【フィットするしごと】スプーンの可能性に魅せられて、スプーン作家として生きていく。
ライター 川内イオ
ある日、スプーン一本でメシを食っている女性がいると聞いた。箸もフォークもナイフも使わず、スプーンだけでご飯を食べる、というこだわりの話じゃない。スプーン作家としてスプーンだけを作り、それを売って生活しているという意味だ。その人は、「miyazono spoon」の宮薗なつみさんという。
世の中には〇〇作家を名の付く人がたくさんいるけど、「スプーン作家」はどうだろう? ググってみて驚いた。最初の1ページ、スプーン作家として登場するのは宮薗さんだけ。2ページ目以降になるとスプーンを作っている木工作家さんが出てくるけど、スプーンに特化して製作している人は、見当たらない。
スプーン一本でメシを食う。なぜ、その道を選んだのだろう。スプーンといえば丸みもあって口当たり滑らかなものだけど、その道程はいかに? もしかすると、ユリ・ゲラーに曲げられたスプーンのように、ぐにゃぐにゃで険しい道なのかもしれない。
興味と疑問が募って、宮薗さんが工房を構える神奈川県の海沿いの町に向かった。その日は、夏の気配が残る気持ちのいい日だった。
100万円でも売らないスプーン
さあ、インタビューを始めようという時、宮薗さんが工房からたくさんのスプーンを持ってきてくれた。テーブルに並ぶ、色も形も触り心地も違うバラエティー豊かなスプーンを前にして、ふと思い浮かんだ質問。
このなかで、絶対に手放したくないものってあるんですか? これは50万でも売らない、みたいな?
宮薗さんは「50万ってけっこうリアルな数字ですね」と笑いながら、2本、手に取った。1本は、彫りかけの小さなスプーン、もう1本は漆塗りのかわいらしいスプーンだった。
宮薗さん:
「彫りかけのほうは、私が生まれて初めて作ったスプーンなんです。誰にもなにも教わらず、スプーンを作るぞと思ってできたのがこの形でした。もう一本は、社会人から作家になる境目の時に作ったスプーンです。一時期、漆をずっと使っていなくて、スプーン作家になるって決めてから、初めて漆を塗ったんですよね。だから、形は不恰好なんですけど取っておきたいかな」
100万円でも売らない? と尋ねたら、宮薗さんは「売らない!」と笑顔で即答した。
大学に行くか、修業に出るか
100万円でも手放さない2本のうちの1本、彫りかけの小さなスプーンは、彼女が茨城大学の生活デザインコースに通っていた時に生まれたものだ。生活デザインとは聞き慣れない学科だが、このコースを受験したのは、はっきりとした理由があった。
浪人中、鹿児島の実家でたまたま観ていたテレビで、京都にいる和菓子の木型職人が取り上げられていた。その職人は高齢で、後継者がおらず、技術が途絶えてしまうという内容だった。この番組を観て「自分が後を継ぎたい」という強い想いが湧いたそうだ。
宮薗さん:
「それまで、特にやりたいことはなかったんです。でも、テレビを観て、この職人さんの技術がなくなるなんて、ただただもったいないと思ったんですよ。その時、私は18歳だったので、今からやって間に合うんだったら、私にもできないかなって」
想いが募った宮薗さんは、両親に「大学行くか、京都に修行に出たい」と相談。両親も戸惑っただろうが、「受験して合格したら、大学に行く」ということで落ち着いた。
もともとモノづくりには関心があり、テレビ番組がきっかけでそれを自覚した宮薗さんは、美大か芸大に行きたいと考えた。しかし、美大や芸大は通常の受験と異なり、課題の提出や実技試験を求められるところがほとんど。
