【連載|日々は言葉にできないことばかり】:愛すべき孤独。寄り添うべき孤独。
文筆家 大平一枝
入学した日。就職した日。結婚した日。子どもが生まれた日。
たとえば自分史を書くなら、そんな特別ではない日のほうがずっと多く、空欄ばかりになるだろう。
この連載は、空欄のなんでもない日の価値を考えてみたいというところから始まった。とくに、喜怒哀楽からこぼれ落ちた、言葉にできない感情、切なかったり、やるせなかったり、悔しかったりした日々に焦点を当てた。
これまであまり考えたことがないような、悶々とした日や、しこりになっている日々にも意味があるのではないか。現在の自分をつくる、大事なピースになっているのではないかと思ったからだ。
いつかひとりになるときを想像してしまう
第三回のゲストはChigaya Bakeshop(チガヤ・ベイクショップ)のオーナー、ちがやさんである。思い当たる愛読書をいくつか持参してくださったなかに、『悲しみの秘義』(若松英輔)があった。この企画の準備段階から、私も繰り返し読んでいた作品である。
妻を亡くした若松氏が、喪失や悲しみ、孤独という感情と向き合った作品で、深い悲しみを通じてしか見えてこないものについて綴っている。
「なぜこれを?」という問いに、ちがやさんは少しはにかんだような表情で答えた。
「主人ともいつか、そういう別れの場面がくるだろうな、どうやって乗り越えたらいいのかなって考えているときに、書店で見かけたのです」
── ご結婚は?
ちがや 5年前です。
── まだ考えるのが、少し早いようにも思いますが。
ちがや 彼が13歳年上なので……。同じ時間を過ごして思い出ができ、愛が大きくなるほど、いつかひとりになるときの悲しみが大きくなる。孤独ということについては、夫と一緒になって、さらによく考えるようになりました。
── そう考えると、恋愛していた時以上に、夫婦や家族というのは切ないものかもしれませんね。
ちがや ええ。銭湯が好きでよく行くのですが、おばあちゃんどうしの会話を聞いていると、初対面は必ず「おひとり?」って聞くんですよね。「主人は何年前に亡くなって今ひとりなんですよ」「あら私も」なんて。ああ、私も歳を重ねたら、そんなふうに、誰かに聞いたり答えたりするんだろうなって。
偶然にも共通の愛読書から始まった対談で、ちがやさんには、これまでも今も、いろんな種類の孤独を感じる瞬間があるらしいとわかった。
それはけっして避けたいようなものではなく、聞けば聞くほど、むしろ彼女の人生をゆたかに下支えしているように、感じられた。
日々は言葉にできないことばかり
第三回 ちがやさん
Chigaya Bakeshopのオーナー。石巻市出身で、父親の仕事の都合で中学・高校を湘南で過ごす。大学時代にスタイリストの修業を行い、卒業後は単身ニューヨークに渡り舞台衣裳をコーディネートする仕事に就く。一時帰国中に辻堂の物件と偶然出会い、2014年開店。現在は4店舗になる。プライベートでは夫と犬とともに暮らす。
Instagram @chigaya_bakeshop
「やりたいことを、早くしなきゃ」
ふわふわの生地にきび砂糖がまぶされた素朴なプレーンドーナツは、この店の顔だ。口溶けがよく、型抜きを使わないためひとつひとつ形がちょっと違うそれは、揚げたてが並んだとたん、次々に売れてゆく。
けれどもお客さんもスタッフものんびり穏やかで、人気店にありがちな、あくせくした雰囲気がない。店の隅々まで、どこまでものどかで居心地が良いのである。
意外なことに、ちがやさんは2014年に最初の店を辻堂に開くまで、パンやドーナツを一度も焼いたことがなかったという。
ちがや ファッションが好きで、学生時代にスタイリストのアシスタントに。卒業後はニューヨークに渡り、舞台衣装のスタイリングの仕事をしていました。
── 日本でアシスタントを始めたとき、手紙を何通も書いてオファーしたと伺いました。行動力はもちろん、体力ややる気がすごいなあと。そもそも、学生をしながらのアシスタントも、相当大変だったのでは。
ちがや 早朝から働いて、スタイリストバッグ持って授業に出て、終わったらまた現場に戻ってとか。そう、あの時が一番大変だったのかもしれないですね。
── ニューヨークでも、付きたい師に自ら連絡して面接を受け、卒業式を待たず渡米したんですよね。その行動力はどこから生まれるのでしょう。
ちがや 高校3年のときに交通事故に遭い、重傷を負いました。2カ月間入院して、寝返りもお手洗いも手助けなしにはできない生活で。そのとき突然、死と向き合うことになって、何というか、開き直りました。いや、開き直らざるをえない状況だった。それまでは陸上一筋。長距離走で実業団に内定していましたから。
── 自分の意志と関係なく、人生はいつ幕を閉じるかわからないと18歳でご経験されたと……。
