【連載|日々は言葉にできないことばかり】:これも自分。うまく付きあっていくしかない
文筆家 大平一枝
2年前。
初めて会ったとき「一枝ちゃんって呼ばせてもらうね!」と朗らかに言われた。白い歯に、口角がきゅっとあがったスマイルライン。鈴のような澄んだ声。
山本浩未さんとはおない年だが、私が26歳で出版の世界に入ったときにはすでに、ヘアメイクの世界のトップランナーだった。
いつ会っても、良い印象が変わらない人。私にとってそのひとりが山本浩未さんである。
変化の激しい美容の世界で、どうしたらこの、人との垣根のなさ、あたりのやわらかさを保てるのか。
一度きちんと話してみたい、秘密を探りたいと思った。
「おまたせしました!」
はつらつとしたいつもの笑顔で現れた彼女は、椅子に座るより早く、話しだした。
「言葉にならない感情、すごくよくわかります。私、ヘアメイクの仕事に絶望して、2回辞めようと思ったことがあるの。対談のテーマを聞いて、その時のことを思い出しました」
日々は言葉にできないことばかり
第八回
広島県福山市出身。資生堂美容学校卒業後、資生堂ビューティークリエーション研究所にてヘア・メイクアップアーティストとして宣伝、広報、商品開発、教育などに従事。1992年フリーとなる。「今すぐ実践できるメイクテクニック」を発信するメイクアップの第一人者。メイクのみならず、気持ちが元気になるポジティブな美容理論が好評。洗顔料を使わず“温める・拭く・流す”のシンプルメソッド「スチームON顔」などオリジナルメソッドの開発も精力的に行う。
ホームページ http://steam5.com/
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自分を承認できない
── 辞めようと思った一度目はおいくつのときですか。
山本 28歳。その3年くらい前から自分の才能のなさに絶望して、違う道に進もうって思ってたの。
── 資生堂でバリバリにヘア・メイクアップアーティストとして働かれていたときですよね? いろんな雑誌やコレクションに出て。
山本 才能のある人はいっぱいいるから。自分をなかなか承認できなかったんですよね。
にわかには信じがたいが、掘り下げて聞くと、ヘア・メイクアップアーティストでありながら社員であるという難しい立場から生まれる特有の苦しみが内在していた。
山本 恵まれた仕事をさせてもらってたんです。広告など超一流のクリエイターの皆さんと。そのギャップにずっと悩んでいた。立派な人たちほど、信頼しあったチームがもうできている。そこにいきなりキャリアも違う、クライアントのヘアメイクが入るって、すごい場違いないんですよ。
── ああ、わかります。私も資生堂の会報誌の仕事をしていたことがあって。クライアントさんが造り手側にいるって、たしかに気を遣うかもなあ。
山本 そうなの! 私が入ることでやりづらいんじゃないか、おもしろいものにならないんじゃないか。そもそも、私だけ力が足りていない。誰も言わないけど、なんか肌で感じちゃうんです。それがすごくつらかった。
現場に行けば場違いの居づらさを、会社にいれば自分の才能の限界を。誰に何を言われるのでもないのに、細かいところまで気になる。相手の気持を考えすぎて、いたずらにひとりしんどくなってしまう。
だから「ずっと、グズグズ悩んでいました」。
── ヘアメイクでなく、スッパリ別の道に進もうと辞めちゃったんですか。
山本 はい。あてもなく28で。こんなにグズグズ考えているんだったら、違う世の中を見よう、きっとできることが他にもあるはずだって。でも、一旦帰省した広島で通いだした自動車学校も、当時の恋も、何もかもうまくいかなくて、いつもさめざめ泣いてました(笑)。
そんな折、たまたま前職で組んだ芸能事務所から、ヘアメイクを単発で依頼された。
「せっかく声かけてくれたし、暇だし」と、東京に戻ってタレントさんにメイクをした。それが──。
山本 めちゃくちゃ楽しかったの! クライアントとしてではなく、いちアーティストとして、相手から望まれたヘアメイクをする仕事だったから。それが本当に本当に嬉しくて。相手も喜んでくださって、ああこれなんだよなって身にしみました。
過ぎてから気づくこと
依頼は二度、三度と続き、やがて雑誌のメイクページも頼まれるようになる。意図せずその道に導かれ、結局、会社員時代の経験が彼女の下支えをした。
山本 当時は女性誌の中のメイクページってお飾りのような感じで。でも私は会社員時代に、感性を言葉で表現しなさい、と叩き込まれてたんですよね。人に説明しなくちゃいけないから。ふわっとした言葉じゃなくて、とにかく具体的にって。それが役に立ちました。
