【連載|日々は言葉にできないことばかり】:自分がいつも、いちばんの親友
文筆家 大平一枝
白いチューリップが2輪、ダイニングテーブルですっくと頭を天に向けていた。花弁が膨らみかけている。可憐なだけではない、凛とした佇まい。
「ひとり暮らしは寂しい……というのはおかしな偏見だなと思います。ひとりでいるときほど、自分自身と親友になれて、とてつもない自由を楽しめるのに」と語るこの部屋の住人、髙橋百合子さんの印象とその花が重なり、私はひとり勝手に納得していた。彼女にぴったりのしつらいだな、と。
髙橋さんは、2019年9月、夫で建築家のエドワード鈴木さんを天に送った。仕事が終わると毎日、彼女の会社がある青山まで迎えに来て、一緒にお茶や食事をして歩いて麻布の家まで帰る。そんな生活を20余年してきたパートナーである。
対談では、“日々の名指せない感情”について、様々な方向から思考を深めてくださった。
喜びも、満足も、絶望も、懐かしさも、せつなさも内包した彼女の来し方から生まれる言葉はどれもみずみずしく、深い。だから示唆に富んでいる。気づきの多い対話になった。
日々は言葉にできないことばかり
第四回
イーオクト株式会社 代表取締役。大学卒業後、読売新聞社、専業主婦を経て、記事広告制作・展覧会プロデュースなどを手がける。1987年に現在の会社の前身、株式会社オフィスオクトを設立。夫である建築家のエドワード鈴木氏(主な建築作品は「さいたま新都心駅」や「セントメリーズ・インターナショナル・スクール校舎棟/体育館棟」など)を2019年9月に病気で亡くす。
コーポレートサイト https://www.eoct.co.jp/
公式オンラインショップ https://www.ecomfort.jp/
寂しさは、愛おしいもの
── この企画は、もっと繋がり合おう、いいねをしあおう、友だちが多いことをいいとされがちな世の中で、たとえば孤独や寂しいという感情はそんなに悪いものなのか。けっこう愛おしいものではないかという発想から始まりました。
髙橋 はい。この前ニュースかなにかで、お正月にひとりで過ごす高齢者が何%だって、報道していてね。なにか、ネガティブな意図を感じましたね。日本のお正月は、家族が揃って過ごすっていうイメージがある。だからきっと、ひとりだと寂しいということにされてしまうのかもしれません。
── たしかに、その固定観念はありますね。
髙橋 我が家はもともと、お正月くらいはのんびりしようと毎年エドワードと二人で定宿に行ってました。もちろん家族で集まるのはいいものですが、みんながそうしているわけじゃないですよね。
── 私も著書の取材で会ったある男性の言葉が忘れられません。80代で妻を看取っておられるのですが、一番嘆いていたのが「おひとり暮らしで、料理や家事も不自由されているでしょう」と、同情されることだと。その方は、夫婦ともに教師で若い頃から共働きなので、家事分担してきて、料理も掃除も得意なんです。
髙橋 女でも慰められがちなんですよ。だから夫を亡くしたあとはしばらく人に会いたくなかった。相手に気を遣わせるから。コロナ禍は、私にとっては救いだったと思っています。社交がなくなり、ひとり静かに暮らせたので。
心のお守り
エドワードさんはインターナショナルスクール出身で、海外にも友だちが多い。葬儀後、英語圏の人々と、日本人と興味深い違いがあったらしい。
髙橋 英語圏の人たちはみんなとにかく「一緒にごはんどう?」って言ってくるの。そして、「役に立てることがあったら、いつでも言ってくれ」って。
── なるほど。
髙橋 ある時なんて、ニューヨークの夫の友人だという男性から、突然私にメッセンジャーで「今度東京に帰るから一緒に食事しよう」ってお誘いが届いて。フェイスブックで直接繋がっている方ではないけど、どこかで面識があったのかもしれないと「前にお会いしたことありましたっけ?」と聞いたら「ないよ!」って(笑)。
── それでどうされたんですか。
