【フィットするしごと】野鳥が身近な生活は、きっと心を軽くするから(後編)
ライター 小野民
不定期連載「フィットするしごと」。野鳥の魅力を伝える「株式会社 鳥」の代表、スズメ社鳥(以下、社鳥)さんにお話をうかがっています。
幼少期から変わらない鳥への愛や、会社設立に至るまでのお話に続き、開店休業状態だった会社を再び興し、専業として続けていく覚悟を決めたきっかけや、現在のはたらき方について聞きました。
街路樹のスズメに励まされて
「株式会社 鳥」を設立して5年目の2015年。開店休業状態の会社の登記は残しつつも、新しい会社で働くために意気揚々と東京へやってきました。しかしそのやる気は、瞬く間にしぼんでいくことになります。
社鳥さん:
「就職した会社は、いわゆるブラック企業でした。みるみるうちにガリガリになってしまって、入社してから3ヶ月半くらいでうつ病と診断されてしまいました。その頃はまだ結婚していなかったんですが、当時彼女だった妻が衰弱していく僕を心配して、その助けがあってなんとか仕事を辞めることになりましたが、自分では自分の状況を分かっていなかった。
勤めていた最後の頃は、会社の最寄り駅で降りられなくて、ちょっと遠くで降りてなんとか会社まで辿り着くような状態で。そのとき、街路樹にとまっているスズメを見ながらだとなんとか歩いていけたんです。身近な野生動物であるスズメを見ることで、人間の社会からふと離れることができた感じでした」
仕事を辞めてから、社鳥さんは「もう一度、鳥にかかわる仕事がしたい」、「鳥に恩返しできたら」と考えるようになっていきました。
社鳥さん:
「身体の不調を整えながら過ごして、1ヶ月くらい経って少し元気になってきた頃、思い切って『日本野鳥の会』さんが出店しているイベントに行ってみたんです。実は野鳥の会には昔所属していたこと、大学のときに鳥の生息地を調査や管理などするレンジャーの研修を受けたことなんかを話しながら人生相談のようになって。採用してもらえることになったんです。そして、羽田空港のそばにある公園で働き始めました」
公園の木々や鳥に囲まれた仕事で、まだ少し元気がなかった社鳥さんの体調も回復していきました。時給制の仕事だったこともあり、ゆっくりしたペースで働くことができましたし、職場では「株式会社 鳥」として活動すること自体を応援してくれていたので、自社の活動も少しずつ活発になっていきました。
二足のわらじから「鳥」一筋に
社鳥さん:
「転機になったのは、2017年9月に香川県の仏生山への出張でした。野鳥の会の仕事を1ヶ月休んで展示に行くことをOKしてもらって。1ヶ月の展示ということで、すごく気合を入れて挑んだんです」
商品の売り上げ、鳥の生態をレクチャーしながらの工作ワークショップなどは連日盛況で、1ヶ月で30万円ほどの利益を出しました。さらに、ここから反響は広がり仕事が増え、徐々に野鳥の会の仕事を減らして2018年3月には正式に野鳥の会の仕事を退職。社鳥さんは、「株式会社 鳥」一本で生きて行くことに決めました。
▲転機になった仏生山温泉での展示
社鳥さん:
「会社を設立した当時よりは、在庫管理とか損益分岐点とか、ビジネスの原理が少しは分かるようになっていたのもよかったのかなと思います。回り道に思えるけれど、会社員をしている時代に学んだこともあります。
とはいえ、いつもうまくいくイベントばかりじゃないし、カツカツで今月どうしよう、みたいな月だってありますよ」
▲肩チュンbirdはマグネット内蔵。缶バッチと組み合わせると、肩乗り鳥になります。
大きな収入源といえば、人が中に入って遊べるバルーン「メガ・チュン」の出張料金が20万円代後半から50万円くらい(どの程度手伝ってもらえるかによってなど条件により値段は変動)ですが、いまのところ出番は年に数回だそう。
「株式会社 鳥」を支えるのは、ワークショップ。10年前からの相棒の剥製「スズメ先生」と、最近仲間入りした「シジュウカラ先生」と「メジロ先生」をお手本に、社鳥さんのレクチャーも聞きながら、紙粘土でできたフィギュアに絵付けをしていく講座が人気です。
社鳥さん:
「スズメの喉元のネクタイみたいな模様は太いほうがモテるんだよ、とかおもしろいネタも挟みながら鳥の生態について話します。自分が小さい頃から図鑑で読んだりしながら感動してきたことをシェアすると『わー』ってリアクションがあるんです。
