【連載|日々は言葉にできないことばかり】:世界はなんて広いんだ。ひとりぼっちがたくさんいる!
文筆家 大平一枝
ニットデザイナーの三國万里子さんと、東京都現代美術館のカフェでお話をした。
天井が高くて明るく、横長の窓が額のよう。中庭と空を眺められるのびやかな場所で、互いに「こんな素敵なスペースがあったなんて」と驚きあった。
「美術館って、見終わるとおなかいっぱいという感じで、あまりカフェで休まないんですよね」と三國さん。
「私もです。それに仕事の合間に駆け込むから、いつも余裕がなくて」
そこから、ここで観た石岡瑛子展の話になった。
コスチュームデザイナーでアートディレクター。圧倒的な素晴らしさなのに、私は閉館間際に駆け込んだために時間切れに。だから二度足を運んだ。どちらもカフェに立ち寄るエネルギーが、いい意味で残っていなかった。
三國さんが言った。
「私も観ました! すばらしい構成の展示だった。とくに会場の最後にあった、石岡さんが18歳のときに作った絵本に、ぐっときました」。
『えこの一代記』という素朴だが、信念が伝わる力強い作品だった。
「どんなに言葉を尽くしても、あの空間に置かれた絵本から受けた心の震えを、今ここで的確に説明し尽くすことは難しい。でも言葉ってそういうものだと思う。私、言葉をあまり信じてはいないんです」
それを生業(なりわい)にしている私は、深くひきこまれた。
日々は言葉にできないことばかり
第七回
1971年新潟県生まれ。3歳で祖母より編みものの手ほどきを受け、長じて多くの洋書から世界のニットの歴史とテクニックを学ぶ。「気仙沼ニッティング」及び「Miknits」デザイナー。著書に『編みものワードローブ』『うれしいセーター』『ミクニッツ 大物編・小物編』など多数。2022年に初のエッセイ集『編めば編むほどわたしはわたしになっていった』を上梓した。
Twitter @marikomikuni
私だけが不自由
三國 私、高校の時に、「言葉で言い表せないものは、じつはないのと同じじゃないか」というようなことが書かれていた本に、ガビーンと来て。しばらく考え続けたんです。そういう言い方ってなんかかっこいいけど、本当にそうなのかなって。それで、言葉って便利だけれど、事象とはどうしても等価にならないと思うようになりました。
── 私は年を重ねるにつれて、同じようなことを感じています。
三國 SNSの「いいね」も、「寂しい」という言葉も、気持ちとイコールにはならないですし。
── そのものの気持ちをぴったり言い表せてはいないですよね。
三國 言葉って、そもそもそういうものだというのを、出発点にするくらいがいいと思うのです。言葉でわかりあえるというのは、幻想なんじゃないかって。
── それで思い出したんですが、私は15年ほど前に、『見えなくても、きこえなくても。』というノンフィクションで、1年かけて京都の山里に暮らす全盲ろうのご夫婦を取材したことがありまして。夫は健聴者、妻は目と耳が不自由なので、触手話という手の振動と動きで読み取る、特殊な手話で会話します。
三國 はい。
── 3人でいると、私だけが不自由なんです。触手話がわからないから。あのときの、言葉がなんの力も持たない無力感は印象深く覚えています。
三國 ああ、きっと外国を旅するときもそうですよね。
── 三國さんはふだん、言葉が100%伝わりきらないもどかしさを感じる瞬間はありますか。
三國 もどかしさというか、伝わらないものだという実感はあります。言葉を丁寧に組み立てれば、80%はつかめるかもしれないけれど。ひと言では表せない感情というのもありますし。ああ、そういえば昨日ね。
彼女は、たまたま歩いていた日本橋の光景を教えてくれた。
あとからわかること
4月の平日の昼。
日本橋の通りの向こうから、社員証を下げたサラリーマンが一斉に、昼食のため外に出てきた。その瞬間、三國さんは不意に胸がいっぱいになり、ある想いが湧き起こった。
「私はこれから仕事でお付き合いするどんな人にも、できれば親切に寛容でいよう」
── どうして急にそう思ったんでしょう。
三國 あとから、なぜだろうって考えたんです。じつはうちの息子が大学院を卒業し、社会人になってまだ2週間で。至らない無力な一年坊主がああいう人たちに混じって仕事をして、大丈夫だろうかと。息子の姿と重なったんですね。
── 私も同じような年齢の息子がいるので、想像すると胸に迫るものがあります。
三國 ふだんはね、おとなげなく、若い人に対して仕事でカチンと来ることもあるんです(笑)。でも自分も昔は未熟だったし、寛容でいたいなあとしみじみ思いました。そういう意味で、言葉で100%説明しきることはできなくても、自分の中を筋道立ててくれる助けにはなりますね。
