姿をみて育った亮太郎さんは、高校卒業と同時にこの店を受け継ぐことを決意。
以来、約60年にわたり、夫婦二人三脚で、店の看板を守り続けてきました。
店のモットーは、「お気に入りの傘をできるだけ長く使ってもらうこと」。
傘を売ることが第一の傘屋にもかかわらず、「長く使ってほしい」という思いひとつで、壊れてしまった傘の修理も受けています。
「新しい傘を買ってもらえるのはもちろん嬉しいけど、それを大切に使ってもらう方がもっと嬉しいかもしれないね。商売としてはどうかね〜」と、亮太郎さんは苦笑い。
「いいもの」でなくたって、時間をかければ特別なものになる
「いいもの」だから、直しながら大事に長く使い続けたい。そう思うのは当然かもしれません。でも、直して使う価値のあるものは、高価なものだけでしょうか?
「どんな傘でも直します」そう言って、ホテイヤ傘店は一見ふつうの傘でさえ、大切に修理に向き合ってきました。
亮太郎さん:
「雨の翌日。道端で捨てられたビニール傘を目にすると、本当に悲しい気持ちになりますよ。ビニール傘だって、大切に使っていれば長持ちするんですから。使い捨てなんてもったいない」
そんな亮太郎さんが手にするのは、すり減ったり、傷があったり、曲がったり、どれも年季の入った道具たち。
職人の道具は、その人の手の形や癖で形を変える、という話を聞いたことがありますが、この道具たちはどれもその言葉通り、すっかり亮太郎さんの手に収まっていました。その様子はまるで体の一部。替えの効かない、この世でたったひとつのものです。
長い時間をかけ、ふつうが特別になる。この道具と亮太郎さんだけが知っている時間がそこに刻まれているからなのかもしれません。
まずは「大切に使う」を知ることから
傘ひとつとっても、「使い捨て」が主流になりつつある、この時代。
荒井さんたちが子供の頃から当然のようにしてきた「ものを大切に使う」ということそのものが、私たちには少々ハードルの高いことになっているのも事実です。
亮太郎さん:
「大切にします!って言うのは簡単。でも長持ちさせる方法を知らないと、大切になんかできないんだよね。だから、まずはすべてのものにおいて『正しい使い方』を知ることからはじめてみるといいかもしれないね。どんな想いよりも、行動なんだよね」
そう言うと亮太郎さんは「この傘、しまってみて」と、私に傘を手渡しました。
わ、試されている!と心の中で焦りながら、いつものようにキュッと巻いて見せる私。あれ上手くできたんじゃない?と思い、顔をあげると、亮太郎さんが渋そうな顔をしています。
「そんな雑巾絞るみたいに巻いちゃったら、傘がかわいそうですよ」と、亮太郎さんの『傘のしまい方講座』がはじまりました。
傘のしまい方、知っていますか…?
もし、みなさんの近くに傘があれば、ぜひに試してみてください。
まず最初に、何より気をつけないといけないのは、手元の露先(つゆさき:骨の先端部分)と言われる部分をきれいに揃えること。
次に、もう片方の手で傘の生地を一枚一枚ピンと張り、露先を束ねている手を回しながら、巻いていきます。
この時、生地を持つ手は、絞り上げるのではなく、優しく包み込むのがポイント。たいていは、この時に力を入れ過ぎてしまい、傘の骨がねじれてしまい、傘に負担がかかってしまうそうです。
あとは、バンドをくるりと留めればOK。
右が、はじめに力を込めて巻いた失敗作。左が、教えてもらいながら巻いた「正しいしまい方」。手元の露先が、きれいに揃っているのが一目瞭然です。
ほんの少しの知識で、「大切」に使い続けることができるのだと、亮太郎さんは語ります。想いだけではなく、ぐっと具体的になった「大切にする」ということ。傘を閉じるたび、そんなことを考えるようになりました。
店の奥でお話を伺っていると、小学生くらいの女の子とお母さんがふらりとやってきました。
新学期に向けた買い物でしょうか。真剣な表情で傘を選ぶ女の子。「これにする!」と手にした小さな黄色の傘に、亮太郎さんは、その子の名前を彫ってあげました。
新しい自分の傘を手にして満足げな女の子に、「ところで、傘のしまい方って知ってるかな?」と、すかさず亮太郎さんの傘のしまい方講座がはじまります。熱心な説明に、一緒に来ていたお母さんも興味津々。 「できないよ〜」と苦戦する女の子に、今度はお母さんが教えます。
しばらくすると、お母さんも新しい傘を持ってレジへ。「名前、彫りますか?ローマ字もできますよ?」と亮太郎さんの言葉に、「あ、イニシャルでもいいですか……」と恥ずかしそうにお母さんが答えます。
「じゃ、大切にね」そう言って、名前の入った新品の傘をふたりにそっと手渡す亮太郎さん。そんな姿に、ちょっと先の未来を想像してしまうのでした。
5年、10年…… 時を重ねて生まれるもの
『ものを大切に、できるだけ長く』そうやって、店を守ってきたふたりは、暮らしにもその精神が根付いていました。
店の奥の母屋で、澄江さんが見せてくれたのは、嫁入り道具として持ってきたというアイロン。50年以上たった今も現役だというから驚きです。重さがちょうどよく、コードの部分だけ取り替えて、使い続けているという澄江さん。
「このアイロンを使ってるとね、結婚したての頃をたまに思い出すのよ。まだ若かったから、いろんな所に出かけたわね。
でも、新しい環境で暮らすって、楽しいだけじゃないのよ。今まで普通だと思っていたことがそうじゃなかったり、色々我慢してたこともあったわ。まあ、今となっては昔のことだけどもね(笑)」と、ひそひそ声で話す澄江さん。
長く使う理由。きっとそこには、使いやすさだけではない、もうひとつの理由がある。
そんなことを思うと、ふとこのアイロンが、いろんな経験や思いを共有している、澄江さんの暮らしの相棒のように見えたのでした。
取材の最後。店の前で、ふたりの写真を撮りました。
「腰掛けるかい?」と、そっとイスを差し出す亮太郎さんに、にこりと微笑む澄江さん。10代で出会ってから、今までずっと。楽しいも辛いも一緒に歩んできた人生の相棒。5年、10年、60年……時を重ねて生まれた関係が、ここにもありました。
「新しい」で溢れる春。
新しい景色と、新しく出会った人と、新たに迎え入れたもの。 じっくり「時間」をかけて、相棒と呼べる、愛おしい関係を築いていきたい。
あと5年、10年、そのもっと先の自分を想像しながら、そんなことを思うのでした。
そして、いつまでもこの新しい気持ちを忘れないように。 今日という一日も、そこに刻まれる大切な時間です。
(おわり)
【写真】原田教正
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