それまで専門的に学んだ経験のない宮薗さんにとっては、とてもハードルが高かった。そのなかで1校だけ、課題も実技試験もなく、通常の受験だけでアート系の勉強ができる大学があった。それが茨城大学の生活デザインコースだ。「ここに行く!」と決めた宮薗さんは、浪人中にもかかわらず、茨城大学1校だけ受験。見事に合格した。
最初に作ったスプーン
生活デザインコースは木工、金属加工、彫刻、絵画、グラフィックなどデザインに関わる領域を広く学ぶ学科で、そのなかでも宮薗さんが特に気に入ったのが木工だった。特に漆塗りに凝っていて、「自分がご飯を食べる時に使う道具を自分で作りたい」と、よく漆器を作っていた。その流れで作ったのが、スプーンだった。
宮薗さん:
「大学1年生の時、先輩からもらった角材で、遺跡発掘みたいな感じで、彫刻刀で木を削って作ったんです。ちゃんと使えるものを作ろうと思ってたのに、大きさも形もイメージしたものとはぜんぜん違いました(笑)。4本作ったんですけど、思い通りにできないし、作ること自体が大変で、最後の一本は、もう無理って途中でやめたんですよね。それが今、手元に残っているものです」
宮薗さんにとって、これが人生で最初に作ったスプーン。それが他人には譲らない理由ながら、この時、スプーンづくりに目覚めたという訳ではなく、大学の4年間は漆塗りに夢中だった。だから、就職活動の際、漆のプロダクトをデザインして作った実績のある商社を見つけると、「ここで働きたい!」とその1社しか受けなかった。大学受験の時といい、ずいぶんと前のめりな性格なのだ。
その勢いが突破口を開くこともあるが、時には残念な結果をもたらす。その会社に採用され、入社してすぐに気づいた。
宮薗さん:
「メインの事業は革製品だったんです(笑)」
配属先は、千葉県船橋市の某百貨店。そこのショップで皮製品の販売をすることになった。デザインも、漆もまったく関係のない職場なうえに、過酷な職場だったこともあり、1年目の秋、地下鉄の駅で倒れてしまった。それから間もなくして退職することになった。
なぜか鞄に入っていたスプーン
その後はフリーターになり、アルバイトを2つ掛け持ちして、週6で働いた。この時期は「東京で生きていくため」にただただ必死だったが、大学を卒業する時、教授から言われた言葉だけは頭から離れなかった。
「丸2年ものを作ることをやめたら、もう二度と作れなくなるぞ」
「それだけはイヤ」と、倒れる前から、手元にある道具で木を削り、バターナイフなどを作っては友人にプレゼントしていた。ハードに働いていたアルバイト時代も、仕事を終えて自宅に帰ってから、あるいは週に1日の休日に、細々と木工を続けていた。その時の木工は完全なる趣味の時間だったが、適当にモノをつくることができない性格だから、気づかぬうちに根を詰めてしまったのかもしれない。
26歳の時、再び倒れてしまう。しかも、病院では問題ないと言われたのに、翌日から起き上がることもできなくなった。心配をかけたくないと親には黙っていたが、1週間経っても容態が良くならないため、親に連絡。母親が迎えに来てすぐに鹿児島に連れ戻された。
それでもなかなか回復せず、身体を起こすことはできるようになってからも、ひとりで外を歩いたり、乗り物に乗るのが怖くなって、家の外に出ることができない。これからどうなるんだろうという不安のなかで、宮薗さんは作りかけのスプーンを手に取った。東京から実家に連れ戻される時に持ってきたカバンになぜか入っていたそうで、母親も宮薗さんも、カバンに入れた記憶はないという。実家で、少しずつそのスプーンに手を加えていたら、ある日、唐突に心が決まった。