髙橋 共通の友達と一緒にお会いしました。エドワードを大切に思ってくれているとわかり、とても楽しかった。どの方も会うと、エドワードはこうだったよね、ああだったよねって、懐かしんで語り合う。私の知らない彼を知れて、嬉しいものでした。
── 私は“ご愁傷様でした”という言葉くらいしか思いつかず、困ってしまうことが多いです。
髙橋 そう、日本ではそっとしておこうとするし、亡くなった人についてあまり触れないですよね。全然違うんです。この違いは面白いですね。
もちろん国民性の違いもあるだろう。
それ以上に、お連れ合いの人柄がよく伝わる話だなあと感じた。
髙橋さんいわく、「冗談好きで、面倒見がよく、友だちが多い、そしていつも私を笑わせてくれていた」パートナーが、いなくなって3年半。
葬儀後は、これまでどおり自分の仕事をこなし、料理も家事も滞りなくこなしてきたが、心のどこかがぽっかりと空いたままだったという。
「亡くなったことによって、もっと彼を知ることになる。つねに一緒にいる。私の中で生きていく。カーナビの衛星みたいに、いつも私にくっついて、追跡してくれている」と、思えるようになったのは最近だという。
髙橋 ご主人を亡くした友達が「5年経つと、なんでもなくなるよ」っておっしゃってくれて、そうか5年経ったら大丈夫になるのかと、今はその言葉がお守り代わりです。
ひとりだけどふたり
── ひとりの自由について、もう少しお聞きしても良いでしょうか。ふだんはお仕事で人と接していらっしゃいますが、オフはどうされているのでしょう。
髙橋 仕事以外、ベースはひとりでいます。本がないと生きていけないので読書は欠かせませんし、散歩で遠出も楽しみます。バスを乗り継ぎ、新しい街に行くのが好きなんですね。ゆりかもめに乗って海の景色を眺めたり、日比谷公園に行ったり。木曜夜あたりから、さぁ週末はどこにいこうとワクワクし始めます。
── 平日はいかがですか。
髙橋 夕方、特別に急いで家に帰る理由がないときは、なにをしようかととてつもない自由を感じますね。爆発しそうなくらい心が踊ります。
最初の結婚が早く、大学卒業後、新聞社、広告制作を経て環境対策製品を扱う会社を創業したため、人生においてひとりで生きていたことが少なかった。
だからこそ、こう実感する。
「今、こうしてひとりでいることが、とても贅沢な気がしています」。
いっぽうで、新たに生まれるせつなさもある。
エドワードさんとは、どこへ行くにも一緒だった。家でも外でもふたり。そのため、ふたりでよく待ち合わせしていた場所や店には、今も行けない。
髙橋 表参道の山陽堂書店や、待ち合わせ後、一杯飲むため毎日のように寄っていたお店なんかはやっぱり、行けませんね。
ふたりで歩いた道全部に彼がいる。
その記憶にはおそらく、幸福とひとかけらのせつなさが同居しているんだろう。
簡単に折り合いをつけない
── 髙橋さんは、30代から、今の会社に繋がる仕事を起業されました。私は取材でさまざまな経営者や店主にお会いすると、みなさん、いちばん仕事で難しいのは「人だ」とおっしゃるんですよね。これはもう一様に。
髙橋 わかります。私は社員に対しては、教え続けるしかないと思っています。言い続けるしかないと。
── その際の指針は。
髙橋 『私達が大切にする価値観 真実+20Values』という指針を作りました。一人ひとり価値観や考え方は違いますから、働く上で拠り所になる共通語が欲しかったんです。
── それでも、折り合えないことが出てきたときはどうしますか。自分に折り合いをつけてやっていくって、じつはけっこうしんどい気がしますが。
髙橋 折り合いをつけないで、言い続けます。だって、仕事って、一日でいちばん長い時間を一緒にいるでしょう。価値観が違いながら一緒にいるって、お互いにきつい。社員も面白くないし、幸せじゃないと思うから。
── 折り合いをつけない! それは新鮮です。日本の社会では自分が違うと思っても、折り合って調和を重んじることがいいとされてきたし、私もその価値観の中で苦しむことも多いので。