── 私も20代のとき、編集プロダクションでボスによく怒られてました。雑誌のストリートスナップのページで、かっこよさげなカタカナを並べて書いたら「雑誌っていうのは、どこで誰が読んでるかわからない。君の書いた原稿は、青山に住む若者には伝わるかもしれないけど、地方の小さな町の美容室で髪を巻かれながら読んでいる人には伝わらない。もっとわかりやすく書け」って。
山本 一緒、一緒! メイクのプロセスに使う言葉をちゃんと表現できたことは、強みになりました。20代の頃に嫌だなって思っていたことが、じつは自分の実になっていて、助けてくれたの。
── 編プロに勤めていた頃は、一日も早く巣立ちたいって、そればかり考えてました。でも今、あのときボスに言われたことが、全部全部自分の中で生きている。いっぱい学んだのにあの頃は、感謝を忘れてフリーになることだけに憧れていたんです。
山本 財産だったと、あとから気づくんですよね。
同時代を生きて、今この年齢だからわかる、人生の機微。あのときうまく言えなかった想い、伝えそびれた「ありがとう」。大切だったと、いつも過ぎ去ってから気づくのである。
宝塚の転機
山本 30代はメイク雑誌が次々創刊されたり、ヘア・メイクアップアーティストが前に出るようになったり、自分で“ブルドーザー時代”って呼んでるんだけど(笑)、とにかく来る仕事は全部やった。でも人に自分の肩書を言えなかったんです。私がやってるナチュラルメイクって、誰でもできるじゃんって思って。ずっとコンプレックスでした。
── ナチュラルメイクは、当時からブームでしたよね。
山本 そうなんだけど、中学の頃に『花椿』を見て、ヘア・メイクアップアーティストになろうと決めたときから、私にとってのそれは、クリエイティブなことをする人のことだったから。私のメイクは違う。「これじゃだめだ」がつねにありました。
── ブルドーザーしながらも、自分を認めないという。うかがっていて思うんですが、浩未さん、自分に厳しすぎませんか。
山本 そうなの、「私なんて」ってつい思っちゃう現状不満型。一生、私はたぶん自分にOKを出さないでしょうね。40になって体力も落ちてくるし、新しい人が次々出てくるし、肩書も名乗れないし、もう辞めようかと二度目に思ったのがその頃です。
── どうやって踏みとどまれたのでしょう。
山本 その頃たまたま誘われた宝塚の歌劇を見て、朝海ひかるさんに打ち抜かれたんです(笑)。夢中になれるものがあったから、悩みに向かうエネルギーが減ったのもあります。
── 浩未さん、宝塚の大ファンですものね。インスタ見ると、しょっちゅう全国に遠征されている。
山本 うんうん。宝塚のあらゆる書物を読み、どこへでも行き、寝ても覚めてもずっと宝塚。でね、男役、女役をずっと見てるとね、メイクの法則に気づいたんです。要はメイクって、目の錯覚だなと。美容学校でちらっと習ったんだけど、それがメイクの基本だとあらためて理解できました。
── おお、そこで宝塚とメイクが結びつくんですね。
山本 それを『メイクのからくり73』という本にまとめる機会をもらって。完成したときにやっと、ヘア・メイクアップアーティストと名乗ってもいいかなと思えました。
自分自身を承認できる境地にたどり着いた。ああよかったと、人ごとながら胸をなでおろした。
様々な告白を意外に思いつつ、深層の部分で共感することが多かった。たとえばいっけんアクティブで積極的に見えること。そのじつ自己肯定感が低く自信がないこと。
それらの感情と、彼女はどうつきあっているのだろう。
自分の思考の癖にげんなり
── 私は自分でも嫌になるくらいすぐ自慢しちゃうし(笑)、昔から積極的に見られるけど自己肯定感が低いんです。つい自分を否定するところから入ってしまう。もっと自分を肯定したいと思うんだけど……。思考の癖は、どう乗り越えましたか。
山本 乗り越えてないの。自分を認めてあげられないっていうのも、自分なんて駄目だーっていう気持ちも。これも自分。うまく付き合っていくしかないって思ってます。
── そう考えられるようになったのは、いつ頃から。
山本 50歳くらいかな。
── 50代くらいですよね、やっぱり。自分も人もそんなに変われないものだよなって気づいたのが、私もそのころです。
山本 10年ほど前に高校の同窓会があったのね。私はマイペースで、いつもひとりで友達がいない感じだったんだけど、周りの人は「浩未ちゃんって、毎日楽しそうにしてたよね」って言うの。私がひとりぼっちでグズグズしてたなんて、誰も思ってない(笑)。それを聞いて、自分が思うほど、人は自分のこと見てないんだなってわかった。そしたら、なんだかすごく気が楽になりました。
── そうか。自己肯定感の低さって、誰かと比べることや、人目を気にしすぎることから始まるのかもしれませんね!
