【わたしの転機】ニットデザイナー・渡部まみさん「移住して変わった生き方、”小さな選択”を重ね、”来た波に乗る”半生」

ライター 鈴木雅矩

写真 鈴木智哉

「わたしのターニングポイント」は、転機をテーマにお話を伺う連載シリーズです。

今回ご登場いただく渡部(わたなべ)まみさんは、湘南の葉山に住み、ご自身の小さなニットブランド「short finger(ショートフィンガー)」を営むニットデザイナーです。

もともと都内で総合アパレルメーカーに勤め、服飾の専門学校で教師として働いていたまみさんは、結婚を機に仕事を辞め、湘南の葉山に引っ越してきました。

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まみさんの都内での暮らしは多忙なものでしたが、東京から葉山に引っ越して8年の間に、まみさんの生活は大きく変わったそうです。

都内に住んでいた時に好きだったモード系の都会的な服装は、ナチュラルで風合いの良いものに変化し、ご自身の経験を生かしてニットの製作をこなしながら、地域の女性に向けて洋裁のワークショップも行っています。

都会なのか、田舎がいいのか、人それぞれに心地よく感じる環境は異なります。一概にこれがいいと言い切ることはできませんが、ここ数年は、働き方や暮らし方の変化を求めて、自発的に都会を離れて地方に移住する人々も増えてきました。

まみさんが都内を離れ、葉山の暮らしを選ぶまでには、どのような思いや選択があったのか?移住をすることで暮らし方はどのように変わったのか?をお聞きしました。

 

晩ご飯は毎日23時、多忙な会社員時代

まみさんのご自宅は海から徒歩10分の、潮の匂いが漂ってきそうな住宅街の一角にあります。緑が多いご近所の空気はゆっくりとしていて穏やかな雰囲気です。

まみさんのご自宅にはアトリエが併設されています。今回は、大きな窓から柔らかい日差しが差し込むご自宅兼アトリエ「CORNER」でお話をお聞きしました。

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現在はニットデザイナーとして活動されているまみさんですが、専門学校時代は洋裁を学んでいました。卒業後は大手アパレルメーカーのイトキンに入社しましたが、当時はご自身がニットデザイナーにはなるとは思っていなかったようです。

「私がニットを選んだのは偶然だったんです。イトキンに入ると最初の2年間は服のパターンを作るパタンナーの研修をするんですが、その2年間で、布地の服のデザイナーになるなら細部までとても気を配ったり、パタンナーさんに気持ち良く仕事をしてもらう気配りが必要だと分かりました。

自分の性質を振り返ってみて、私に務まるのか不安になったので、正直に上司に伝えたら、ニットの部署に配属されることになりました。

ニットデザイナーになってみると、糸を染めるところから服作りを始めたり、編地を作り形にしていったりと、大きな企業の中では珍しく、職人的な手仕事が残っていて、偶然選んだものだったんですが、とても肌に合ったんですよ」

まみさんの会社員生活は多忙なものでした。毎朝9時半に出社し、オフィスのビルが閉まる22時まで働いて、退社して23時に晩御飯を食べる毎日。そんな生活が9年続いたと言います。

「夜のオフィスを見渡すと、残っている人はニットデザイナーが多かったです。ニットはデザイナーとパタンナーを兼任しているし、やることが多くって。私もその当時は仕事ばかりしてました」

 

「来た波に乗れ」友人の誘いで専門学校の講師へ

イトキンに9年間勤めたタイミングで、まみさんに一度目の転機が訪れます。ご友人から専門学校の教師をしてみないかと誘いがあったのです。

「友人が服飾専門学校の教師をしていて、やってみない?って誘いが来たので、面白そうだと思い、誘いに乗ってみようと決めました。

私は、昔から『来た波には乗れ』を座右の銘にしているんです。当時は違う環境で働いてみたいと感じていたし、学生に教えるのも面白いかもと思って」

まみさんの教師生活はその後3年間続きました。お仕事は忙しく、毎朝6時から深夜まで働き、イトキン時代と同じく、家と学校だけを行き来する生活だったそうです。

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「忙しい毎日でしたが、今でも教師になって良かったと思っています。生徒たちはほんとに素直で可愛いくて。ハタチ手前の子って夢を自由に描ける年代じゃないですか。そんな子達と毎日接していると自分も元気になるし、教えることも学びになっていました。主人と結婚していなければまだ教師を続けていたと思います」

