【連載|日々は言葉にできないことばかり】:名もなき感情にラベルを貼ってしまうのは、もったいない(最終回)
文筆家 大平一枝
生きているうちのほとんどが、喜怒哀楽からこぼれ落ちた、言葉にならない感情ではないか。そんな、誰もが持っている「言葉にならなさ」をテーマにした連載全12回の最終回である。
やわらかで新しいヒントを次々指し示してくださったのは、精神科医でミュージシャンの星野概念さんである。訪問診療の現場での気づき。価値観を変えた1冊の本。穏やかな口調と、心を内観した深い語りに引き込まれた。
日々は言葉にできないことばかり
第十二回
1978年生まれ。精神科医 など。医師としての仕事のかたわら、執筆や音楽活動も行う。著書に「ないようである、かもしれない」(ミシマ社)「ラブという薬」「自由というサプリ」(以上、いとうせいこうとの共著、リトル・モア)がある。新著は「こころをそのまま感じられたら」(講談社、2023年6月刊)。
X(旧Twitter) @gainenhoshino
名付けないままに味わう
── 星野さんは、ご自分のプロフィールに「精神科医など」と、書かれていますが、この連載はまさに「など」みたいな、言葉にならないことの尊さに焦点をあてているので、はっとしました。是非このテーマでお話を伺いたいと思った次第です。
星野 すごく大事なことをテーマにされているなあと思いました。僕も同じように思っていたので。 きっと「など」の話に通じると思うんですが、たとえば認知行動療法では、感情は“湧いてくるもの”とされています。汗が止まらない、胃が痛いという体の反応と同じで、自分ではコントロールができない。でも、湧いてきた感情を一言で表すことで、コントロールしやすくなる側面があると考えられています。
── ほう。喜びとか怒り、楽しいとか。
星野 そうです。でも、自分でやってみると、表現できない感情がたくさんあるんですよ。いってしまえば喜びなんだけど、なんかちょっと違う。わけわかんないんだけど嬉しいみたいな、波動が高いというか、楽しそうな周波数というか。名付けられないなあって思うことが、すごくあります。
── 星野さんが、九州のスナックで勧められて渋々カラオケを歌ったら声があまり出なくて、でも常連さんたちから「ナーイスバッティン! ナーイスバッティン!」って意味不明に褒められた。その言葉や店の空気がカラッと明るくて、やたらに嬉しくなったというのを記事で読みました。あのエピソード、大好きです。私もあるあるです。すごくよくわかる。
星野 ははは、そうです(笑)。あのときもそうで、僕は、名付けることも大事なんだけど、かんたんに名付けないってことも大事だって気がしているんですよね。
── それはどうしてですか?
星野 名付けると、味わいが決まっちゃうのかな。自分は喜んでるって思うと、喜びの味わいになって、その器に収まってしまう気がするんです。自分の中から湧いてくる「なんだこれ」っていう感情を、名付けないまま味わうのは、とてもゆたかで、大事なことじゃないかと思うからです。
── 曖昧でよくわからない感情こそゆたかだと。そう言語化された方は、この連載で初めてかもしれません。もう少し聞かせてください。
星野 文学や漫画や芸術は、それこそ喜びや悲しみと名付けずに、いろんな表現で感情を伝えてきましたよね。なんていうのかな、自分から湧いてくる感情はデジタルにできない。「喜怒哀楽」の間にあるものはこぼれちゃう。それはもったいないって思うんです。感情ってもっと複雑で謎のもの。それを感じるのはとてもゆたかなことだなと。
── ものすごく腑に落ちます。私の仕事は、そのこぼれ落ちたものをすくい取って見つめて、自分なりの慈しみ方で伝えることかも。だからこういう連載をしたかったのかもなあ……。星野さんは、精神科医というお仕事柄、それが早くからわかっていたんでしょうか。
星野 いいえ。気づいたのは30代後半。一冊の読書体験からなんです。
「こういう気持ちを、自分は大切にしたいんだ」
絶対読んでくださいと彼が勧めてくれたのは『断片的なものの社会学』(岸政彦著)である。友だちに教えられて読んだ星野さんは、「自分の中のどこが共鳴しているのかわからないが、急に涙が出てきたり」して、心が震えたという。
私も早速読んだ。
不思議な本だった。フィールドワークで出会った人々の生活の一部分が書かれているだけなのだ。考察も論評もない。
市井の人と岸さんの邂逅。しかし、なぜか心にいい意味で引っかかる。心が揺れる。そんな断片的なエピソードが続く。
私は、市井の人の台所を訪ねる『東京の台所』という連載を10年続けているので、僭越ながら勝手に近しいものを感じ、夢中になった。