宮薗さん:
「自分のやりたいことをやらないと、絶対に後悔する。前みたいに元気になれるかわからないけど、普通の生活に戻れるなら、モノを作って生きていこう。このスプーン1本、作り終わったら東京に帰るんだ」
目からウロコの気づき
鹿児島に戻ってから3カ月後の2011年3月、両親の反対を押し切って再び上京。倒れる前に働いていた官公庁と某私立大学の職場に復帰した。しかし、その時はもう「30歳になったら、アルバイトは辞める」と決めていた。モノづくりをして生きるために。
その年の秋、大学の先輩から声をかけられて、グループ展に参加することになった。周りの人に決意を話していたら、その先輩が「もし、これからモノづくりをしていくなら、出してみたらいいんじゃないの」と誘ってくれたのだ。
これもまた不思議なことに、その時、展示できそうなものがスプーンしかなかった。グループ展で作品を売るともなれば、ちょろっと作ってただ並べるだけでは格好がつかない。そこで宮薗さんは、デザイナーをしている大学の先輩に相談して、屋号とロゴを作ることにした。その時、先輩は「どういうスプーンを作るのか、どういう作家になりたいのか」と細かくヒアリングしてくれた。その会話から、「miyazono spoon」という屋号が決まり、現在も使用するロゴが完成した。
もしこのグループ展の時、スプーンではなく、フォークを展示することにしたら、「miyazono fork」になっていたのかもしれない。
大中小、各5本のスプーンを出したこの展示で、宮薗さんは目からウロコの気づきを得た。
宮薗さん:
「その時は、年齢性別問わず誰でも使いやすくて、自分も使いやすい1本があったら、その1本だけ作ればいいと思っていたんです。でも、展示の最初の方に来たお客さんに『このスプーン、持ちにくいわね』って言われたんですよ。あれ、私はめっちゃ持ちやすいんですけど……ってびっくりして。よく見たら、スプーンの持ち方がお客さんとぜんぜん違ったんです。そこで、人それぞれの持ち方があるんだって初めて気がついたんですよ」
それは、スプーンの奥深さに気づいた瞬間でもあった。
独立の春
この後、宮薗さんは週5でアルバイトしながら、オーダーメイドでのスプーン作りをスタートする。とはいえ、最初の頃はほとんど注文が入らなかった。ニーズがなかったというより、「自分専用スプーン」を持っている人自体がいないから、まだ市場が存在していなかったと言ってもいいだろう。
宮薗さんはこの時期、木工教室に通って、苦手にしていた「まっすぐに木を切る」技術を学びに行っていた。そこの講師をしていた家具職人と親しくなり、土日にはワークショップの手伝いをするようになった。
数は少ないながらも、週末にオーダーメイドのスプーンを作ったり、師匠の手伝いをする生活は思いのほか楽しかった。かわさき市美術展やGOOD DESIGN 2013で受賞し、少しずつ自信もついてきた。そのうちにもっと作家としての時間を増やしたい、平日も自由に動きたいと思うようになった。ちょうど二十代の終わりに差し掛かっていた宮薗さんは、2011年の誓いを果たすことにした。
その決意を表すように、それまで何年も使っていなかった漆を塗ったスプーンを作った。100万円でも売らないこの一本が完成した後、アルバイトを辞め、スプーン作家として独立した。2014年、29歳の春だった。