彼女は、視覚から湧き起こる感情を、時間を経たあとから言葉で点検する。私は仕事柄か、すぐに言葉に置き換えて説明しようとする癖があるので、その時間差をおもしろく思った。
三國さんの著書『編めば編むほどわたしはわたしになっていった』には、そういえば私もそんな事があった、あのときそんなせつない気持ちになったんだよなあと、深く共感できる場面がたくさんある。
だれもがきっと、忘れていた感情を代弁してもらったような、不思議な読後感を持つだろう。
編み物のプロが、なぜこうも巧みで繊細、名人のようなエッセイを書けるのか知りたくてお会いしたのだが、そのいとぐちが垣間見えてきた。
母の深い寂しさ
── ご著書に、大学卒業後東京でのフリーター生活を経て、スパッと秋田の温泉旅館に働きに行くくだりがあります。決断の速さに驚いたのですが、新潟のご両親は反対されませんでしたか。
三國 反対されました。電話で母は「幸せになってほしいから言うんだよ」と。私は、「幸せ」ってひと言で言うけど、それが指しているものはみんな共通ではないということを、必死に説明しました。
── あー、私もそう言えばよかったんだよなあ。
三國 え、大平さんはどうでしたか。就職のときとか。
── 親から、地元の長野県の大学に進学して、保育士か、学校の先生か、公務員か、どれかになれと言われてました。それ以外の選択肢はないんだろうかと、ずっと悶々の連続でしたよ、もう。
三國 新潟でもそうだったと思います。県立の大学に行って公務員になるルートが最良とされる。
── 三國さんはその後、東京に戻り、ニットデザイナーとして歩み始めるんですよね。私は社会人になってからでさえ、何かの会話の拍子に長野に帰ってきてほしいと、ちょこちょこ願いを差し込まれましたが(笑)、三國さんは?
三國 私と妹が実家を出たあと、母は、本当は深く寂しかったのだと思います。本来は繊細で内気な人なんですけど、夫婦だけになってから、軽自動車で街の喫茶店に出かけてそこの人と仲良くなったり、山の上にまた違う人が喫茶店を作ったと聞けば、行ってみたり。自分なりにネットワークを作るようになり、今では友達もたくさんいて、うらやましいような70代の日々を過ごしている。だから逆に、あのときの深い寂しさに気づきました。
家族だから、全てを言葉にしない。察するのに、何十年もかかることもある。私にも心当たりのある経験だ。
だが彼女はそんなウエットな感情とは異なる、こんな言葉をすがすがしく放った。
「それがよかったかはわからない。けれど、そうとしか生きられなかった。皆の気持ちをすべて受け止めたら、きっと進めなくなる、私は私の幸せを探すぞと思って生きてきた。だから、息子が出て行ったら、自分もきっと寂しいと思うけど、その時はまた新たなチャンスだなと」
「ひとりぼっちが山ほどいる!」
三國さんには小学生の時からときどき母に連れられて行く、大好きな楽しい場所があった。隣町の書店だ。
内田百閒、中勘助、カルヴィーノ編纂の『イタリア民話集』、寺田寅彦。流行っている本より、緑帯とピンク帯の岩波文庫が揃った渋い棚に、妙に胸を掴まれたらしい。そこで出会った本が、自分を作るための土台になっている。
三國 もう一つ、10代の私の娯楽の最たるところは新潟市にある紀伊国屋書店でした。学期に1回、貯めたお小遣いをにぎって電車で1時間かけて行くんです。低くクラシック音楽が流れていて、ハードカバーのしっかりした造りの本や、美しい箱装の本を一つ一つ見るのが楽しくて楽しくて。なんて素敵な空間なんだろうと、いつもわくわくしました。
── あったなあ、そういう街の人が大事にしている本屋さん。私も小学生の頃住んでいた松本で、いちばん好きな書店がありました。2年生だったか、誕生日プレゼントに買ってもらった詩集もはっきり覚えています。みつはしちかこさんの。
三國 詩集! その1冊が、すっごく大事なんですよね。私は5年か6年の頃、熊井明子さんの『愛のポプリ』という本がどうしても欲しくて。たしか2千円くらいして、月500円のお小遣いを数ヶ月貯めて買いました。母に「大事にしなよ」って言われたのも憶えています。すごく嬉しくて何度も読んで。
── ポプリ研究家の。小学生にしてはちょっと渋いですね。
三國 めちゃめちゃ難しいんです。でも本はそれがいい。わからないページを開いたら違う扉が開く。消化不良なもの、わからないものがあるからこそ、もっと知りたくなる。大人になったら、そういうものがもっとたくさんあるんだろうと楽しみになりました。