星野 有名な人ではない、なんてことのない生活の一部を切り取るだけなんですよね。なのに、なんでこんなになんとも言えない気持ちになるんだろうと。あ、これは僕が診療のときに感じているものに近いんだと気づいた。診療は、市井の人と会うわけです。いろんな話を聞いて、いろんな気持ちになる。でもまとめたり結論づけたりするのではなく、ああよかったなとか、そうかあと一緒に考える。そういう気持ちを自分は大切にしたいんだと、この本を読んであらためて気づかされました。
── 読書は時々、そういうふうに自分が大切にしたかったことが言語化されたり、まだ知らなかった自分に出会えたりしますよね。
星野 でね、話それちゃうけど、大平さんの『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』を読んで、僕、久々にそんな気持ちになったんですよ。これやばいです。岸さんの本を読んだとき以来の感動を覚えました。
急に自著の話が出たので驚いた。少々説明をさせていただくと、前述の台所の連載をまとめたシリーズの3冊目で、肩書も名前も住人の顔写真も出ない。台所から相手の人生を描く、ルポルタージュコラムである。
星野さんは、カバーを外し、折り目の付いた拙著を取り出した。
星野 じつは、今日も訪問診療を終えてきたところです。どんな方の家にも台所はある。でも、一度も注目したことがありませんでした。使ってなくても、使ってないならどう食事をしているのかと考える。どんな台所も生活と繋がってるんですよね。台所を軸に、相手の姿が感じられる。読んでいて、涙が出てきたり、感情移入したり、ああこういう生活があるんだって思ったり。そういう感覚に、読書で久々になりました。
── ありがとうございます。今うかがっていて、診療って、文学や演劇や芸術とかけ離れた世界だと思い込んでいましたが、訪問先で語りや暮らしから感じる隙間の感情を大切に、寄り添って傾聴されている。その行為は、自分が目指しているものと似ているなあと。先ほど「味わい」という言葉を使われたことがすごく腑に落ちました。
星野 僕がそういう感じ方を大事にしている、というだけなんですけどね。むしろ精神医学は逆で、相手の語りの中で、これは幻聴だとか抑うつ気分だとか、名前を付ける。そうするとわかった気になってしまう。そのことに僕は少し違和感がありました。
── 違和感というのは?
星野 たとえば周りに嫌われている気がしてつらいという人がいた場合、“いや現実には嫌ってないですよ、それは妄想ですよ”と、言いがちです。僕の印象だと、医学は簡単にしすぎる。そう思うに至った歴史や物語があるかもしれない。そこを聞くべきではないかなあと思うのです。
── 星野さんも最初は、症状に名前をすぐ付けていたんですか。
星野 ええ。でも、嫌われていないのに、そう思い込んでしまう人の感覚を、僕自身は理解できていたのかというとわからない。ならば、とことん教えてもらった方がいい。そこからは、どうしたら共感できるだろうと考えるようになりました。一般的には、すぐ診断がつけられないのは、診断力がないということになっちゃうんですけど。だんだん時間をかけてもいいのかなって思えるようになりましたね。
待つことの褒美という体験
── 名前を付けずに曖昧なままでいるって、それがゆたかだとわかっていても結構難しくないですか。
星野 そうなんですよ! 曖昧な状態って、居心地良くはないんですよね。 すごくもどかしいし、一人で抱えるのは不安で心細い。そこを味わえればいいけど、そんなふうにいかないことも。僕は、誰かと話すようにしているかなあ。「なんかぐるぐるしちゃって」とか、「今は待つしかないよね」とか。何人かで抱えることで、曖昧さや不確実性に耐えていこうと。
── そうか。聞いてもらうだけでも変わるものですよね。
星野 結論を急ぐこともできるんだけど。でも無理矢理決めたことって、後々うまくいかなかったり、長く続けられなかったりするから。迷いはたくさんありますが、人に頼ったりしながら、時間をかけるようにしています。そのうち何かが変わるかもって。「いつか熟すかもしれない」と信じて待つ訓練をしている感じです。
── 信じて待つって、いいですね。そう訓練しながら年を重ねていけるのは、希望かもしれない。
星野 僕、日本酒とか醗酵食品が好きなんですけど、醗酵ってよくわからない状態だと思うんですよ。よくわからない状態なのに、お酒になったり味噌になったり酢にもなる。尊敬する杜氏さんも、見守るだけ。コントロールしないし、できるものでもない。醗酵のような曖昧な状態でも、なにか湧いてくるんじゃないかと信じて待つ。おいしい酒ができるのを待つように。そんな曖昧な時間を、自分の日々の中でも味わえたらいいなあと思うのです。
