【しなやかな人】第2話:「普通」を紐解いてみると、その人にしかない暮らしが見えてくる
編集スタッフ 岡本
平凡な日常に時々、人生の大波がやってくると、つい足を踏ん張って変化にあらがおうとしてしまう自分がいます。もっとしなやかでいられたら、と願ったことは少なくありません。
特集【しなやかな人】では、太陽のような笑顔で迎えてくれた、住宅設計者の田中ナオミさんにお話を伺っています。第1話では、イギリス人の母と日本人の父のあいだに生まれ、徳島県で過ごした幼少期から、今の仕事に繋がる20代での出会いについてお届けしました。
第2話では、現場に行ってもなかなか相手にしてもらえない状況を打破するため、建築士の資格取得を目指す二十代前半のお話からお聞きします。
仕事人として認めてほしい。働きながら夜間学校へ
田中さん:
「住まいを丸ごと考えるなら、まずは建築士の資格取得だと思って、二級建築士を目指すことからスタートしました。そのことを勤務先の所長さんに相談すると、いいねと応援してくれて。働きながら夜間学校に通うことにしたんです。
大変な時期が長引かないように、こうなったら最短距離を目指そうと。その1年間はどこにも遊びに行かず、ご飯を食べる間も惜しんで勉強しましたね」
努力の甲斐あって、無事、目標は達成。27歳の頃には一級建築士の資格も取得しました。
田中さん:
「やっと現場に行ってもクライアントや職人さんが、私を相手に話をしてくれるようになって嬉しかったですよ。それから元々興味の強かった、個人住宅を手がけることが増えていきました」
どう生きていきたい?
人生を並走するように住宅をつくって
▲田中さんが過去に手がけた住宅。玄関扉には、愛猫の様子が外から確認できる窓がついている。
店舗やオフィスなどあらゆる建築があるなか、田中さんが面白さを見出したのが個人の住まい。今では個人住宅に特化した住宅設計者となって、独立25年を迎えました。
田中さん:
「居心地のいい住宅を作ろうとなると、自然と深い話をせざるを得ないんです。何をしている時が楽しくて、誰といると幸せか、そしてこれからどう生きていきたいのか。
そんな話を約半年ほどかけてしていくと、その人の人生を並走しているような心持ちになります。それが何より面白い」
田中さん:
「住み手となる方とは、いつも事前に顔合わせをするんだけど、たまに『私は普通なので』って言われることがあって。
でも『普通』を紐解いてみると、その人にしかない暮らしが見えてくる。キッチンやトイレ、リビングや寝室があるのは変わらないかもしれないけれど、そこでどう暮らしたいかと考えてみると、ひとつも同じ住宅は生まれません。
目の前にいる住み手自身がそれぞれに違って面白いから、ずっと個人住宅に魅了されているのだと思います」
自分は普通だと表現したくなる気持ちに、とても共感した私。懸命に生きているのは事実なのに、この暮らしを誰かに伝える時、私はありきたりな存在だから……と思わずにはいられない節があります。
そんな「普通」をじっくりと見つめて、あなただけのオリジナルな暮らしがあるねと話してくれる田中さん。その言葉にきっと、たくさんの「普通の人」が救われたのだろうなあと想像しました。
36歳で独立。建物が朽ちるまで見たいから
その後いくつかの建築事務所を経て、1999年30代後半で独立の道を選ぶことに。
田中さん:
「アトリエ事務所にいた頃はバブルだったので予算のある新築の依頼も多かったし、いい素材を使って、じっくり住宅づくりができていました。
どの職場でもいい経験をさせてもらったけれど、どこかの事務所に属している限りは、たとえ設計を手がけたとしても私の名義では世に出せないんです。だから最後の最後まで責任を取ることもできない。
関わった住宅の面倒を建物が朽ちるまでみたいと思ったから、独立を決めました。はじめは自宅や友人の家を作っていたんですけど、雑誌に取り上げられたりして、徐々に軌道に乗っていったように思います」
オーケストラの指揮者のように、まるっと住宅に関わり最後まで寄り添う。20代前半で抱いた夢が叶う日々を送っていたそんな時、ある違和感を覚え始めます。
住み手と気持ちがすれ違う
田中さん:
「40代になってすぐの頃は、10軒くらい設計が同時進行していてとにかく忙しかった。それでも、私に依頼されたのだから最後まで責務を全うしなくちゃいけない、どんな依頼も受けられるのがプロだと思って、きた仕事は全て受けていました」
住み手の笑顔のために心を尽くしていた田中さんですが、なかには方向性が合わないクライアントとの出会いもあったそう。
たとえ顔合わせの時点で思いが通じ合えなくとも、半年間の住宅づくりのなかできっと分かり合えるだろうと希望を持ちますが、すれ違いが重なり、溝はどんどん深まっていきます。
田中さん:
「今までと同じ熱量で向き合って、まっすぐに話をするんだけど、なぜか捻じ曲がって伝わってしまう。自分も納得できないうえに住み手も喜んでいない状況が続いて、ついには現場の職人にも迷惑をかけてしまう事態に陥りました。
そういう現場がひとつあると気持ちがネガティブになり、他の仕事にも影響が出てしまって。仕事自体が楽しめないものになりかけていましたね」
私に原因があるのだと自分を責め、鬱のような状態になっていったという田中さん。気持ちも体も限界に近いなか、受けている仕事をなんとか遂行しようとしていた時、病気が発覚しました。
田中さん:
「ご飯が食べられなかったり、電車に乗っていても貧血で倒れそうになったり。そんな姿を見て、夫からは仕事をセーブするように言われました。でも進んでいる仕事を止められるわけない、逃げられないと視野が狭くなっていたんですね。
けれどある時、お腹にしこりがあるのに気づいて。強制的に仕事から切り離されることになりました」
母譲りのまっすぐさで自分の夢をたぐり寄せ、多くの人の人生を並走する楽しさを感じていた住宅づくり。大好きなものに関わっていたはずなのに、一番の目的である住み手の笑顔に繋がらないことで、だんだんと苦しいものへと変化していきました。
続く第3話では、仕事へのスタンスが変わった病気後のこと、そして豊かに暮らすことについて、お話をお聞きします。
(つづく)
【写真】木村文平
もくじ
田中ナオミ
1963年大阪府生まれ、
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