【でこぼこ道の常備薬】写真家 中川正子さん / 後編:「感情のひだを隅々まで味わって」 友人が教えてくれた、人生を豊かにする言葉。
文筆家 土門蘭
日常の中で、時々ついてしまう心の擦り傷。
そんな傷を癒してくれるものが、人それぞれあるのではないかと思います。
『でこぼこ道の常備薬』は、そういった常備薬のような存在についてうかがうインタビュー。
今回は、写真家・中川正子さんのお話の後編です。
前編では「いい部分も悪い部分も含めて自分の個性だ」と思うようになってから、落ち込んだり悩んだりすることがなくなった、と話してくださった中川さん。その代わり「傷つく」ことは今も多くあるのだそうです。
中川さんは、そんな時いつもどうされているのでしょう?
自分についた傷をただ眺める時間
── じゃあ、中川さんは今は落ち込んだり悩んだりすることがないんですね。
中川 そんなこと言うと、インタビューが終わっちゃいますよね(笑)。でも、「傷つく」だったらめちゃくちゃありますよ。毎日細かい傷がちょこちょこついています。
── そういう時は、どうされているんですか?
中川 ついた傷を眺めるんです。「これはどういう傷かな?」って。さっき、自分がどういう時に傷つくのかを検証してパターン化したという話をしましたが、それが20代からの習慣なんですね。「私はあの一言でどうして傷ついたんだろう」「言った人はどんな意図があったんだろう」と、事象全体をじっと眺めます。そうしているとちょっとずつ理由がわかってきて、気持ちが落ち着いてくるんですね。
── なるほど。
中川 それで私に原因があるなら謝るし、私ではなく向こうに原因がありそうなら、もう「しーらない!」って感じかな。あっ、「しーらない!」っていうのは、昔開発した「自分と人の間に線を引く」ための言葉なんです(笑)。それを頭の中で唱えながら、想像上の極太のペンを持ち、くっきりと線を引くところを想像してみる。そうすると、線が引ける気がするんですよね。
── 私は自分が傷つくと、つい反射的に相手か自分を責めてしまうんですよ。「なぜ私を傷つけるの」「なぜ私はこんなことで傷ついてしまうの」って。でも中川さんは「ただ眺める」というプロセスを置かれているんですね。その時間で傷が癒えていっているような……。
中川 そうですね。日々のかすり傷はそれで癒えていっています。ある意味でその時間が、常備薬的なのかもしれないですね。
「感情のひだを隅々まで味わって、人生を豊かにしていってね」
── とはいえ、傷がつくのはやはり痛いことだと思います。そんな中川さんにとって、日々を支える誰かの言葉や姿はありますか?
中川 「ギャルリーワッツ」オーナーの川崎淳与さんの言葉ですね。彼女は私にとっては最高齢の仲の良い友人だったのですが、2020年に亡くなってしまって。そんな彼女の言葉を、私は折に触れて思い出すんです。「感情のひだを隅々まで味わって。嬉しいことも悲しいことも悔しいことも十分に味わって、人生を豊かにしていってね」という言葉。
── 本当に素敵な言葉ですね。
中川 会うたびに彼女は「正子さんは、感情のひだを隅々まで味わって良い生き方してるわ」って言ってくださって。「そうお?」なんて言いながら、私は「ひだ」って聞いて焼肉のホルモンみたいなものを想像していたんですけど(笑)。
淳与さんが亡くなった時にも、その言葉を思い出していましたね。とても悲しかったし、コロナ禍で会いにも行けなくて……だけどうじうじしていると、淳与さんが上の方から「今が感情のひだを味わうときなのよ。そっちのひだは使ったことがなかったでしょう」って言ってくれている気がして。私は仲の良い友人が亡くなるのは初めてだったから、ひだのその部分を使うのは初めて。たしかにそれを十分に味わえばいいのかなと思ったんです。
感情に無理に蓋をするのでもなく、ポジティブに変換するのでもない。「今、私はものすごく悲しい」「三年経ってもまだ悲しい」ということを、ただ味わっていればいい。淳与さんのその言葉に、今も支えられていますね。
── その味わいは、淳与さんが残してくださったものでもありますものね。それをちゃんと味わい尽くして、人生を豊かにする……とても素敵な捉え方だと思います。
中川 悲しみだけじゃなく、怒りや嫉妬もそうですよね。「どうして私は今傷ついているんだろう?」と同様に、「どうして私は今怒っているんだろう?」と検証するのは、淳与さんが言うところの「味わう」にも繋がる気がします。ただ冷静に見るだけじゃなく、「なるほど、私はこんなことに、こんなにも怒っているのか」と、怒りを隅々まで噛んで味わう。そうすると、怒りが収まってくるんですよね。
傷つくのも悪くない、でも傷つき損はもったいない
── お話を聞いていると、中川さんにとって、傷つくことは悪いことではないのだろうなと感じます。
中川 あはは。そうですね。ポジティブに変換するのが速すぎてなかなか普段はうまく伝えられないけれど、しっかりと説明すると今お話ししたようなかんじです。傷つくのは悪くないって思っています。
