【40歳の、前とあと】第2話:「正しさ」より「自分の楽しさ」を優先させたら、人生がうまく回り始めました。
ライター 一田憲子
連載「40歳の前と、あと」第8回では、コラージュ作家井上陽子さんにお話を伺っています。
第1話では、美大卒業後上京した井上さんが、イラストレーターとしての仕事を少しずつ開拓していったエピソードを伺いました。
イラストレーションから、コラージュ作品へ方向転換し、少しずつアーティストとしての名前も知られるようになったのに、井上さんは少しずつ違和感を感じ始めます。
ものづくりをしているのにワクワクしなくなった日
井上さん:
「コラージュをやりたくて、それを仕事にしたのに、コラージュにまつわる本も出したのに……。何かが違うと思い始めました。たぶん私自身に欲が出てきて、『こうすればお客様が喜ぶだろう』という方向にどんどん流れていってしまったからだと思います。
私は子供の頃、いじめられっ子だったこともあり、誰かに愛されたい、認められたいという気持ちがすごく強かった。だから、何か大きな仕事をしなければ、自分は認められないんじゃないか、とどこかで考えていたように思います。
でも、だんだん自分の仕事がうまく周りだし、大きな仕事もいただくようになったのですが、一方で、自分は全然ワクワクしなくなっていて……。たぶん、仕事に慣れてきて、ものづくりが「自己模倣」になってしまっていたんだと思います。
そして、才能ある友人や知人が、どんどん世の中に認められて成功していきました。私がかねてからやりたいと思っていた仕事をゲットして評価されていくことが羨ましくて、悔しくて……。なんだかわけがわからないまま焦ったり、嫉妬の感情に苛まれていくようになったんです」
「陽ちゃんは、本当はどういう絵が描きたいの?」
こうして、3年間ぐらいは自分の絵が描けなくなって、苦しくてたまらなかったそう。
井上さん:
「それに追い打ちをかけるように、親友が悪気なくポロっと『陽ちゃんは、人の要求に応えたり、みんながいいっていう絵は描けるけれど、本当はどういう絵が描きたいの?』って言ったんです。自分でも確かにそうだ、と思ったからグサッときたんですよね〜。
ありがたいことに展示会のオファーはあったので、とにかくいろいろなものを作ってみました。あの頃は『なにこれ?』みたいな謎の作品がいっぱいできました(笑)」
迷路から抜け出すために選んだのは、「学ぶ」という方法
何かに行き詰まった時に、その状況を打破する方法として、井上さんが選んだのが「学ぶ」ということでした。
そこがすごいなあと思うのです。「学ぶ」とは、知らないことを知ることです。でも、それが自分がこれから行く道に役立つかどうかは、学んでみないとわからない。私だったら、直接役立ちそうな、即効性のありそうな解決法を探すだろうに、井上さんはとても着実。
学んでみて、違ったら、また別の方向へ進む……。そうやって一段ずつ納得して階段を上るからこそ、時間はかかるけれど、自分の本当に求めていた道が見つかるのかもしれません。
▲28歳の頃。友人と2人で個展を開いた
井上さん:
「描いても描いてもろくな作品ができなくて、絵じゃないのかな?と思いはじめてデザインの学校に週3回通いました。でも、学び始めたら『これは大変な世界だ』とわかって、『この道じゃないな』と思いました。
可能性が消えるって、自分ができないことがわかるから、ひとまず安心するんですよね。そのあとは絵の学校に1年間通って、造形基礎を学びました」
あれ? 私、全然幸せじゃない
▲アトリエに並ぶ作品になる前のキャンバス。なんども絵の具を塗り重ねテクスチャーを出す
仕事はいたって順調だったのに、描きたい絵が見つからない。それは、相当苦しかったことと思います。仕事を頑張りたいのに頑張れない。やりたい仕事ではないのに評価される……。やりたいことと、自分への評価のベクトルが違うと、どっちへ向かって頑張ればいいのかわからなくなります。
井上さん:
「子供の頃から、どうやったら幸せになれるんだろうと、ずっと考え続けてきました。好きな仕事ができるようになって、お金も回るようになったのに、あれ?私、全然幸せじゃないって思ったんです。やっぱり私にとって大事なことは、自分の絵を描くということと、自分らしく生きることなんじゃないかと、やっと気づくことができたんです。
そんな中で、井上さんはやっとひとつの技法と出会います。それが、蜜蝋画でした。
井上さん:
「自分の絵に迷い始めて、10年前ぐらいから、いろいろな版画の教室に行き始めたんです。しらみつぶしにやるしかなくて。でも、版画って技術をきちんとマスターしないと、作品はできあがりません。私はせっかちだから、技術をマスターする前に嫌になってしまって。活版、銅版、木版、リトグラフ、シルクスクリーンと、あらゆるものに手を出しました。
蜜蝋画も、ずいぶん前に一度習ったんですが、家でうまくできなくて10数年放りっぱなしにしていました。たまたま友達の展覧会に行ったら、蜜蝋画教室の冊子が置いてあって、そこに紹介されていた先生のところに行ってみることにしました。なんとかしたい、という気持ちだけでしたね。
やめられないこと、ついやってしまうことには全部理由がある?
同時に学び始めたのが、なんと心理学!