自分が褒められるより、僕自身が感じてきた鳥という生き物に対する驚きを共有出来た時の方が、嬉しいかもしれないです」
妻は会鳥。家族の協力体制。
創業からもうすぐ10年、1人で続けてきた会社ですが、いつも家族の協力体制によりビジネスは支えられてきました。
社鳥さん:
「一番最初、大学生のときにメガ・チュンを作るときも、布団職人の祖父をはじめ家族みんなが手伝ってくれなかったらできませんでした。布団屋は廃業していますが、50年くらい前のミシンをとってあって、それを使ってパラシュート生地を縫って作りました。いまも整備の仕方を習ってメガ・チュンのメンテナンスをしています。
父は会社員として経理を担当していたので、僕の会社の財務についてすごく相談にのってくれて、毎年決算のときにもお世話になっています。
妻は、『野鳥にちょっと興味がある人』。それはちょうどターゲットにしているような人たちの視点なので、商品やワークショップ、会社の方向性など全般的にアドバイスをくれていてとても助かります。会鳥って呼んでて、完全に社鳥より上の立場です(笑)」
▲「とり組みアイテム」のひとつであるサンコウチョウをあしらった傘は、祖母が持って周囲に進めた色だけ早々に完売したそう。
社鳥さん:
「本当は、マネジメントとか、対外的な営業をしてくれる人がいたらいいなと思いながら続けています。ずっと1人でやっていくイメージはないんです。『株式会社 鳥』というちょっと特殊な仕事を選んでも、食べていけるんだよって言えるようになりたい。この会社自体で多様性を体現していきたい気持ちもあるので、できれば三人体制くらいに増やしたいです。
SNSや広報が得意な人、作るのが得意な人、もしかしたら子育てをしながらその人に合わせた働き方をしてくれるのもいいし……と、とにかくいろんな人が仲間になってくれれば、新しい展開もあるだろうと思うんです」
暮らしとこころに鳥の楽しみを
来年2020年は、会社設立から10年の節目の年。大きなイベントやさまざまな新企画を温めていて、その計画を話す社鳥さんの表情はきらきらと輝きます。
社鳥さん:
「おじいちゃん、おばあちゃん向けのワークショップや鳥を見る会もやってみたいし、病院内で観察会とか、目が見えない人、聞こえない人と鳥を一緒に楽しむにはどうすればいいのかな?と考えたり。
やりたいことのアイデアはたくさんあるんです。僕自身がうつ病を患っているのもあり、悩みを抱える人の助けになることができないかも考えています。自分が患う前には気付けなかった鳥の魅力、会社の意義があると思うんです。
たとえば、文通(ブンチュン)という名前で、申し込みがあった人と手紙のやりとりを最近始めました。まだ会ったことのある人限定ですが、めまぐるしい世の中だからこそ、手紙のやりとりがちょうどいい、心地いいってこともあるでしょう」
▲てんとう虫サイズの「ミクロチュン・マグネット」とまらせると日常の道具たちが建物や風景に見えてきます。
社鳥さん:
「最終的な目的は、野鳥を身近に感じてもらいたいということに尽きます。
以前どこか外国の話で、庭に木があったら鳥のエサ台や巣箱を置くのが当たり前の暮らしだと聞いたことがあります。鳥好きというわけでなくても鳥に接することが当たり前で、それが楽しみのひとつとして当たり前にある。そんなかたちが理想です。
日本でも、昔の暦とか俳句には、すごくたくさんの鳥が登場しますよね。鳥を身近に感じてもらうための手段を、これからも模索していきます」
(おわり)
【写真】濱津和貴(5枚目以外)
もくじ
後編
野鳥が身近な生活は、きっと心を軽くするから
スズメ社鳥
1986年、愛知県生まれ。愛知県立芸術大学を卒業後、同大学修士課程に在籍中の2010年に「株式会社 鳥」を設立。商品企画会社などを経て、2015年より日本野鳥の会のレンジャーをしつつ、自社の活動も精力的に行うようになり、2018より専業になる。1番身近な野生動物である野鳥の魅力をつたえるべく、「とり」いれた製品の企画の他、工作ワークショップ、観察会のガイドなどを行う。Instagramアカウントは@tori.co.jp
ライター 小野民
編集者、ライター。大学卒業後、出版社にて農山村を行脚する営業ののち、編集業務に携わる。2012年よりフリーランスになり、主に地方・農業・食などの分野で、雑誌や書籍の編集・執筆を行う。現在、夫、子、猫4匹と山梨県在住。
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