 

仕事を辞め、10年来の友人と結婚して葉山へ

やりがいを感じていた教師の仕事を辞め、まみさんが葉山に引っ越したのは8年前。きっかけになったのは結婚でした。

「主人とは18歳の頃から友人で、卒業してからも友達として定期的に会っていました。主人が葉山に引っ越したと聞いて、遊びに行ったことがお付き合いをはじめるきっかけでしたね」

まみさんの地元は長野県南安曇郡にあった梓川村という村です。はじめて葉山を見たまみさんは、自然の多い地元と葉山を重ね、懐かしさを感じていたと言います。

「はじめて葉山に行った時から、海と山があって緑の多い風景とゆったりした時間の流れに地元の雰囲気を重ね、安心感を感じていました。

遊びに行った日に街を散策して、細道を抜けたら海が見えたんです。その瞬間にここに住みたい!と思ったんですよ。 結婚することになって葉山で暮らせることが決まった時はとても嬉しかったです」

まみさんは葉山に移住した後に、ご自身のニットブランドを立ち上げました。結婚によって生き方の方向転換を求められたまみさんは、どのようにして新しい生き方を手に入れたのでしょうか?

 

「自分は自分でいいんだ」と思うための半年間

「こっちに引っ越してから半年間は、何をしたらいいか分からなくなっちゃったんです。社会人になってから常に仕事を追っかけていた人が、急に仕事がなくなってしまったから、びっくりしちゃったんでしょうね。

それで半年間は、主人から薦められた本をずっと読んでいました。小説や民俗学や建築の本など内容は様々で、家事の合間に本の頁をめくって、多い時には1日5冊の本を読んでいたんです。

その期間は私にとって次の生き方を選ぶための準備期間だったんだと思います」

_99A0873▲「準備期間」に読んだ本のひとつは、宮大工の棟梁が書いた本でした。

本を読むだけでなく、まみさんは葉山の生活にだんだんと体を慣らしていきます。丁寧に料理や家事を行い、時に自然食品店で働き、お店で働いた経験から自分で自家製の味噌や醤油も作り始めたそうです。

少しずつご自身と向き合いながら暮らした半年間が過ぎた後、転機が訪れます。

それはイトキン時代の同期から「作家もののセレクトショップに作品を置いてみないか」という誘いでした。それがまみさんのブランド、short finger(ショートフィンガー)が生まれるきっかけになりました。

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「『まみはニット編めるんだから何か作りなよ』って言われて、委託販売させてもらって、ニットのバッグやアクセサリーを作りました。

その後すぐに主人が、お店の簡単なWEBサイトとパンフレット、それに名刺を作ってくれたんです。主人はそういうのが本業だから得意で助かりました。

店としての形ができて、商品の評判が知り合いの知り合いに紹介されてつながって、という形でshort fingerは今に至ります」

お友達の誘いをきっかけに生まれたshort fingerですが、製作を続けることを選んだのは、半年間の準備期間を経たからだとまみさんは言います。

「昔から人と比べては落ち込んだり、無理したりしていたので、あの半年間は仕事も何もなくなってしまった自分を許して納得する為の期間だったのかなと。あの期間があったからこそ、外で働く事を選んだりせずにshortfingerを始められたのだと思います」

転機が訪れる時は、誰しも「あっちだろうか?こっちだろうか?」「選んだけれど、これでいいのだろうか?」と迷ってしまう人が多いのではないでしょうか。

何かを選ぶ時に、「決める」のではなく、じっと変化を待つことも次のステップに進むための方法なのかもしれません。

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移住が変えた「身につけたいもの」と「作りたいもの」

short fingerの商品はニットキャップやバッグやポーチなど、小物を中心にすべて手作りで作られています。手が早いまみさんは、ニット帽なら1日に3個を編み終えてしまうとか。