ちがや はい。人間、いつ死ぬかわからない。だからやりたいことを早くしなきゃと迷いはありませんでした。
「あなた、そんなんじゃだめよ」
── 渡米されたとき、英語は話せましたか。
ちがや 日常会話程度でしたね。すぐ仕事が待っていたので、英語学校に通う間もなく、実践で覚えていきました。ニューヨークの人って、しゃべるのがすごく早いんですよ。苦労しました。
── 知り合いもいない、英語も話せない。私なら心細くてたまりません。
ちがや アパートの大家のおばあちゃんに「よろしくおねがいします」と挨拶に行ったら、「そんなんじゃだめよ。もっと強くないと、ここでは生きていけないわよ。それで何人もここからいなくなったから、あなたは頑張りなさい」と言われました。
── 厳しいけれど刺さる助言ですね。ニューヨーク生活で変わりましたか。
ちがや 変わったと思います。たとえばルームメイトがパーティをして部屋を散らかしたままにする。翌朝、私が掃除をして「遊んだあとは自分で片付けて」と言うと、「あなたがやりたくてやってるんでしょ」と返されてしまう。これは、はっきり言わないとだめなんだなと思いました。家でも仕事でも、そんなことがしょっちゅうで。
── すぐ直してくれるものでしょうか。
ちがや いえ、なのでその都度口にします。あとから、言いすぎちゃったかな、と変に心配にもなるけど、ここで生きていくためには、そういうふうにならないといけないんだと割り切りました。ルームメイトは友達ではないし、それぞれ生きている世界も生活リズムも違う。言葉にしないと、伝わらないので。
日本にいたら。あのとき事故に遭っていなかったら。おそらくこの強さは身についていない。
そして、一日中気を張って過ごしていた彼女にとって、もっとも心休まるのが、居心地のいい空間での『食べる時間』だったのである。
なんだか家に帰りたくなくて……
ちがや そんなんだから、あまり家に帰りたくなくて、カフェによく通っていました。
── そうでしたか……。
ちがや お気に入りの2軒は、どれだけ長くいても何も言われなくて、適度なざわめきがあって、ひとりでも心がなごんで元気をもらえる場所でした。
── わ、いいな。食べものも美味しいんですか。
ちがや 1軒は夜、カフェバーになる店で、にんじんスープが絶品なんです。カレーの風味がちょっとして。もう1軒はラベンダー入りのショートブレッドがおいしいベイクショップ。この2店には大きな影響を受けました。
── 現在のChigaya Bakeshopにもつながるような?
ちがや はい。学生時代にバイトした根本きこさんのカフェcoyaとともに。いつか歳をとったら、こんな自分の好きなお店をやりたいなあって。焼きたてのパンを置いて。私、もともと、パンやドーナツやクッキーみたいな粉ものが大好きなんです。
その夢は、思いのほか早く実現する。たまたま一時帰国して訪れた湘南の辻堂で、好きなビストロの隣に、空き物件を見つけたのだ。
直感的に、ここで焼きたてのパンを作って客に渡すお店をひとりでやる姿のイメージが湧き、即、行動に移した。
ちがや ちょうどロサンゼルスに越そうかな、映画のスタイリングもしてみたいな、と迷ってた時期でした。ただ、なんかもう、その物件が借りられるとなった時点で、気持ちは決まってましたね。やらない理由が考えられない。3年やってみて駄目だったら、また戻って服の仕事をすればいいやと、思いました。
孤独と向き合う時間をどう楽しむか
こうして研究に研究を重ねて焼き上げたドーナツやマフィンが並ぶChigaya Bakeshopは、2014年に開店した。カウンターと8席の小さな空間である。
作って、売って、片付けをして、仕込む。すべてをひとりでこなす店では、「孤独と向き合う時間が長かった」と振り返る。
ちがや 雨の日はお客さんが少ないので、気持ちも落ちるんです。売れ残ったパンやドーナツが、自分の子どもみたいでかわいそうで。お店って、待つ仕事なんですよね。誰も来なかったり、売れ残ったり、そういう光景とも向き合わなくちゃいけない。だから、どうやって待てるか、待つのを楽しめるかに、けっこうかかっていると思うんです。
── どうやって孤独と付き合ったのでしょう。
ちがや いろいろ工夫しました。お花を1輪でも置くと自分も嬉しいし、雨の日に来てくれる人の気分もちょっと明るくなります。お客さんが来ない日ほど、お掃除をしてきれいにしました。すると気持ちも晴れ晴れとして。あとは本を読んだり、ティーコゼーやコースターを編んだり。お客さんが来る万全の準備をして待ちました。
「あのとき、私、寂しかったんだと思います」。
ちがやさんは懐かしそうにつぶやいた。
客を待つ孤独を愛おしむような、やさしい表情で。
── お客さんとのやりとりは。
