【フィットするしごと】「こうありたい」と「これしかできない」のはざまで日傘を作る(前編)
ライター 小野民
「フィットするしごと」をテーマにした本企画。本日はクラシコムジャーナルで公開された記事を一部変更して再掲載いたします。
お話をうかがったのは、「Coci la elle(コシラエル)」を主宰するひがしちかさん。
好きなことは絵を描くこと。手元にあるのは、縫製用のミシンとハサミ。
ひがしさんが「雇われないで生きていく」とだけ決めて無職となったとき、彼女が持っているものはとても少なかったといいます。
でも、だからこそ。自分の持てるもので勝負する方法を真剣に考えた結果、一点ものの日傘を作る「日傘作家」として自らの力で立つことになるのです。
ひがしさんが生み出す傘は、開けばぱっと周りの空気を変えるような、不思議な華やかさをたたえています。それはコシラエルの名前の通り、ていねいに作られた宝物のような雰囲気です。
無謀とも思われた起業から10年、いまや東京と神戸に2店舗の直営店を持つまでにコシラエルは成長を遂げましたが、順風満帆に見える活躍の裏には、他にない仕事を選んだこその困難も。
日傘作家になる決意の裏にあった想いや、唯一無二の道の険しさ、やむにやまれぬ「天職」についてのお話などを、新天地の長野県のご自宅でうかがいました。
幼い頃から考えた、仕事ってなんだろう?の答えを探して
──コシラエルとひがしさんのことは存じ上げていたのですが、「すてきなお仕事をされているワーキングマザーにお話を聞きたい」と考えていたら、あらためてひがしさんのことが思い浮かんだんです。そうしたら、なんと1年前に東京から長野県にお住まいを移してらして。
私も山梨に住んでいるので、なんだか暮らしている環境が近くて勝手に親近感が湧いています。庭には鶏が放し飼いされていたり、薪ストーブがあったり、とてもすてきな生活ですね。
ひがし:
山好きな夫の希望で引っ越してきたのですが、私もとても気に入っています。
──ここで日傘を作ってらっしゃるのですか?
ひがし:
そうなんです。いずれはアトリエを作りたいと考えているんですが、今は家の土間で作業しています。
──「日傘作家」というひがしさんの職業は、かなりオリジナリティがあると思います。どのように「日傘を作って生きていく」と決めたのでしょうか?
ひがし:
たぶん、ずっと探してたんだと思うんですよね。
子どもの頃から自分の手の平をよく見ている変な子どもだったんです。「どうして自分は生まれてきたのだろう」とかそういう謎をずっと考えていて、その地続きで、高校生の頃から、自分が何をする人なのか、何者なのかという答えを求めていました。
日傘を作ろうと思い立ったのは、27歳の頃。「何者なのか」って問いでずっとぐるぐるしているから、どうにか抜け出したかった。
「世の中には、楽しそうに仕事をしている人がいるなぁ」って思っていました。どんな仕事でも、いい顔して仕事をしている人っているじゃないですか。そういう風に自分もなりたかったんです。
服飾の専門学校を卒業していたんですが、子どもを産んで1人で働きながら育てていたので、勉強したことを生かすということもしていなかった。完全にお金を稼ぐということに振り切って仕事をしていたんです。
──「いい顔で仕事をしている」っていい指針ですね。
ひがし:
はい。当時はそうじゃなかったから、余計にそう思ったんでしょうね。働くことに関しても、高校生でバイトをしだしてからずっと考え続けてきました。「時給ってなんだろうな」とか本当に基本的なところを考え始めちゃうんです。仕事に関して考えすぎて、腑に落ちなかったりしてたから、自分の理想の仕事や働き方を根底では探していた。
──それで日傘に出会った。
ひがし:
というわけでもないんです(笑)。
仕事について考えていくと、そもそも勤めるのが私には無理だと思うに至りました。よく自由人みたいに捉えられるんですけど、真面目で小心者なので、何時に決められた場所に行く、という通勤が過度のプレッシャーになっちゃう。それでお勤めは、何回も辞めちゃうから、独立しようとだけ最初は決めたんです。
──そこからスタートするのがすごい。本当に嫌なことにちゃんと素直になるって、大事なことだけど、なかなかできません。
ひがし:
独立を決意したのは、リリー・フランキーさんの本に背中を押されたのもあって。「できないことが分かるのも才能」って書いてあったんです。
できないことが増えると、だんだん自信もなくなってくる。それで可能性もどんどん狭まっていく。18歳の頃は可能性しかなかったから選択肢が多すぎて悩むわけですが、27歳の私は、だいぶできないことだらけだった。
──娘さんもいらっしゃるから、自分にかかる制限以外もあったと思います。仕事を辞めて、しばらくはどうやって生活していたんですか?
ひがし:
そのときはちょうど母子寮に住んでいたから、家賃がかからなかったんですよ。だから「今しかない」と思って。でも、そうはいっても生活費はかかりますから、しばらくはごはんは、白飯と納豆だけ。おやつは干し芋という暮らしをしていました。
──具体的には、どうやって「自分の仕事」を探していったんですか?
ひがし:
毎日、娘を保育園に送ったその足で図書館に行って、考えていました。本を読んだり、考えを整理したり、とにかくずっと図書館にいました。
でも、その頃読んでいたのは、自己啓発本とか、起業の本とかなんです。美術書を読むんじゃなくて、どうやって生きるか、どうやって会社を立ち上げるのかを中心に読んでいましたね。
好きなことは絵を描くこと。持っているものはミシンとハサミ。
──図書館通いは、どのくらい続いたんですか?