山本 そう、気にしすぎていたんです。だったら、マイペースのまま、自分のままでいいんだと、それ以来思えるようになりました。きっとまた、できない自分に落ち込むこともあるだろうけど、自分は自分でしかないしね。
“持ちもの”は変えられなくても
── 浩未さんは仕事も宝塚も、あちこち飛び回っていて、フットワークが軽くて社交的だなと思っていたけれど、どうやら気持ちの上がり下がりはあるし、振り幅も大きそう。疲れきっちゃうときは?
山本 とにかく休みます。月に1、2回は、家で何もしない日を作ってます。あとは、落ちこむときは落ちこみきって、これが私だ、しょうがないと受け入れられるタイミングを待つ(笑)。自分に厳しすぎると、結果的に自分の首を絞めるとわかったから。
── 言葉にできなくてモヤモヤすることとか、伝えきれなかったなあと思うことは?
山本 もうしょっちゅうですよ。大平さんは?
── いつもです。とくに最近はひどい。人と飲んだりした後、必ず後悔で眠れなくなります。
山本 それは意外!
── なんであんなこと言っちゃったんだとか、あの人は傷ついてるんじゃないかとか。やっと眠れたと思っても、きまって夜中3時頃、ぱっと目覚めてはくよくよし始める。でも、この対談で川内倫子さんとお話したとき、「更年期の不安症ってあるらしいですよ」と言われて、ものすごく楽になりました。心じゃなく、体の不調ならしょうがないよなって。
山本 私は仕事柄、更年期のことは心得ていたので、しょうがないわと、自分のことをわりと大目に見ることができました。
── 大目に見るって、難しそうだなあ。
山本 さっきの話にも通じるんだけど、顔のかたち、目の大きさ、生まれつきのものはどうしたって変えられない。でも、自分が持ってるものをどう生かせば、気分良くいられるかは工夫できます。それを提案するのが私のナチュラルメイクなんです。生まれ持った考え方の癖だって、それと同じはずですよね。
どうすれば、ありのままの自分で
── 私はフリーランスになって28年なのですが、仕事をいただくと嬉しくて、自分を養生したり、休ませることがとても難しいと痛感しています。
山本 仕事の声をかけていただくのって、いくつになっても嬉しいものですものね。私は30代で胸の病気をやっているんですが、退院するとまた頑張ってしまった。55で再発し、翌年合併症がわかって、そこでしっかり休んだのがとてもよかったんです。
じつは、3週間入院したときの話を以前聞いて、印象深く覚えている。
「せっかくだからその期間、自分の肌でお手入れの実験をしたら、すごく成果が出たの」と、ポジティブだった。
山本 人間は、いつからだって綺麗になれるんだな、肌も生きてるんだと思うと、スキンケアのやる気も出る。毎日やってきたつもりの私でも成果出るんだから、ふだんお手入れしてない人がやったらものすごいじゃないかと。
── たしかに。そうですね。
山本 負け惜しみでなく、入院してよかった、休んでよかったなと心から思えました。自分の今の状況に合わせた身の振り方ができるようになったから。つまり30年間、軌道修正ができなかったんですね。そういう意味では、つまずきも悪くないんだなと思います。
先述の初対面の席で、たまたま彼女が毎日発信しているインスタライブに参加することになった。
ファンが楽しみにしている場に、見ず知らずの私が映り込むのもどうかと躊躇しているうちに、始まってしまった。
と、「あ、大平さんだ。『東京の台所』読んでます」という私の連載についてのコメントがいくつか並び、不意に胸がいっぱいに。ライブ後、思わず呟いた。
「いつもパソコンに向かってひたすら文字を打つ孤独な仕事だと思っていたけど、ひとりじゃないんだな。書いてきてよかったな」
テーブルの向こうで、彼女は涙ぐんでいた。私は泣いていないのに。
華やかな場所を走り続けてきた人だと思いこんでいた。鈴のような声で、毎日楽しく発信している人だと。
そのやわらかな感受性やフラットな視線のむこうに、言葉にできないわだかまりや違和感に苦しんだ歳月が横たわっている。
どうしたらありのままの自分を受け入れ、居心地よく生きられるかを考え続けている。
みんな、生きている途中なんだなと思う。立ち止まったり、振り返ったり、悔いたり、また歩き出したり。もがいた時間が彼女に教えてくれたことは、私の深いところにもしみた。
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『男と女の台所』『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。最新刊は『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)。 インスタグラムは@oodaira1027
大平さんのHP「暮らしの柄」
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撮影:川村恵理
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