【フィットするしごと】不器用ゆえに。残されたのは「鳥好き」を仕事にする道(前編)
ライター 小野民
全身にスズメ色をまとったスズメ社鳥こと杉浦裕志さん、通称「社鳥さん」。あるときはスズメのヘルメットを被り、あるときは巨大なスズメ型バルーンを設営して、自らが小さい頃から夢中になってきた、鳥の魅力を伝えるべく活動を続けています。
▲ワークショップの様子
野鳥観察を趣味にするなど「鳥好き」は多いけれど、それを「仕事」にするとなると話は別。紆余曲折を経て、趣味ではなくビジネスとして鳥にかかわる道を選んで、いまや、取材やワークショップの依頼がたくさん来るようになりました。
キャッチコピーは「とりいれよう 暮らしに鳥を こころに鳥を」。「株式会社 鳥」を設立してからもうすぐ10年。これまでの歩みを前後編でうかがいました。
兄弟の「作品」が溢れる家で育って
まず気になるのは、その「鳥好き」はいつから?ということ。その質問をすると、本棚から付箋のたくさん貼られた図鑑が出てきました。
社鳥さん:
「親によると、幼稚園の頃くらいから鳥の図鑑をずっと読んでいて、気に入った絵や写真は切り抜いて家中に貼っていたみたいです。
鳥に惹かれた理由を考えてみると、鳥はみんな共通した特徴を持っていて、鳥類だと判別できるのが魅力でした。ハチドリのようなすごく小さいものから、ペンギンやダチョウのような変わった鳥まで、卵を産んで、羽とクチバシがあって。図鑑はすごく情報量が多いので、飽きずにずっと読んでいた記憶はあります」
切り抜きだらけの図鑑を見ると、怒られなかったのかな? と心配になりますが、社鳥さんの両親は「鳥好き」というよりは鳥のモチーフを使った工作を褒めて、応援してくれていたそうです」
社鳥さん:
「僕の出身地は愛知県で、祖父は嫁入り道具の布団を作るような職人で、ずっと手を動かしてきた人。その影響もあるのか、僕は小さい頃から絵を描いたりおもちゃを自作したりするのが好きでした。親は、その頃描いた絵もずっと残してくれているし、小さい頃は、家のなかに僕や兄が作ったものを飾るスペースがいろんなところにあった。その景色は、今でも記憶に残っています。
褒められて嬉しいからもっと作る。そんな風にどんどん手作りのものが増えていきました。あと、小学校のときから図工で何を描くか選べるなら必ず鳥を選んでいたようです」
芸術家じゃない自分が進む道は?
中学生になった社鳥さんは、兄の影響もあってテレビゲームが大好きに。漠然と思い描く将来は「ゲームを作る人」「ゲームの背景を描く人」が浮かんでいたそうです。しかも担任は美術教師。その担任の母校の美術科のある高校を勧められ進学します。
社鳥さん:
「モチーフとして鳥の剥製をデッサンして、油絵を描いたりしていたけれど、鳥にかんする仕事をするイメージは全然なかったです。ゲームを作るとか映画の美術とかの仕事に興味があったので、『芸術家』にはならないなとは思っていました。
というのも、高校の同級生には、ほとんど飲み食いしないでずっと描いている人がいたりして、僕とは向き合い方、本気度が違うと感じました。だから大学ではデザインを専攻して、芸術というよりは『ものづくりにかかわっていければいいな』と思っていました。
大学では課題がたくさん出るんですが、そのモチーフとして鳥を意識するようになったのが今につながっています。例えば、フリーペーパーを作る課題のときは、ヒクイドリという鳥を見にわざわざオーストラリアまで行きました。
映像の課題では、スズメに密着したドキュメンタリーに取り組んだことありました。鳥にまつわる制作物の集大成として、大学4年の卒業制作で、現在も『メガ・チュン』として株式会社鳥の看板になっている、中に入って遊べるバルーンを作りました」
社鳥さん:
「大学時代に、ツバメのクリップや鳥のおもちゃなど、プロダクトっぽいものも作っていたんです。それらを量産品にして、いろんな店に卸せば売れるんじゃないか、バルーンを持って出張すればイベント代でいくらか稼げるはず、とか次第にものすごい楽観的な見通しを持つようになりました。
鳥にかんする活動も続けていこうと考えて、就職の内定をもらっていたのに断り、大学院に進学しました。ただ、イベントに出展したりしていると、自分のやっていることが現代アートだと捉えられることが多かったんです。自分は遊具のつもりで作ったのに、『触るのはNG』と勘違いされるのを、どうにか脱却したいと思いました」
社鳥さん:
「高校生の頃から、自分はアーティストではないという想いを抱えていたので、アートと言われないための方法を芸大の先生に相談したら、『個人名で活動するんじゃなくて、屋号を作ったら』と。
『チュチューン・コーポレーション』というアイデアもあったんですが、結局は現在の社名である『株式会社 鳥』という名前を思いついてしまったので、会社にするしかなくて。2010年に法人登記したときには、業務内容は『鳥に関するあらゆる事業』と書きました。
法務局の人にもっと具体的に書くように言われましたけど(笑)。鳥をモチーフにした商品の企画、放送……とにかくたくさん書いておきました」
年間売り上げ20万円からのスタート
「アーティストではない」という社鳥さんの言葉の裏には、当時も今も持ち続けている自分が作るものを通して「鳥を身近にしたい」という想いの強さがある。バルーンのモチーフであり、株式会社 鳥の顔にもなっているスズメは、鳥に特に関心を寄せてない私たちでもよく知る、とても身近な鳥です。
▲鳥グッズ、とくにスズメグッズが自宅にはたくさん。こちらは友人の熊手作家からの贈りもの。
社鳥さん:
「スズメの模様を描こうと思っても、知らない方が多いですよね。最初に巨大なバルーンを作ったのも、スズメを大きく拡大したら模様も知ってもらえるんじゃないかと思ったから。今は写真を撮って拡散してもらうとスズメの模様も広まっていくから嬉しい。それに、インパクトのある大きい鳥で遊んだら、子どもたちの記憶に残りそうです。
でも、会社としてはうまくいきませんでした。考えが甘かった。自分から営業したりしなかったし、商品を作るにしても、原価率とか損益分岐点とか全然考えてなかった。いまも全然得意ではないですけど(笑)。確か20万くらいしか年間で利益も出なくて」
社鳥さん:
「株式会社 鳥の活動はライフワークとして趣味でやっていけばいいとあきらめて、24歳で大学院を卒業して就職しました。取り組む姿勢も甘かったから、あんまり悲壮感はありませんでしたね。その後は、商品を企画して販売する会社で4年間働きました。
初めて1人暮らしをしたのは、28歳のとき、上京してからです。新しい仕事を見つけて、すごく気合を入れて新生活をスタートしました」
(つづく)
【写真】濱津和貴(2枚目以外)
もくじ
前編
不器用ゆえに。残されたのは「鳥好き」を仕事にする道
スズメ社鳥
1986年、愛知県生まれ。愛知県立芸術大学を卒業後、同大学修士課程に在籍中の2010年に「株式会社 鳥」を設立。商品企画会社などを経て、2015年より日本野鳥の会のレンジャーをしつつ、自社の活動も精力的に行うようになり、2018より専業になる。1番身近な野生動物である野鳥の魅力をつたえるべく、「とり」いれた製品の企画の他、工作ワークショップ、観察会のガイドなどを行う。Instagramアカウントは@tori.co.jp
ライター 小野民
編集者、ライター。大学卒業後、出版社にて農山村を行脚する営業ののち、編集業務に携わる。2012年よりフリーランスになり、主に地方・農業・食などの分野で、雑誌や書籍の編集・執筆を行う。現在、夫、子、猫4匹と山梨県在住。
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