宮薗さんのような大胆な決断をすると、周りの人たちは、「本気なんだな」と理解する。同時に、口に出す、出さないは別にして、「ちゃんと食べていけるのか?」と心配に思って、あれこれ手助けしてくれる。これは宮薗さんに限らず、会社員を辞めてフリーランスになった多くの人が「あるある」と頷く現象だろう(会社を9カ月で辞めて、24歳でフリーライターになった僕自身もそうだった)。
それまで宮薗さんとつながりのあった人たちは、ギャラリーのオーナーや展示スペースを持つ飲食店の経営者などを紹介した。恐らく、「なにかしらの仕事につながれば」という想いがあったのだろう。そこから先は腕前だけでなく相性やタイミング、そして運も影響するが、彼女はスプーンで丁寧に掬い取るように、ひとつひとつの縁をその後に続く関係に育てていった。
もうテレビには出ないと決めた
独立から1年もすると「スプーン作家」として注目されるようになり、メディアの取材を受けるようになった。ひとつの記事が別のメディアを呼ぶことが続き、雑誌にもテレビにもラジオにも取り上げられた。その効果は大きく、2015年の春、神奈川県・等々力のギャラリー、巣巣(現在はクローズ)で2度目の展示をした時には、オープン前からお客さんが列をなし、オープンから2時間で55本のスプーンが完売した。それはもちろん、嬉しいことだった。しかし、宮薗さんは「虚しさ」も感じたという。
宮薗さん:
「当時は1日に2、3本のスプーンを製作しながら、1カ月かけて展示の準備をしていました。展示のテーマに合わせてスプーンをデザインするので、それぞれ用途も握り心地も違うんですよ。だから本当なら『これは何用のスプーンで……』とお客さんと話す役割があるんですけど、お客さんと一言も話さないうちに売れてなくなってしまって。これは、私が望む形じゃないと思いました」
同じ頃、テレビに出たら一気に360件の注文メールが届いた。そのメールに返信するだけでも一苦労だったが、本当に大変だったのはその後だった。
すべてがオーダーメイドの注文で、ひとりで複数本注文する人も多い。ひとりひとりではなく、一本一本、なにを食べることを想定しているのか、どんなスプーンを望んでいるのか、どんなスプーンの持ち方をするのかなどをヒアリングしなければいけない。
それは気が遠くなるような手続きで、注文があったすべてのスプーンを作り終えるのに、2年を要した。2015年のこの出来事以来、オーダーメイドの注文をストップすること、テレビの取材は受けないこと、展示会での販売に絞ることを決めた。
宮薗さん:
「ネット販売もしない、オーダーも受けない、展示会に行かなきゃ買えないというスタイルはお客さんに優しくないって、たまに言われたりはするんです。でも、それを崩してしまうと、たぶん私のペースが乱れてしまうんですよ。だから、会場でスプーンを持って、納得したものを買ってもらう今の形が自分にはベストだと思っています」
スプーンのポテンシャル
2016年から今に続く「会場で気に入ったものを購入してもらう」という選択は、結果的にプラスに働いた。独立して5年半、今ではだいたい1日に5、6本のスプーンを作り、毎月一回のペースで展示会を開き、用意した80本前後のスプーンがほぼ完売する。毎回の展示に顔を出し、宮薗さんのスプーンをコレクションするファンもできた。
しかし、時には「家賃、払えるかな……」と不安になることもあったという。僕が同じ立場なら、「スプーンだけってニッチ過ぎたかな」と怯え、ほかのカトラリーや食器を作ろう、合わせて買ってもらえそうだしと考えそうだ。でも、宮薗さんはアルバイトもせず、ほかのものを作ろうと考えることもなく、スプーンだけを作り続けた。その揺るぎなさは、どこから来るのだろう?
