【57577の宝箱】ぎこちない手で水掻き分け続ければ なめらかに泳ぐ日がいつか来る

文筆家 土門蘭


昨年人生で初めての車を買ったことは、この連載でも何度か書いた。

10月に納車されて以降、何度もドライブをしていろんなところへ出かけている。
もともとインドア派の私にしては、信じられないくらいのアウトドアっぷりだ。週末ごとに子供を連れ出しては、大きな公園とかショッピングモールとか、寺社仏閣とか山や湖などに足を運んでいる。

ただ、楽しいことばかりではない。
新しいことに挑戦するときには、失敗がつきもの。その証拠に、私のピカピカの白い車のお尻には、すでに小さな傷がついている。

§

最初のうちは、おっかなびっくり運転をしていた。
駐車するときには、同乗者にわざわざ外に出てもらい、ぶつからないか見ていてもらう。バックモニターのない車なので、誰かに外で見ていてもらわないと、自分の車がどこまで下がっているのか、他の車にぶつけてしまわないか、距離感が掴めず不安だったのだ。

だけど回数を重ねるうちに、少しずつ自信がついてきた。指示をもらわなくてもいい感じに停められるようになり、なんとなくコツがわかったような気がした。「うまいじゃん」「いけるじゃん」同乗者にそんなふうに言われ、ちょっと調子に乗ってきてもいた。

一度、どうしても一人で停めなくてはいけないときがあった。借りている駐車場におそるおそる停めてみたら、きれいに駐車できた。「やった!」と喜んで家に帰り、家族に宣言した。
「私、もう一人で駐車できる!」

だけど、失敗はその翌日に起きた。
週末、ドライブに行った帰りのことだ。駐車場に着くと、夫がいつもの通り「外に行って見てようか」と言ってくれた。でも私はそれを断り、「大丈夫、もうひとりで停められるし」とバックし始めた。

すると、ドンッと壁に当たる音がした。
「あれ?」
縁石があるはずだから、そこにぶつかったのだろうか。でも、なんだか音が違う。
慌てて外に出ると、果たして車は後ろの壁にぶつかっていた。縁石の間をタイヤがきれいにすり抜けている。サーッと、血の気が引いた。まずい、これはまずい。

私は慌てふためきつつ、とりあえず家族を家に帰し、警察や保険会社、駐車場の管理人さんにそれぞれ連絡を入れた。もちろん、ぶつけた壁の持ち主にも謝罪し、凹んだ壁も保険会社に頼んで修理手配をしてもらった。皆さんとても優しく対応してくれて、本当にありがたかった。車の傷は大したことがなかったので、とりあえずそのままにすることにした。
いろんな手続きが終わるまで、約2時間。家に帰ったときにはぐったりしていて、あまりの情けなさと申し訳なさと悔しさに涙が出てきた。失敗して泣くなんていつぶりだろう、と心の隅で思う。

長男が「気にしないでいいよ」と慰めてくれた。
「でも、ちょっと油断してたな」

私は鼻をかみながら、本当にその通りだねと力なく答えた。

§

確かに、油断していたのだと思う。

納車してすぐは、運転する楽しさよりも怖さの方が勝っていた。でも怖がって運転を遠ざけていたら、いつまで経っても上手にならない。だから、細心の注意を払って運転を続けていた。緊張するのでいつも肩がバキバキになったけど、これも慣れるまでだと辛抱していた。

少しずつ運転に慣れ、楽しさの方が怖さよりも増していくうちに、その緊張が解けてしまったのだろう。まるで「油断するな!」と車の神様にしっぺをされたような気分だった。今回は怪我人が出なくてよかったけれど、もっと大きな事故になっていた可能性だってある。そう思うと、身震いする気持ちだ。

「慣れてきたころが一番怖いからね」
と、運転の上手な友人は言う。本当にその通りだと、私はまた思う。

「研修を受けたとはいえ、ペーパードライバーの私が運転するなんて、身の程知らずだったのかなぁ。そもそも車を買うなんて、私には早すぎたのかも」
そう言うと友人は「それは落ち込みすぎ」と言って笑った。

「誰だって最初は失敗するよ。小さな失敗が、大きな失敗を防いでくれたんだと思えばいいんじゃない?」
そうだけど、と私は返す。すると友人は、
「ゆっくりうまくなっていけばいいんだよ。車は逃げないよ」
と言った。

§

それからは、なんとか無事故で過ごしている。ヒヤリとすることも、だいぶ少なくなってきた。ただ、慣れて油断してしまいそうなときには、いつもあの事故のことを思い出して戒めている。

あの日以降、気をつけていることがある。それは、
「ちょっとでも『難しいかも』と思ったら、人を頼る」
ということだ。

駐車をするときには同乗者に降りて指示してもらう。車線変更が難しそうな時は、無理して入らずに道を譲ってもらう。行ったことがない場所に出かけるときには、停めやすい駐車場がないかを友人に教えてもらう……

私は、早くひとりで上手に運転できるようになろうと焦っていたのだと思う。車を手に入れれば、どこへでも気軽にビューンと行けるのだと思い込んで、そんな理想像からかけ離れた自分を受け入れられていなかったのかもしれない。
でも、そんなに急がなくていいんだろう。ゆっくりゆっくり、上手になっていけば。

「車は逃げないよ」
友人のその言葉を思い出しつつ、運転席に乗り込む。エンジンをかけると、ブルンと車体が気持ちよく揺れた。

長い付き合いになると思うので、気長に見ていてね。
小さな傷がついた愛車にそんなふうに呼びかけつつ、私は注意深くアクセルを踏んだ。

 

“ ぎこちない手で水掻き分け続ければなめらかに泳ぐ日がいつか来る ”

 

1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 


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