【せつなさを考える】前編:言葉にできないもどかしさを前向きにとらえてみる
文筆家 大平一枝
あの気持はどこからやってくるんだろう
SNSの進化と比例するように、言葉や周囲の反応に過敏にこだわってしまうことが増えた。私は、返事の失念防止に、仕事もプライベートも基本的に即レスが癖になっている。と、返事がないだけで様々なことが気になりだす。
あの言い方がまずかったのだろうか。この返事の仕方が……。
また、会話しながら、自分のボキャブラリーの少なさを痛感することも多々。微妙な感情をうまく言語化できず、悶々とする。
『あ、それ忘れてました(汗)』をはじめとし、書くことが生業なので、文字化すると考えがまとまる。言葉にこだわることも、本来好きだ。ところが、とりわけ人付き合いの中で、話すことの難しさを最近つとに感じるようになった。言葉にできない感情の存在に気づいたと言えばいいだろうか。
そんな話をしていたら編集の津田サンが「最近、言葉にならない気持ちを、うまく流せないし、持て余してしまうんです」とつぶやいた。
「たとえば?」
「寂しいとか、孤独とか、切ないとか、焦りとか。言葉にこだわりすぎると、何もいえなくなっちゃうみたいな。そんな風潮ってないですか?」
忖度しすぎて言いたいことを自由につぶやきにくい風潮もそうだけれど、そもそも、切なさや寂しさという感情は、恥ずかしくて、情けなくて、悪い心持ちなのだろうか?
首筋にかく汗と名指せない感情
その一つの答えを、劇団ロロ主宰の劇作家、三浦直之さんなら持っているのではないか、と津田サンがひらめいた。
『青葉家のテーブル』第2話にちょこっと出てくる切ない短歌を彼が作っていると知り、芝居を見に行ったらハマッてしまったのだという。
「三浦さんの演劇は、言葉にならない微妙なグラデーションの感情がちゃんとすくいとられて、見事に言語化されているんです」。
じつは、美大に通う我が家の娘も、今年上半期だけで2回観劇している。なかなかチケットが取れないのだと悔しがっていた。
彼が高校演劇活性化のために無料公開している戯曲がある。『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校』(略称「いつ高」シリーズ)だ。
ネットでそれを読んだ私は、さりげないシーンの記述に胸を掴まれた。
女子高生の一人が、汗かきの友達の首筋をみて、幼い頃、祖母によくおんぶされたことを回想する。
祖母もよく首に汗をかく人だった。それだけはどうしても汚く感じられてしまい、いつも顔が首につかないよう、ぐっと空を見上げていた。だからおんぶの後は毎回首が痛かった。それでもおんぶを拒否したことは一度もなかった。祖母は先月亡くなったばかり。
大好きだけど、受け入れがたいこと。それを気づかれないよう、そっと痛くなるほど空を見上げる孫。おんぶしようかと言われたら、きっと満面の笑みで「うん!」と嬉しそうにするに違いない。おばあちゃんの首の汗は苦手なのだけれど。
気遣いのできる繊細な子なのだろう。まだまだ祖母の喪失を受け入れていないのかもしれない。そんな感情をすくいといれる三浦さんに、私も会ってみたくなった。
だから、対面したときは開口一番聞いてしまった。──このおばあさんの首の汗にぐっと来ました。だれにも経験があるけれど、流れていくささやかで複雑な感情を意識して観察しているのですか?
劇作家というより思慮深い哲学者のような雰囲気の彼は、柔らかな物腰でサラリと言った。
「名指せない感情を、作品で言語化したいとは、いつも考えています」
寂しさを救い出す!
