【短歌に出会って】第1話:歌人・東直子さんを変えた31文字の世界。あえて人には言わない気持ちを言葉にしてみたら

ライター 嶌陽子

何気ない日常のなかで、ふと生まれる感情。子どもと手をつなぐと胸に温かいものが湧き上がったり、何もかもうまくいかない気がしてイライラしたり。ぱっと一言では言い表せない気持ちは、やがて消えてなくなったり、モヤモヤのまま残ったりしてしまいます。

そんなとき、歌人・東直子(ひがし なおこ)さんの短歌を読むと、はっと気づかされるような気持ちになるときがあります。自分のなかの「言い表せないような気持ち」がくっきりとした輪郭を持って立ち現れる感覚になるからかもしれません。

 てのひらにてのひらをおくほつほつと小さなほのおともれば眠る

『春原さんのリコーダー』

 怒りつつ洗うお茶わんことごとく割れてさびしい ごめんさびしい

『青卵』

平易な言葉で綴られた三十一文字から、情景や心情がありありと浮かび上がる作品の数々。約30年にわたって現代短歌界の第一線で活躍を続ける東さんは、作り始めた当初は幼い2人の子どもを育てる日常を歌にしていたといいます。

短歌との出会いや、今もなお作り続けている理由が知りたくなって、東さんに会いに行きました。豊かな言葉の世界に触れることができたお話を、全3回にわたってお届けします。

 

子どもの頃から物語をつくるのが好きでした

▲短歌だけなく、小説、エッセイ、絵本、イラスト、脚本など、さまざまな表現の世界で活躍している。

風の冷たいある冬の日、東さんは都内にある仕事場で出迎えてくださいました。やわらかな雰囲気と、こちらのどんな質問にもていねいに答えてくれる姿が印象的です。現在では新聞や雑誌の選歌欄の選者をつとめたり、カルチャー教室をはじめ、さまざまな場で短歌を教えたりもしています。

まずは自身の子ども時代のことから、短歌と出会った20代までのことを話していただきました。

▲右・1996年に発表された東さんの第一歌集『春原さんのリコーダー』(ちくま文庫)。左・昨年出版された『一緒に生きる 親子の風景』(福音館書店)は子育てについて綴ったエッセイ集

東さん:
「子どもの頃は、家の中で本を読んだりして過ごすのが好きな大人しい子でした。1歳上の姉がいるのですが、当時は姉と一緒に本を読んだり物語を考えて漫画を描いていましたね。

今も覚えているのが2人で作った “ピキピキうさぎ” っていうキャラクター。アラブ風のズボンとベストを着ていて、ピンチになると飛んできて助けてくれるんです。

6歳下の妹に即興で物語を作って話すこともしていました」

東さん:
子どもの頃によく読んでいたのは松谷みよこさんのオバケちゃんシリーズや、安房直子さんのファンタジー童話など。中学生の時にハマっていたのは萩尾望都さんの漫画です。

そういう物語の中に詩や歌が出てくるのがすごく好きでした。安房さんの童話や松谷さんの作品も、お話の途中で歌が出てきましたし。昔話を読むのも好きだったんですが、その中に出てくる歌も異世界へと誘ってくれる扉のような役割をしていた気がします。

萩尾望都さんの漫画も、ストーリーが進んでいくなかで黒ベタに白字で詩的な言葉が浮き上がっているのが魅力的で。物語を読んでいる中にふっと詩が入り込んでいるのに惹かれたのかもしれません。

そこだけふと立ち止まって、詩の言葉の一文字ずつを足踏みしながらかみしめる、そんな体験が好きでしたね」

 

このままやりたいこともなく、生きていくのかな

東さん:
「中学時代から、物語を読んだり書いたりするのが好きだという自覚は芽生えてきました。当時、友達と お互いにルーズリーフの紙に小説を書いて渡し合う “交換小説“ もしていたんです。

大学では演劇サークルに入ったのですが、少人数の劇団だったので、役者も脚本も美術も、全部やっていました。なかでも脚本を書くのは楽しかったです」

卒業後1年半弱勤めたのち、23歳で結婚。翌年には一人目の子どもを出産し、専業主婦になります。そして25歳で第二子を出産。20代半ばで2人の育児に追われることになりました。

東さん:
「年子の育児は本当に大変でした。下の子の授乳に加えて上の子の夜泣きもあって常に睡眠不足。眠れないのが辛くて、追い詰められる感じで……。

しかも一人目の子が生まれて数ヶ月後に、暮らしていた大阪から東京へ引っ越したんです。知らない街で、知り合いもいなくて、夫が夕方仕事から帰ってくるまでは日中ほとんど誰ともしゃべらない。孤独だったし、閉塞感もありました。

世界が急に狭まった感じで、このまま自分はやりたいこともなく生きていくのかなと、鬱々とした思いを抱えていたんです。

数年前まで演劇をやっていたこともあり、何かを表現したいという思いはずっとくすぶっていました。その思いを形にするために言葉を模索し始めていた気がします。でも、どう表現していいか分からず、モヤモヤしていました」

 

短歌って、ふつうの話し言葉で表現していいんだ

ちょうどその頃、定期購読していた絵本雑誌『MOE』で短歌の投稿欄が始まったのを見つけます。これが、東さんと短歌との出会いでした。

東さん:
「その少し前に俵万智さんの歌集『サラダ記念日』が大ヒットしていて、それを読んだ時に短歌ってふつうの話し言葉で表現していいんだ、と思ったんです。

そんな時に投稿欄を見つけて、自分も作ってみたいと思いました。短いので子どもたちが寝ている間にできるかも、と思ったのも理由の一つ。実際、子どもたちのお昼寝中に集中して作っていましたね」

 

あえて人には言わない気持ちを言葉にしてみたら

26歳頃から短歌の投稿を始めた東さん。ほどなくして入選するようになりました。

東さん:
「選んでもらえた時はすごく嬉しかったです。閉塞した日々の中で、自分が考え出した言葉が選評と共にカラーのきれいな誌面に掲載されているのを見ると、言葉を通じて社会とつながれたように感じました」

最初に入選したのは、こんな歌でした。

 子供らが散らかした部屋を抜け出して何を探そうとしていたのだろう

『春原さんのリコーダー』

東さん:
「選ばれたことも嬉しかったんですが、この歌を作る過程、つまりモヤモヤした気分を言葉にすることがとてもよかったんです。

こういうことって、あえて誰かに言ったりしないですよね。でもそれを五・七・五・七・七の言葉に当てはめてみることで、気持ちがすっと落ち着いた。心の中を整理して、自分を客観視できたんです」

慣れない育児に悩んでいた東さんの気持ちを変えたのは、感情を言葉に乗せる短歌という世界でした。

第2話では、東さんの作品を取り上げながら、その時どんな気持ちで、どのように言葉を整えていったかを詳しく伺います。

(つづく)

【写真】井手勇貴


もくじ

 

東 直子(ひがし なおこ)

1963年広島生まれ。歌人・作家。 1996年「草かんむりの訪問者」で、第7回歌壇賞受賞。 歌集に『春原さんのリコーダー』『青卵』など。2016年、小説『いとの森の家』で第31回坪田譲治文学賞受賞。 他の小説作品に『ひとっこひとり』『とりつくしま』『さようなら窓』、絵本に『わたしのマントはぼうしつき』(絵・町田尚子)、エッセイ集に『レモン石鹼泡立てる』『千年ごはん』などがある。ミュージカル脚本やイラストなども手がけるほか、講演会やメディア出演など、幅広く活躍中。X:@higashin、インスタグラム:@higashinaokoh

 


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