── だから怯んでいないように見えるんだろうなぁ。
中川 でもね、傷つき損はもったいないって思うんですよ。傷ついて「痛い」って布団をかぶってこもっているだけでは、何にも成長しないし損です。もし今そういう人がいたら、せっかく傷つく才能があるんだから、痛くてもまずは布団をめくって傷を見つめるところから始めてほしいなぁって思います。それは自分自身をより良くするきっかけ、他者をより理解するきっかけになります。
傷つきやすいと世界を怖く感じるかもしれないけれど、まずは布団を出て、世界がどう怖いのか、どう傷つけてくるのか、ちゃんと見てほしい。
── そうするうちに、少しずつ世界や自分のことがわかってくる。それはひとつの能力ですよね。……なんだか中川さんは、世界を信じているんだろうなぁという気がします。ざっくりした言葉で申し訳ないのですが。
中川 土門さんらしからぬざっくりさですね(笑)。でもあえて私もざっくり返すならば、この世界を信じています。自分も含め、世界は不完全さに満ちているけれど、それごと含めて信じている。
── 不完全さを受け入れつつ、否定しないでただ信じる。中川さんのその姿勢に、私自身お話しながら癒されていっている気がします。
良い仕事ができるように支えてくれる物ごと
── 毎日お仕事もお忙しいと思いますが、仕事をする上で大変なことって何でしょう? 最後に、それを助けてくれるものがあればお聞きしたいのですが。
中川 実は、仕事で「大変だな」って思うこともほとんどないんです。早起きくらいかな(笑)。でも、仕事を良い形で続けていけるように支えてくれる物ごとなら、いくつかありますよ。撮影の仕事ってまるでアスリートみたいで、100メートル走者がいつも全速力で走らないといけないように、現場に入るとどんな被写体でも120%の状態で撮らないといけない。「今日はピンと来ないから撮れません」じゃだめですもんね。だから、現場ではいつもお得意の感受性が全開であるっていうのが、私の理想なんです。
そうあるために、自分の中にカードをいくつか持っています。例えば、音楽、香り、朝に飲むお茶、夜に行うストレッチ、そして筋トレ。大事な仕事の前にはちゃんと運動して、よりベストな自分に近づけておくんです。
── 精神的なコンディションを整えるために、外部から整えるんですね。
中川 そうそう。自分を整えるリストがあって、それを実行することで、いつも同じコンディションに持っていけるようにしています。
例えば、音楽だったらGrandbrothers。彼らの作品には、「この曲を聴いたら絶対大丈夫!」っていう曲が何曲かあります。あとはPodcastもよく聴いていて、特に武田砂鉄さんの安定した声が好きで、自分のトーンも整えられる気がします。ミシェルオバマ氏やメーガン妃のものもよく聞いています。パワフルな女性の強い言葉に力づけられます。香水はお気に入りのものを、自分のためだけに家でスーハー嗅いでみたり。そんなふうに、コンディショニングの仕上げにシュッとひとふきする感じで、いろんなものに助けられています。
── 何を摂取すれば、自分のスイッチが入るのか。それを知るのも、自分を知ることですね。
中川 そうですね。それもある意味、処方箋なのかも。結局は自分なんだけど、仕上げは皆さんに助けてもらっている。そんな感じで、日々支えられています。
「自分も含め、世界は不完全さに満ちているけれど、それごと含めて信じている」
微笑みながらそう言い切る中川さんからは、強さと優しさの両方を感じました。感情を味わうことは大変なことかもしれないけれど、その味わいが自分自身の人生を豊かにしてくれる。そう考えると、落ち込むことも悩むことも傷つくことも、あまり怖くなくなる気がします。
自らの感受性をオープンにすることに、まったく怯んでいない。そんな中川さんの印象の理由をうかがえた、今回のインタビュー。話し終えると光がいつもよりも優しく見えるような、世界が少し柔らかく見えるような、そんな気持ちになりました。
(おわり)
【写真】中川正子
もくじ
中川正子
写真家。自然な表情をとらえたポートレート、光る日々 のスライス、美しいランドスケープを得意とする。写真展を定期的に行い、雑誌、広告 、書籍など多ジャンルで活動中。2011 年 3月より岡山に拠点に、国 内外を旅する日々。最新作は135年の伝統を持つ倉敷帆布の日常を収めた「An Ordinary Day」ほかに写真集に「新世界」「IMMIGRANTS」「ダレオド」などがある。文章執筆の仕事も多数。2023年に初のエッセイ集を発表予定。
Instagram:@masakonakagawa
土門蘭
1985年広島生まれ。文筆家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。
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