── 簡単にわからない、片付けられないほうが楽しい。今になると本の良さがよくわかります。可能性って、世界が広がることだから。
三國 私は当初、自分の孤独しか見えていなかったけれど、大切そうに本を開く大人を見たり、自分でもページを繰ったりする中で気づいたんです。なんてこの世界は広いんだろう、ひとりぼっちが山ほどいる!って。
── そこだ! その発見は大きいですね。
三國 大きいです、大きいです。“みんな基本的にひとりなんだ”という発見が、“ひとりでも大丈夫”という自信につながり、やがて確信になったっていうか……。
── なんか見えてきましたよ、三國さんの強さが(笑)。
三國 ふふ。そうですか? だからひとりで秋田に行ったって、ひとりで東京に帰ったって、この先息子がどこかに飛んでったって、私は幸せに生きるだろうって。そう思えるんです。
── わからないことって、おとなになればなるほど貴重になる。この連載でも以前話したことがあるんですが、私、自分が売った本を、何年後かに同じ古本屋で買ったことがあるんですよ。
三國 え、本当に?
── そのとき、このままじゃやばいって思いました。自分の好きな傾向の本ばかり買ってたら、世界が広がらない。いいなと思って買ったけど、つまんなかったんでしょうね。で、またタイトルや作家に惹かれて同じものを買ってしまった。私はなんて狭いところで、うろちょろしているんだろうと。
三國 なんででしょうね。人も、似た人と付き合うようになる……。
── そうそう。だから、ふたつ決めたんです。同時期に別々の人から同じ本を勧められたら、それがミステリーであれ実用書であれ、理解できないものでもなんでも買おう。それから、サシ飲みしたら、相手に「人生で一番影響を受けた本って何?」ってきいて、それを買おうって。
三國 おもしろい!
── だって一生を変えるようなすごい本を、会った人の数だけ読めるってお得じゃないですか(笑)。ちなみに、最近、同時期にあちこちで名前が出て買ったのが、三國さんの本です。
三國 わ、ありがとうございます。わからないことの方が、うん。嬉しい。たとえば、SNSって報告が中心で、わからないものをガサッとしたまま提示しないですよね。共感やわかりみもいいけれど、わからないことっていうのがやっぱり可能性で。何か、ようわからんけどかっこよくて、そこそこわかったなと思うと、また新しい世界の扉が開く。そういう楽しみが、言葉にできないものには、あると思います。
── いくつになっても、わからないことは尊い。
三國 はい。簡単には片付かないテーマを授けられると、未来をちょっと楽しみにできます。
連載は今回で7回目だ。つまり半年間、おりにふれ、“言葉にできないことの価値”について考え続けている。
三國さんの「言葉は万能ではないが、自分自身に納得できる説明をするために必要である」という思考は、とりわけ新鮮に胸に残った。
本はそういうときに役に立つものだったという実感とともに。
また、私は自分の想いを他人に伝えるために用いるのが言葉だと思いこんでいた。だが彼女は、自分を知るために用いている。なぜなら「自分というものは、そんなにわかっているものじゃないから」と。そう、あの交差点で突然振ってきた「これからはどんな人にも寛容でいよう」という感情のように。
途中、三國さんは「私の話し方、なんだか書き言葉みたいでごめんなさい」と、首をすくめた。
たしかにどちらかといえば硬質だ。
だが、不思議なことに、あとから対談の音声を聴けば聴くほど、ユニークな気づきがある。
私はそれをもっと味わいたくて、ひとりカフェに居残り、サンドイッチとコーヒーを追加した。
かつて、心の震えをうまく言葉にしきれなかった美術館の片隅で。
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『男と女の台所』『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。最新刊は『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)。 インスタグラムは@oodaira1027
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
撮影:吉田周平
二階のサンドイッチ(東京都現代美術館内)にて
https://www.mot-art-museum.jp/
http://www.smiles.co.jp/upstairs/
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