打ち合わせ場所の喫茶店に現れた三浦さんは、驚くほど腰が低く、驚くほど多読で博覧強記の人だった。好きな場所は池袋ジュンク堂書店。ほぼ毎日通い、時間の許す限りぐるぐると歩き回り「本を漁る」のが至福とのこと。
しかし、彼が名指せない感情の存在に気づいたのは本からではなく、3〜4年前の失恋からだった。けっこう最近なのだ。
「そうなんです。お付き合いしていた人と別れて、とてもナーバスになっていた時、一人でいたら寂しくなって。あれ? 今、この“寂しい”というのはどういう感情なんだ?と考え出しました。あ、俺今寂しいんだと思って、寂しいに居続けようとすると、次の瞬間にはそれが悲しいに飲み込まれてしまう。寂しさを捕まえようとすると、悲しみに切り替わってしまうんですね。それで、寂しいと悲しいは違うんだなと気づいたんです」
言葉と感情には、当然ながら幾百重にも濃淡がある。けれど、寂しさと悲しさの違いについて私は一度も考えたことがない。
今年6月、劇団ロロは『はなればなれたち』を上演した。主人公の名は「さみしい」である。来年2月、上演予定の作品名は『四角い2つのさみしい窓』。三浦さんは、寂しいという感情と、真正面から四つに組み、果敢に向きあおうとしている。
そのきっかけが失恋だったとは、告白の人間臭さに、さらに興味が募る。
寂しさを追いかけているとき、彼は親友にこう宣言したという。
「俺はこれから寂しさを悲しみから救う!」
当時を振り返りながら、自らに言い聞かせるように三浦さんは言葉をつなぐ。
「その言葉が今の自分のキーフレーズになっています。寂しいということと、もう少し肯定的に関わっていきたいのです。寂しいなかにいる時間とか、そういうものを大事にしたい」
寂しさを隠したり、否定するどころか、彼は積極的に受け入れ、かけがえのない感情として作品で表現さえしようとしている。やはり、私達の知りたい答えを持っていそうだ。
なぜ、それをかけがえのないものとして捉えられるのか。
「彼女からの連絡がクリスマス前に突然途絶えて、クリスマスを一人で過ごして年越しをして(笑)。一人でただいる、このときのこの時間、状態をいつか思い出す時に、悲しい記憶としてでなく、今の寂しい記憶として思い出したいなと。その時間が、わりと尊い時間だったりするのかなって最近思うんですよね」
ああつまり、おばあちゃんの首の汗。
おばあちゃんは好きだけれど、首の汗は苦手。でもおんぶされているときに流れていた時間はとてつもなく愛おしい。連絡を絶たれた事実は絶望だけれど、だからといって恋人と過ごした歳月やできごとまでもを否定したくない。寂しさの記憶ごと肯定したっていいじゃないか。私はそんなふうに解釈した。三浦さん、違っていたいらごめんなさい。
でも違っていてもいいのです。寂しさは、尊い感情なのだと気づけたから。そのプロセスから、たくさんの切ない音楽や文学、絵画、演劇などの芸術が生み出されていると信じられるから。
(後編へ続く)
【写真】鍵岡龍門
【撮影場所】大平邸
もくじ
三浦 直之
ロロ主宰/劇作家/演出家。2009年日本大学藝術学部演劇学科劇作コース在学中に、処女作 『家族のこと、その他たくさんのこと』が王子小劇場「筆に覚えあり戯曲募集」に史上初入選。 同年、主宰としてロロを立ち上げ、全作品の脚本・演出を担当する。 自身の摂取してきた様々なカルチャーへの純粋な思いをパッチワークのように紡ぎ合わせ、様々な「出会い」 の瞬間を物語化している。そのほか脚本提供、歌詞提供、ワークショップ講師など、演劇の枠にとらわれず幅広く活動中。2016年『ハンサムな大悟』第60回岸田國士戯曲賞最終候補作品ノミネート。
ロロ新作本公演『四角い2つのさみしい窓』
2020年1月30日(木) – 2月16日(日)
脚本・演出|三浦直之
会場|こまばアゴラ劇場 ほか
http://loloweb.jp
文筆家 大平一枝
作家、ライター、エッセイスト。長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話』(誠文堂新光社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。「東京の台所」(朝日新聞デジタル&w),『そこに定食屋があるかぎり。』(ケイクス)など連載多数。一男(24歳)一女(20歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
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