【人生の迷いは無くならない】前編:同じ街で、同じ時期に子育てをしながら(吉本ばななさん・大平一枝さん対談)
文筆家 大平一枝
50を過ぎたら人生に迷いなどなくなると思っていた。それがどうしたものか、いまだに答えなど出ていない。え、そんな?と情けなくなるような些末なことでも迷い、ゆれる。
たとえば人付き合い。
好き嫌いは加速するし、大勢の会食は隣り合った人としか語り合えないもどかしさから億劫になる。人生の残り時間は多くない。せっかくの晩餐なら、相手のことを深く知りたいので願わくば男女問わずサシで語り合いたい。いきおい最近は「なるべく4人以上では飲まない」とつまらぬルールを敷くありさまだ。
自分の中で、物を持つものさしや暮らしの価値観も変化し続けている。
買ったり捨てたり、丁寧な生活を目指して頑張ってみたものの、答えはひとつでもなければ、不変でもない。歳を重ねるごとに、水のようにたゆたっていくものなのだなあということだけ、わかってきたところだ。
ところで、私が住む下北沢という街は店の入れ替わりがひどく早い。いまは駅前の大規模な再開発中ということもあり、長らく愛した個人商店が消えていくのをなんともいえない気持ちで見つめる日々を送っている。
あるとき、吉本ばななさんの『下北沢について』※1というエッセイを読んだら、何気ない二行に胸をつかまれた。
「企業の力が入ると、すてきさの規模は大きくなる。だから私はそういうお店も大好きだ」と前置きしたうえで、こう綴られていた。
でも、店という名ではあっても個人の巣の中に入っていくあの気持ち……あの自由と狭さとある種の気味悪さ。
そういうものはもう戻ってこないだろう。そう思う。
毎日、新陳代謝が繰り返される街を、なすすべもなく見つめるしかできない虚無感、名指せない感情を、完璧に言語化した小説家の感覚と技術に圧倒された。
2007年から5年間、ばななさんの事務所と私の家は隣同士にあり、お見かけすれば二、三言葉をかわしたり、拙宅で友人の木工作品の個展をしたときはふらりと立ち寄ってくださったりした。同じ街で、同じ時期に子育てをし、たまたまおない年でもある。バブル全盛も崩壊も、ロスジェネも、スローライフ、断捨離、ミニマムを標榜してシンプルライフを実践する人達も見てきた。
彼女はいま、暮らしをどんな視座で見つめているのだろう。私が時折感じる、生きづらさと言うほどでもない些細な名指せない感情、もやもやについてどうとらえておられるか。そして、できれば書くという生業(なりわい)への向き合い方についても知りたい。きっと自分なりのものさしと軸を持ち、彼女からしか生まれない言葉で語ってくれるに違いない。
そんなやや思い込みの強い動機から、僭越ながら、連載『あ、それ忘れてました(汗)』100回記念にお越しいただき、歳を重ねることで見えてきたあれこれについてうかがった。前後編でお届けしたい。
わずかに愛する他者のために
ブログ、ツイッター、有料メルマガ。ばななさんは日本の作家のなかではかなり早い段階からSNSを使いこなし、読者の感想やコメントにもときおり気さくにリアクションをする。なかには心無いコメントもあるのでは、と問いかけた。
「SNSにそんなに重きをおいてないので。理不尽なことはさっさと忘れちゃいます」
淡々とかろやかに答える。
懸念の人付き合いも、最近ははっきり言えるようになったらしい。
「スケジュールの空いてるところに、誘われた順番に予定を入れていくと、大事な人が後回しになったり、会えなかったりしがち。限られた時間なので、断ることもできるようになった。年を重ね、物事の優先順位がより鮮明になってきた気がします」
3年前、彼女は相次いで親友と愛犬と愛猫を失った。30年間、ほぼ毎週会っていた親友との別れは『大きなさよなら』※2に詳しい。月日が流れても、いまだに悲しみには慣れないと語る。
「なにかあったらすぐ相談していたので、彼女がいなくなって生きていけるのかと不安でした。いまだになにかあったら彼女に聞きたくなるし、その気持は変わらない。いないことに慣れることはありませんね」
遡って10年前には立て続けに両親を見送っている。人も動物も、人はそうかんたんに喪失から立ち上がったり、気持ちを切り替えたりなどできぬものなのだと、あたりまえのことをあらためて思い知る。
しかしながら、彼女の小説やエッセイは、弱っている人がもうちょっとだけこの人生を生きてみようと思える、やわらかで切なく優しい読後感に満ちている。喪失を消化しきれない人が、どうやったらそんなふうに読み手の心に寄り添えるものを書けるのだろう。と、意外な言葉が返ってきた。
「私、人類があんまり好きじゃないんです。人間って動物ほどよくできてないし。でも、私は書くこと以外何も向いていないし、何もできない。だからせめて、自分に向いている唯一のことで、わずかに好きな他者のために貢献したいし、役に立ちたい。仕事ってそういうものかもしれないなって思うんです」
小説を軸にさまざまな距離感のメディアで、多様な長さ・温度・重さの言葉を届ける理由が垣間見えた。そうか。だから私たちは彼女の創る言葉に励まされるのか──。
持つ、持たない
前述のように、私やばななさんが社会に出てから35年余の間には、ジェットコースターのような景気の乱高下と、ライフスタイルの流行り廃りがあった。バブルの終わりを少しかじった私は、ブランドバッグや靴を買い、年齢に見合わない懐石料理やイタリアンを食べまくった経験がある。その後出産すると、ちょうどスローライフや丁寧な生活という言葉が光を浴びはじめ、手間ひまかけた料理や家事、育児のすばらしさ、シンプルな生活を取材する側になった。
ばななさんは物をもつものさしに変化はあったのだろうか。
「実験は好きなんです。いいと言われたお鍋を買ってみたり、道具を実際使ってとことん検証する。ただ一般に実行されていること、みながいいと思っているものが自分の生活にはなじまないということは多いですね。煮込料理が時短でできるといわれた道具も、そのメニューを作る頻度って、わが家では1年でどれくらいよ?と。自分には必要なかったし、重い鍋は使いづらいから苦手だし。ああ、大平さんが書いていた常備菜作りが自分に合ってないっていうの、わかります。私も好きじゃない」