井上さん:
「私のコラージュの本を読んでくれた友達が、『ハウツー本なのに、読んで解放された』って言ってくれたんです。『絵ってこんなに自由に作っていいんだと知って、解放されて絵が描けるようになった」って。そうやって、誰かの気持ちを解放したってことが、じんわりと嬉しくて、私がしたいことって、こういうことなのかもしれないって思うようになったんです。
人に何かの気づきを与えたい……。それって自分が解放されたい、ってことの延長線上にあるんです。そこで興味を持ったのが、行動療法でした。コラージュのワークショップは簡単にできて楽しいけれど、それは、その人の問題の根本的な解決にはならないっていうか……。大きな怪我をした人に、絆創膏をペタッと貼って終わるみたいな感じで(笑)」
自分ってなんだろう? それは決して捨てられないものを探すこと。
行動療法を学んだことで、絵を描く姿勢がどのように変わったのでしょう?
井上さん:
「『自分の絵ってなんだろう?』と考えた時、絵の前にまずは『自分って何?』と考えたんです。ギャラリーでそこのお客様に合わせて絵を描くこともあります。だれのためでもなく、自分が描きたい絵を描くときもあります。だったら自分っていったいどれ?と考えました。
自分が自分で在るためには、必ず理由があるはず。だったら、どうしても譲れないこと、最後まで捨てたくないもの、逃げられないものが自分なんじゃないかと考えるようになりました」
そんな中で蜜蝋画と再会したというわけです。蝋を全面に垂らして乾かし、引っ掻いて絵を描くとその蝋が取れます。そこにインクを詰めて、最終的に全部の蝋を取り除くと、インクの部分だけが残るというしくみ。
井上さん:
「それにはまったんですよね〜。たぶん、引っ掻くという行為そのものが好きだったんだと思います。版画っぽい質感ができる楽しさとか、バリエーション多く作れるところとか、早く手軽にできるところとかも、私に合っていたんでしょうね。『これでいっぱい描ける!』って思いました。
以前は、誰かの要求からはずれてはいけない、という思いがずっとあって、新しいことに挑戦しているつもりでも、全然できていない、ということがコンプレックスでした。でも、蜜蝋画と出会ってから、『もういいや』と思えたんです。人のことなんて気にせずに、自分が描きたいように描けばいいと思って。
去年、蜜蝋画で高島屋さんで個展をやらせてもらいました。ありがたいことに結構売れて、間違ってなかったんだと思えました。もちろん以前のコラージュの方がいい、っていう人もいます。でも、蜜蝋画を始めてから、解放されて、またコラージュもやりたいと思ったんです。昔とはまた違ったコラージュをやってみたりしています」
正しさより、自分の楽しさを優先させる
今がいちばん楽しいと語る井上さん。40歳を目前に今まで培ってきたものを一旦手放し、ゼロから「自分がやりたいことって?』と探し直し、やっと見つけたのは、「自分に正直になる」ということだったよう。
井上さん:
「正しいからやるとか、役に立つからやるじゃなくて、『やりたいからやる』『ワクワクするからやる』というようになりました。それは、結果から推測してものごとを行わないということ。こういう絵を描いたらこんな評価を得るとか、この人と仲良くしていたらこんな未来になるとか、そんな計算で動くより、自分の楽しさを優先したいですね」
「やりたいことをやる」ということは、大人にとってとても難しいと思います。
人はみんな何者かになりたいと思います。そしてだんだん「何者かになるためには、何をしたらいいんだろう?」と考える……。すると、目的を達成するためのことしかしなくなる。そこに「やりたい」という気持ちがなくなると、どんどん苦しくなります。それが、40歳前の「迷い」や「惑い」を生むのかもしれません。
そこから抜け出すための方法が、子供の頃のように、よりピュアな方法で自分が今手掛けていることの中に、「やりたい」を注入すること……。
▲最近の蜜蝋画の作品
最後に井上さんに、40歳を前に惑っている人たちに言ってあげられることは?と聞いてみました。
井上さん:
「今って、本当に情報過多で、これが正しい、あれが正しいと、いろいろな情報が入ってきてしまうと思うんですが、そういうものを一旦シャットアウトしてでも、自分の心の声を聞いた方がいいと思います。
そして、自分に本当に必要なものは、探すだけだとぐるぐる回っているだけなので、『これかもな?』と思ったら、どんどん外に出していくことが大事。何かをやってみて、自分の外に出してみたら、新たに見えてくるものがあるんじゃないかと思います」
お話を伺って、見えてきたのは井上さんの行動力でした。「こっちかな?」と思ったら、学校に通ってみたり、版画を習いに行ったり、今までとは違う作品を作ってみたり。それは「正解」を見出すためですが、それよりももっと手前にある「違う」を見つける作業でもあったよう。
誰もがすぐに「正解」にたどり着くわけではありません。でも、やってみて「違う」とわかったら、正解に一歩近づける……。そんな労力を惜しまないことが大事。悩んだり、迷ったり、間違えたり、振り出しに戻ったり。その分井上さんの歩いてきた道は、みっしりと太くなり「これから」を支えてくれるように思えました。
(おわり)
【写真】鍵岡龍門
もくじ
井上陽子
1975年 滋賀県生まれ 東京在住。京都造形芸術大学・芸術学部 美術科・洋画コース卒業。武蔵野大学・人間科学部人間科学科 心理学専攻在学中。著書に「写真と紙でつくるコラージュ」(雷鳥社)「コラージュのおくりもの」(パイ・インターナショナル)など。http://www.craft-log.com/
ライター 一田憲子
編集者、ライター フリーライターとして女性誌や単行本の執筆などで活躍。「暮らしのおへそ」「大人になったら着たい服」(共に主婦と生活社)では企画から編集、執筆までを手がける。全国を飛び回り、著名人から一般人まで、多くの取材を行っている。ウェブサイト「外の音、内の香」http://ichidanoriko.com/
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