── 待つってのがまた、難しいんですよね。私は今、吃音の若者のノンフィクションを書いているのですが、最初の一音目が出にくい方や同じ音を繰り返す方がいる。取材当初は、待てずに先読みして「こういうことですよね」と言ってたんです。だんだん、それはよくない、お相手は待ってほしいと思っているということがわかってきて、10秒でも20秒でも待つようになったんですね。
星野 なるほどー。
── お酒の醗酵に比べたら、桁外れに短い“待つ”というスパンの話なんですが、必ず待つ甲斐があるんですよ。話したいことがないんじゃない。周りが待たないだけ。すると、とても大事な言葉がこぼれたり、胸の内を明かしてくれたりして、待つことの心地よさを実感しています。
星野 とても興味深いお話だな。待ったらゆたかさがあるという体験を、ひとつでも知っていると違うんですよね。ちょっと待ってみようかなと思えるようになる。醗酵も、なにも起きていないようなところで微々たる変化が起きています。「ほとんどない」けど、「全くない」わけではない。この事実は心強いです。
曖昧な時間をはしょらない
── ご自身のふだんの生活でも、名付けられない感情の存在に気づくことはありますか。
星野 しょっちゅうです。料理はシンプルなものしか作れないけど好きで、なんだか野菜を薄く剥くことや、細く切るのがうまいんです。いい感じに切れると、なんとも言えず心地いい。俺、こういうのけっこううまいんだって、得意なものを見つけたり、こういう感覚が自分は好きなんだなと気づいたり。名もなき好きな行為に嬉しくなること、いっぱいあります。
── ああ、なんだかそう聞いたら嬉しくなってきた。きっと、どんな人にもありますよね、ラベルを貼れないけど嬉しい気持ちや小さな好きな瞬間をみつけて、気持ちが満たされること。
星野 必ずたくさんあります。そういえば僕は魚料理もたいしたものは作れないんだけど、友だちに教えてもらってさばくのだけはできる。さばくと切り身にしますよね。切るのが好きだから、きれいにできたとき、すごく嬉しい。なめろうにだってできちゃうしね。そういうささやかな気持ちが、日常のモチベーションになることって、生きていれば誰にもきっといっぱいあるんじゃないかな。
プライベートで酒蔵をよく訪ねている彼は、「いい酒は、工程をはしょっていない」という。本当に仕事も人付き合いも生きることも、醗酵と同じだなと思った。大学病院で待っていれば患者さんが来てくれるところを、家に足を運び、趣味の話を聞いて帰る。直接診療には関係のない曖昧な時間に、ときどき発見をもらうことも。
私も取材後に30分、“あそび”の時間を設けている。撮影もインタビューも終わる。ノートをパタンと閉じて鞄にしまうと、「お茶でも」と取材者もリラックスして、案外主題に関わるような大事なつぶやきがこぼれることが多いからだ。だからといって、毎回発見があるわけではない。でも、なんに使うでもない曖昧な30分を大事にしている。そこからなにか具体的に生まれなくてもいいのだ。
醗酵は一見、なにも起こっていないように見える。でもよく観察したら、ある日プツプツと泡が生まれたり、香りが変わったり、質が少しずつ変わっている。
彼が、何気なくつぶやいた。
「どんなことも毎日も、なにもないんじゃない。小さな変化がきっとあります」
その後、対談はこんなふうに終わった。
星野 たいていはそんなすごいことは起こらないんだけど、すごく時々、なにかあるのが人生という気がします。
── 私もその、「すごく時々」を信じていたいです。
言葉にならない、なりきらないものをテーマに据えて本当に良かった。なぜなら、その尊さを明確に実感できたからだ。
人生は記念日以外の日がほとんどだけれど、なにもないわけじゃないと教えてもらった。
曖昧は、自分が醗酵する大事な時間。おいしい酒ができるまで、名もなき感覚を味わい抜こう。
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『男と女の台所』『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)、『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)ほか。『注文に時間がかかるカフェ』(ポプラ社)2024年1月発売。
インスタグラム @oodaira1027
大平さんのWEBサイト https://kurashi-no-gara.com
撮影:衛藤キヨコ
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