ただし私は、昨日の自分に今日の気持ちを決められたくないから、というのが理由だが、彼女はちょっと違う。
「うちは外食も多いので、食べられない日があってフィットしなかったんです。衛生面が気になっちゃうんですよね。たしかにいろんな暮らしのための情報は多かったと思うけど、そういうものに振り回されたという感じは私はないですね。あくまで自分にフィットするかどうか。やってみて、合わないと思ったことは振り返らない。自分を道具に寄せるのか、道具を自分に寄せるのかでものさしは違ってくるでしょうね」
フィットという言葉が何度か出た。情報に目を留め、興味のあるものは検証するが、最終的には自分の暮らし方や気質に合うかを重視する人なのだとわかった。さらに、物との付き合い方について、印象的な話があった。
彼女が長く愛用したブラウンのコーヒーメーカーが壊れたときのこと。廃盤で修理もできないとわかり、ほかのメーカーを探したが満足のいくものがなかったので「コーヒーメーカーを持たない」という選択にしたそうだ。
「あれほど大好きなコーヒーメーカーにはもう出会えないだろうと。だったらコーヒーは好きだけど、メーカーは買わないでいいやと」
どんな新入りが来ても、ブラウンを思い出して寂しくなるだろうし、全力で愛せないものはいつか使わなくなる。
潔い決断のむこうに、ものとの独特の距離感がにじむ。
「Tシャツもね、よくよれよれになったら切ってウエスや雑巾にするアイデアが紹介されているでしょう? 便利だとは思うけど私はできないんです。どんなにぼろぼろになってもTシャツとして生まれてきたものは最後までTシャツのまま終わってほしい。自分がTシャツだったらそうかなって。形あるものを細かく切り刻むことに納得してないんですねきっと」
並外れて安い洋服や生活道具などは、その価格を実現するために関わった人の労力に対して対価が低すぎて「申し訳ないから買わない」。
彼女の物を選択する根底には、ものに宿った魂や手元に届くまでに関わった人たちへの視点がある。
聞きながら、日頃私は◯◯流◯◯スタイルと型にはめることに抵抗を感じていたが、もしかしたら自分こそ、物を持ちすぎるのは悪、安いものはごみになるから無駄、伝統の知恵は善、シンプルこそ美徳などというように、決めつけすぎていたかもしれないと考え始めた。
そして思った。何を持ち、何を持たないかではなく、どんなことを大事にしているからその選択になるのか、自分の内側をもっと強固にしたい。私は、私のよりどころをもっと大事にしてみたいと。
※1『下北沢について』幻冬舎文庫
※2『大きなさよなら』幻冬舎文庫
【写真】鍵岡龍門
【撮影場所】大平邸
お二人の新しい本が出版されます
吉本ばななさん新刊
『ミトンとふびん』新潮社
愛は戦いじゃないよ。愛は奪うものでもない。そこにあるものだよ。たいせつなひとの死、癒えることのない喪失を抱えて、生きていく――。凍てつくヘルシンキの街で、歴史の重みをたたえた石畳のローマで、南国の緑濃く甘い風吹く台北で。今日もこうしてまわりつづける地球の上でめぐりゆく出会いと、ちいさな光に照らされた人生のよろこびにあたたかく包まれる全6編からなる短篇集。
大平一枝さん新刊
『ただしい暮らし、なんてなかった。』平凡社
50代を迎えたいま考える、暮らしのあれこれ。家事のルーティン、モノの持ちかた・手放しかた、人付き合い、自分養生。かつてのわたし、いまのわたし。たくさんのトライアンドエラーを経てたどりついた、大平さんの心安らぐ暮らしの現在地とは。本連載の一部も所収されているエッセイ集です。
「みんな、生きている途中だ。自分にフィットする暮らしのありようを求めて石のようにどんどん転がっていけばいいと思う。変わることをとめずに。」(本書より)
もくじ
前編(12月16日)
同じ街で、同じ時期に子育てをしながら(吉本ばななさん・大平一枝さん対談)
後編 (12月17日)
書くこと、生活すること(吉本ばななさん・大平一枝さん対談)
吉本ばなな
1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。88年『ムーンライト・シャドウ』で第16回泉鏡花文学賞、89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で第39回芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で第2回山本周五郎賞、95年『アムリタ』で第5回紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』で第10回ドゥマゴ文学賞(安野光雅・選)を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版されており、イタリアで93年スカンノ賞、96年フェンディッシメ文学賞<Under35>、99年マスケラダルジェント賞、2011年カプリ賞を受賞している。最新刊『ミトンとふびん』が12月22日に発売予定。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。
(撮影 Fumiya Sawa)
大平一枝
1964年、長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)12月3日発売。一男(26歳)一女(22歳)の母。
https://kurashi-no-gara.com
当店で連載中のエッセイ
『あ、それ忘れてました(汗)』を読む
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