移住を機に働き方を変えたまみさんですが、葉山に引っ越したことで生活の中で使う道具の好みや創作するものも変化したそうです。

「葉山に越してきて選ぶ洋服や雑貨も変わりましたし、作るものも変わりました。 色物も着るようになりましたし、作るものも明るい色合いで軽い風合いの物が増えています。

今でも都内にいた時に着ていたモード系の服やパンクやミリタリーなどが好きで、根っこの部分の好みは変わっていませんが、『身につけたい』と思ったり『作りたい』と思う物は葉山の太陽の色や空気感に合うものになっています。

身につけるものが変わると内面も変わると思いますので、きっと昔より優しい雰囲気が出ているのかな、なんて思いますね」

まみさんの価値観を変えたのは葉山の環境だけでなく、自分と向き合う半年間も無関係ではなかったのでしょう。人と比べることを止め、「自分はこれでいい」と思えるようになったからこそ、自然体でいることができたのではないでしょうか。

_99A0757▲ラックにかかっていたのは友人のパタンナーと制作した服のサンプル。近々型紙も販売するという。

 

様々な生き方との出会いが、私を変える

東京から葉山に移住し、ご自身のブランドを立ち上げ、今まで何度も転機を迎えてきたまみさんは、2015年に自宅兼アトリエの「CORNER」を開きました。このアトリエで起こることが、まみさんの価値観をさらに変えているそうです。

「ここは工房以外にもワークショップの会場や月一でマーケットの会場にもしているんです。アトリエにいらっしゃるお母さんたちにはすごく影響を受けていますね。

たとえばお子さんが3人いるお母さんが、子育ても大変だと思うのに、抱えきれないくらいのパンを焼いて販売しに来たりするんです。その姿がすごく楽しそうで輝いていて、こっちも頑張らなきゃって、いい影響を与えてもらってます」

_99A0637▲ニットを編むために使う棒針などの仕事道具。

マーケットに出店するママさんだけでなく、アトリエで行う洋裁のワークショップにも、20代から50代まで様々な女性が参加してくれるといいます。

「アトリエを開くまでは、私はそんなに地域に溶け込んでいなかったんだと思います。でも、ワークショップをしたりマーケットを始めてから、スーパーに買い物に行って挨拶する人ができたり、お近くに住んでいる人がいることを知れて、だんだんと葉山に溶け込めていると実感しています」

まみさんは転職や結婚、移住など、様々な選択をしながら今の暮らしや働き方を手に入れてきました。アトリエを開いて半年が経ち、様々な人と出会っているまみさんの暮らしは、これからも変化していくのでしょう。

まみさんのお話を聞くと、ひとことで転機と言っても、その中身は単純なものではないのだと感じます。その選択の中には、簡単に言葉にはできない、様々な感情が積み重なっているのではないでしょうか。

転機と呼べる大きな分岐点だけでなく、私たちは常に何かを選んでいて、発する言葉や仕草、関わり合う人々、食べるものや着るものなど、日々何を選んで生きていくのか?という小さな選択を繰り返しています。

その積み重ねの先にある大きな変化を転機とするならば、私たちは意識的にせよ無意識的にせよ、常に次のターニングポイントに向けて準備し続けているのかもしれません。

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渡部まみ(ニットデザイナー)

1975年生まれ。服飾専門学校卒業後、大手アパレルでニットデザイナーとして勤務。その後、服飾専門学校教員を経て、2007年、退職を機に神奈川県葉山町に移住。2008年ニットブランド『short finger』を設立。2015年、葉山町にアトリエ『CORNER』をOPENし、ニットアイテムの展示オーダー、各店舗とのコラボレーション開発、不定期のソーイング教室を行う。http://short-finger.com/

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ライター 鈴木雅矩

1986年生まれ。日本大学芸術学部を卒業後、自転車日本一周やユーラシア大陸輪行旅行に出かける。帰国後はライター・編集者として活動中。自転車屋、BBQインストラクターの経歴があり、興味を持ったものには何でも首をつっこむ性分。おいしい料理とビールをこよなく愛す。


▽これまでお聞きした方の記事はこちら。
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