ちがや 小さなお店なので会話は多いんです。毎日来る人もいて。やっぱりおじいちゃん、おばあちゃんはね。いつも来る方がいないと、すごい心配になっちゃう。心配させないように「明日は用事で来られないけど、明後日は来るからね」と、教えてくれる方もいました。
「東京にも」という声に応え、2019年にChigaya 蔵前を、次に森下、日本橋に開店。
現在も、ちがやさん自身が生地を配合。早朝から手作りし、開店の頃、いったん自宅に戻るという生活リズムだ。
妥協しない味は、沢山の人に愛されている。店も拡大している。
だからこそ、最近は別の種類の孤独が、心にはりつく。
「自分が思うようなふうには、人を動かすことができてなくて。スタッフもいっぱいいるし、伝わり方も違うし。ちょっとしたことでも言わないと、お店が乱れてしまう。でも何をどこまで言えばいいだろう。細かすぎるって思われないかな。個性を潰しちゃわないかな。考えすぎて、いっぱいいっぱいになります。その相談をする人がいない。孤独な立場だなって思います」
新たな孤独よ、こんにちは
── それは、これまでとはまた違う孤独だったのですね。
ちがや 自分ひとりでやっていた時は、いつもお客さんの言葉に助けられていました。今は、任せられるスタッフが増えたぶん、私がこうしたいという気持ちと同時に、その人のいいところがちゃんと出ているお店にしたいという気持ちもあって。バランスに悩みます。
── どうやって折り合いをつけていますか。
ちがや 任せきろうと、腹をくくりました。その人が育てたお客さんがくれば、お店はいい空気になるはず。働いている人がどれだけ生き生きしているかが一番大事だなって。
── ああ、なるほど。
ちがや ただ……。家族のように思っていたスタッフに辞めると言われるのは、いまだに慣れないし寂しいです。こんなに悲しいなら、ひとりのほうが楽かなって一瞬思うことも。
── それでも頑張れる理由はなんでしょう。
ちがや 自分で作ったものを、自分の手で渡してお客さんに喜んでもらえる。こんな幸せなことないですよね。真夜中に仕込みに行くと、オーブンが暖まるまでは寒いし、ひとりだし、孤独なんです。だからいつも、お客さんの顔を思い出して作ります。「これ、あのお客さん好きだったな」とか「今日はあの方来てくれるかな」とか。不思議なもので、思いながら作ると、その方がいらしたりするんですよ。これは辻堂の頃から。
── そういう話、聞いたことがあります。ホントにあるんですね。
ちがや ええ、あるんです。不思議ですよね。最近スタッフからも言われました。「ちがやさん、私も同じことが起きました!」って。
かつて、ひとりぼっちだった時間がある
向き合うものが洋服の生地からパンの生地になっただけで、働くことへの情熱は20代の頃となにも変わっていない。いつか、ひとりになっても、体を動かしていたいし、お客さんと会話をしながらパンも焼いていたいという。
次なる夢は、1階がベーカリーショップのホテルを作ること。
彼女なら、そう遠くない先に実現しそうだ。でも、ホテルとはまた大変そうだが、なぜ?
「ひとりでいても居心地が良く、元気や勇気をもらえる場所づくりをしたいんです」
それをきいて、ふたつのことが腑に落ちた。
この店の、いつまでもいたくなるような居心地の良さ。
もうひとつは、かつてひとりぼっちだった自分が癒やされ、元気をもらったニューヨークのあのカフェのような空間を、今度は自分でという熱い気持ち。
若松英輔さんの本を読んで、今からひとりになる切なさを想像するちがやさんのように、誰だって喪失を介してひとりぼっちになるのは怖い。
孤独を感じたとき、ふんわりと存在をまるごと受け入れてくれるカフェのようなあたたかな場所があったら、ものすごくたくさんの、“切ないひとり”が救われそうだ。
私も彼女も、孤独や切なさの正しい引き受け方は、まだ知らない。
まだ人生という旅の途中なんだよな、と彼女のこんな言葉からも実感した。「みんなが孤独とどう向き合っているのか、すごく知りたいです」。
ベーカリーで。ホテルで。私は取材で。追究する日々を共に楽しみたい。
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『男と女の台所』『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。最新刊は『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)。 インスタグラムは@oodaira1027
大平さんのHP「暮らしの柄」
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撮影:土田凌
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