ひがし:
1ヶ月くらいです。そんなに長く無職でもいられないから、だんだん考えをまとめていこうとして、本当にある日突然、「日傘だ」って思ったんです。服飾の学校に行っていたからミシンとハサミが家にあって、絵を描くことが好き。その条件でできる仕事をずっと思い描いていたので、「これだ」と。
傘を買って分解してみたり、パーツを作っているところを探して問い合わせたり、まさにゼロからのスタートでした。
──そこから名実ともに日傘作家になっていくわけですが、傘を作りためて、展示をしてだんだん評判をよんで、仕事になっていったのですよね。でも、傘って値段をつけるのもとても難しそうです。
ひがし:
すごく難しいです。最初は8000円くらいで売ってましたが、それだと食べていけなくて(笑)。周りの人が仕事にしていくうえですべきことを教えてくれて、なんとかかたちになっていったんです。今の傘の値段も、百貨店でバイヤーをされている方がつけてくれたんですよ。
最高と最低の条件を考えて「夢のあること」を実行する
──直営店がある場所は、東京の清澄白河と神戸ですよね。立地も憧れの場所、という感じがします。その二ヶ所なのはどうしてですか?
ひがし:
まず、本音を言えば、直販じゃないと厳しいという現実があります。卸しだとなかなか利益が出ない。だから直営店があるのは、やむにやまれずという面もあるんですよ。
ECサイトもありますが、日傘は1点ものなので、Webにアップしても、一個売れたら終わり。流通のことを冷静に考えると、仕事にならないようなことをしているんです。
でも、私には本当に傘を作るしかできることがない。清澄白河にお店ができたのは人気のエリアになる前で、すごく変な物件に住むことになったことが始まりなんです。
我が家は、娘が小学1年生になるまで銭湯通いだったんです。でも、小学生になったらお風呂は必要だと思って、物件を探しました。
条件は、絵が描けて、お風呂があること。今みたいに清澄白河が「街」みたいになってなかったら、たまたま安くて、絵が描ける倉庫が借りれたんです。小上がりにお風呂と台所もあったから、「ここ、私のためにある」って思って。
そこを住居兼アトリエにして、広かったから週に1、2回お店として開けてたんです。すると、けっこう人が来るようになって。
──そんなにすごい物件があったんですね。
ひがし:
2つ借りる余裕はなかったから、本当にありがたい物件でした。とび職の友達が足場を組んでくれて、そこにのぼって寝る場所を作りました。コンクリートだから寒かったですけどね。暮らし始めて3,4年後に結婚してその家を出ることになったので、2015年にアトリエとお店はまた新しく作りました。
──神戸店ができたのはどんな経緯だったのですか?
ひがし:
神戸店は……勢いですね。神戸でコシラエルの展示があったのですが、街をすごく気に入って。散歩していたら、高架下で天井がすごく高くて柱だけがあって、すごくすてきな場所を見つけて、「ここにお店があったら」と妄想してしまいました(笑)。
お店を持つのは固定費がすごくかかるし、リスクもある。だけど、夢があることをしたいっていつも思っているんです。小さい頃から「専門店」にも憧れがあって、「日傘屋さん」っていいなぁと。
パン屋さんも大好きなんです。同じパンだけどたくさんの種類の中から選ぶという行為が好きなんでしょうね。だから、セレクトショップみたいに服の中に傘があるというよりは、専門のお店があることに意味があるんです。
──「夢があることをしたい」ってすてきな指針ですね。
ひがし:
お金もないし、時間もないし……いつもないない尽くしで何にしても大変なんですけどね。じゃあ逆に、「お金もあって何でも持っていたら、何をしたいか」も考えるようにしています。
仕事で何かやりたいときには、一切の条件を無視した案と現実的な案を同時に書き出すようにしています。例えば、DMひとつ作るにも、予算を考えないでまずはプランを考えてみる。
──制限がないところから考える。私もやってみようと思います。
ひがし:
2つも店舗を持つなんて、本当にバカだなって思うんですけどね(笑)。
でも、一点ものを作る価値を大切にしていきたいし、そのためにはお店は必要だから、継続するためにはどうしたらいいかは考え続けています。
***
後編では、コシラエルの仕事を続けていくために考えてきたことや、長野での暮らしによる変化についてうかがいます。
(つづく)
【写真】小林直博(本文7、9枚目を除く)
もくじ
前編
「こうありたい」と「これしかできない」のはざまで日傘を作る
ひがしちか
日傘作家、Coci la elle代表
1981年長崎県諌早市生まれ。ファッションに憧れて上京し、文化服装学院を卒業。 アパレルの仕事などを経て、2010年7月「日傘屋Coci la elle(コシラエル)」と称して初めての展示会を開催。手描きの絵や刺しゅうをした1点ものの日傘が人気となる。ブランド名は手仕事への敬意を込め、日本語の「こしらえる」に由来する。現在は、東京の清澄白河に『コシラエル本店』を構え、オリジナルプリントの雨傘やスカーフ、小物の制作も手がけ、初のビジュアルブック『かさ』(青幻社刊)を出版。
ライター 小野民
編集者、ライター。大学卒業後、出版社にて農山村を行脚する営業ののち、編集業務に携わる。2012年よりフリーランスになり、主に地方・農業・食などの分野で、雑誌や書籍の編集・執筆を行う。現在、夫、子、猫4匹と山梨県在住。
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