髙橋 短期的には折り合うのがしかたないときもあります。どんなに話しても平行線で、これ以上はお互いによくないというときもあるでしょう? でも、長期的に見て、価値観が折り合えないのは絶対だめ。妥協せず、話し合い続けることが大切です。
理不尽なこと、納得できないことに対して折り合わないのは、個人もビジネスと同じだと彼女は言う。
長年会社を率いてきた人の断言に、私は目から鱗が落ちるようだった。
髙橋 折り合うことがいいという価値観は、日本社会の良くないところだと感じます。たとえば、女性だからと、対等に評価されなかったり、理不尽な仕事を押し付けられたりしても、自分に折り合いをつけ、反論してこなかった歴史もある。だから女性も省みるべきだし、そういう価値観はみんなで変えていきたいですね。
取材後、髙橋さんから届いたメールにこんな言葉があった。
『世間の思惑を考えない。誰の思惑も気にしない。表面的ないい人にならない。理不尽なことは受け入れない、戦う。自分の損得に左右されない生き方をする。』
まっすぐ天に向かって咲き誇ろうとする卓上のあのチューリップが、再び私の中で重なった。
愛を与える人
髙橋さんはもうすぐ、引っ越しをする。エドワードさんと20年共に暮らしたこの部屋と別れを告げる日が近いのである。
彼の癌がわかってしばらく経った13年前、ふたりで土地から探して見つけた横須賀市子安に移り住むという。
── 設計はもちろんエドワードさんですよね。完成はご覧になったのでしょうか。
髙橋 工務店に設計図を渡し、これから工事だという時に亡くなりました。夫がいないのにどうしようか、森にしようかと考えたこともあったのだけれど、彼があんなに気に入っていた土地だし、建築家だから。彼の描いた気持ちを形にしたいなと思い、最終的に越すことにしました。
アパレルブランドのモデルも務めていたエドワードさんは洋服をたくさん持っていた。それらすべてを、譲るなどして整理。「もうモノはたくさん持ちたくないので」と、自分の所有物も見直した。
誰かと畑もやりたいし、ご近所さんと花も植えたい。
仕事もあるので東京ではアパートメントホテルを借りようと考えている。
一人ひとりの暮らしから快適なサスティナブル社会を作るため、取り組みたい事業もまだまだたくさんある。
24時間を自分のために使えるようになったとはいえ、24時間で足りるんだろうか?といらぬ心配をしてしまう。
希望に満ちたお話があまりにも楽しく刺激的で、対談は予定より2時間オーバーした。
もっともっと話していたいと思わせる人生の先輩に、最後に「夢はなんですか」と大雑把な問いかけをしてしまった。
うーん、と考えあぐねた様子で笑いながら、話は逸れていった。
その先、エドワードさんの思い出話の中に、私は唯一無二の答えを見出した。
「教会での葬儀には、お別れに来てくださった方が入りきらず外に溢れてしまい、お花は飾りきれなかったので、お店に頼んで分けて届けていただいたら、2年以上も続きました。
亡くなったあと、いろんな人たちから私の知らない彼の話を聞いて思ったんです。
彼は私に与えてくれたのと同じように、やっぱりこんなふうに愛を、多くの人の心に残していたんだな。お金でも地位でもない。人生の成功ってこういうことをいうんだろうなって」
もうすぐ春。髙橋さんの新たなひとり暮らしが始まる。
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『男と女の台所』『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。最新刊は『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)。 インスタグラムは@oodaira1027
大平さんのHP「暮らしの柄」
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撮影:神ノ川智早
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