宮薗さん:
「最初の展示でスプーンの持ち方がそれぞれ違うって気がついた時に、面白い! と思って物体に対してすごく魅力を感じたんですよね。それに、食べ物を美味しく綺麗に食べることを考えたら、スプーンってすごく可能性がある道具なんですよ」
このインタビューが始まる前に宮薗さんが持ってきてくれたたくさんのスプーンが、まさにその可能性を表している。今、製作している定番シリーズはベビー用、アイスクリーム用、ディナー用、スイーツ用、スープ用、家にあるどんなお皿にでも合わせて使ってくださいというコンセプトのユアディッシュの6種類。
それ以外のもので、これなんだ? とクイズを出されて、僕も写真家もぜんぜん正答できず、答えを聞いて「ええっ!」と驚いたスプーンの一部を紹介しよう。
例えば、アップルパイのためのスプーン。「フォークで食べるとパイがぼろぼろになるし、きれいに食べられないのはイヤ」ということで、切れて刺せてすくえるスプーンを作ったそうだ。例えば、マカロニグラタンのためのスプーン。「口に入れた時に、マカロニが3本ぐらいがちょうどいい」ということで、マカロニが3本乗るスプーンを考案した。
アップルパイもマカロニグラタンも、フォークで食べる人も少なくないだろうが、宮薗さんは「これはフォークで食べるものと意識されている食べ物って多いんでけど、実はスプーンで食べた方が食べやすいよっていうものも意外にたくさんあるんです」と話す。
海に救われる。
宮薗さんにとっては、世にあるスプーン自体も、リデザインする対象になる。例えば、中華料理店で出されるレンゲ。どちらかと言えば食べにくいのに、なぜあの形をしているのだろう? という疑問を抱いて調べたところ、「蓮の花びらが一枚落ちた形を模したもの」と知る。いやいや、ぜんぜんそう見えないでしょ、と自分で蓮の花びらをモチーフにしたスプーンを作った。そのレンゲは確かに中華料理店のレンゲとは違って、可憐なたたずまいをしていて、なおかつ食べやすそうだった。
ほかにも、ハーゲンダッツのアイスを食べるためだけに作ったスプーン、「コーヒーを混ぜるスプーンで、そのままスイーツを食べたい」と作ったスプーンなどなど、ユニークで遊び心に溢れたスプーンが次々と出てくる。
ひと通り宮薗さんの説明を聞いた僕と写真家の感想は「スプーンってクリエイティブ!」。どれも使ってみたくなるし、毎回、展示に足を運ぶコレクターの気持ちも少し理解できた気がした。次の展示ではどんなスプーンが出てくるのだろうと、楽しみにしているのだ。そして自宅ではきっと、友人たちを家に招いて、「このスプーン、なにに使うと思う?」とクイズをしているのだろう(僕ならそうする)。そして宮薗さんは、スプーンのこの奥深き世界を誰よりも楽しんでいるのだ。しかし、それはググってもひとりしか出てこないスプーン作家の孤独な旅路でもある。
クイズ大会で盛り上がってインタビューを終えた後、宮薗さんに「海を見に行きませんか?」と誘われて、自宅兼アトリエを出た。3人で住宅街をぶらぶら歩いていると、秘密のトンネルのような雰囲気の通路があった。そこを抜けると、目の前にドカーンと太平洋が広がっていた。視界の限り遮るものなく、まさに大海原。
宮薗さんは明るくて話も愉快だけど、作家の生活は孤独だ。朝起きてひと息ついてから、夜寝るまで、食事の時間以外はラジオを聴きながらひとりで黙々とスプーンと向き合う。煮詰まることもあれば、思い通りに製作が進まず、追い詰められることもある。無理がたたって展示会の初日に倒れてしまったこともある。スプーン作家というほかにいない仕事をしているからこその重圧もあるだろう。
時々、ひとりで海を見に来るという宮薗さんは、「この海に救われてますね」と静かに言った。僕が「あの地平線のカーブを再現したスプーンが作れそうですね」とくだらないことを言ったら、「ハハハッ」と笑った。
写真 鍵岡龍門
宮薗なつみ
スプーン職人
茨城大学教育学部情報文化課程生活デザインコース卒業。百貨店勤務、フリーターなどを経て、スプーンだけを製造・販売するmiyazono spoonを立ち上げ。現在販売は展示会のみ。最新情報はFacebookページで更新されています。
ライター 川内イオ
1979年生まれ。大学卒業後の2002年、新卒で広告代理店に就職するも9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターとして活動開始。06年にバルセロナに移住し、主にスペインサッカーを取材。10年に帰国後、デジタルサッカー誌、ビジネス誌の編集部を経て現在フリーランスエディター&ライター&イベントコーディネーター。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンターとして活動している。稀人を取材することで仕事や生き方の多様性を世に伝えることをテーマとする。
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