【フィットするしごと】動物専門の義肢装具士という仕事をつくった人 

ライター 川内イオ

 

1年に1度の贅沢

日本唯一、動物専門の義肢装具会社「東洋装具医療器具製作所」。町田駅からバスで15分ほどの幹線道路沿いにある大きな一軒家が、オフィス兼アトリエだ。年間3000件を超える依頼に応えるため、7人のスタッフが1階のアトリエでミシンやパソコンに向かう。

創業者の島田旭緒さんは、その様子を眺めながら「うちの会社がこんな風になるとは思ってもみませんでした」と苦笑する。

島田さん:
「2007年に開業したんですけど、最初の半年ぐらいは月の売上がだいたい1、2万円。貯金がすぐに底をつきました。別の仕事をしていた奥さんのひもみたいな感じでしたね。そのあとも、貯金が100万円を超えることがない時期が2年ぐらい続いて、かなり質素な生活をしてました」

──どれぐらい質素だったんですか?

島田さん:
「その頃の楽しみは、奥さんと2人で1本ずつ100円の缶チューハイ買って、100円のスルメイカを分けて食べること。それで1年に1回、ふたりで町田の駅前にある『わん』(「くいもの屋 わん」)に飲みに行くんです。その日は、こんな贅沢していいの?って思ってたんだよなあ」

──今日だけは好きなもの食べようって?

島田さん:
「……大根、分厚いみたいな。ほんと思ってたんですよ、当時は」

──それは質素でしたね、確かに。奥さんから「あんた稼ぎなさいよ」みたいなプレッシャーはなかったんですか?

島田さん:
「……いや、なかったです」

大根の話のあたりから、うつむいて、しきりに目頭を押さえる島田さん。「思い出しちゃいました?」と尋ねると、下を向いたまま、うんうん、とうなずいた。

 

「ものづくり」がしたくて


▲東洋装具医療器具製作所さんの動物用コルセット。

義肢装具士とは身体に障がいがある人、病気や事故で手足を失ってしまった人のために、義足や義手、補助器具を製作する専門家で、国家資格を要する仕事である。その資格を持つ島田さんは、もともと人間の義肢装具をつくる仕事をしていた。それがなぜ動物に?という話を聞く前に、そもそもなぜ義肢装具士を目指したのだろうか?

島田さん:
「中学高校と美術部で、ものづくりが好きだったんですよね。それで漠然と『ものづくりの仕事がしたいな』と思っていた時に、親父から『義足とかつくる仕事はどうだ?』と言われたんです。親父のお父さんが義眼で、指がなかったりしたのも関係してるんじゃないかな。おじいちゃんは僕が小さい時に亡くなったので、あまり記憶にないんですけど」

義足をつくる仕事?調べてみて初めて義肢装具士という仕事があること、その仕事に就くための専門学校があることを知った島田さんは、「ものづくりできそうだし、なんとなく」、その道に進むことにした。

学校は3年制。専門知識を学んでいくうちにやりがいを感じ、モチベーションが高くなって……いくこともなく、島田さんは淡々と学生生活を過ごしていた。学生は資格を持っていないので、自ら手を動かして義肢装具をつくることができず、物足りなかったのだ。

 

専門学校卒業後、フリーターに

▲小さな足一本一本に合わせて型をとります。

漫然と過ごしていた日々が一変したのは、卒論がきっかけだった。最初に考えた卒論のテーマは教師からNGが出てしまい、ほかになにがあるかなと考えていたある日、「動物の義肢装具ってどうなってるんだろう?」と疑問が浮かんだ。

特に動物が好きなわけじゃなかったが、考え始めると気になって仕方がない。それで教師に質問をしたら、明らかによくわかっていない様子だった。それでますます答えを知りたくなり、卒論のテーマとして学校に提出したら、許可が下りた。

それから、動物病院でアンケートを取るなど本腰を入れて調べ始めたところ、当時の日本には動物向け義肢装具の市場自体が存在しないこと、飼い主は手足に不自由を抱える動物をどうにかしてサポートしたいと思っていること、でもそれができる制度も方法がなく、苦悩していることなどがわかった。

学校では教わらないことだらけで調査に熱中した島田さんだが、それはあくまで卒論のためのもので、この時はまだ「自分の仕事に」とは微塵も考えていなかった。

というより、技師装具士の仕事自体にそれほど魅力を感じておらず、2003年に専門学校を卒業した後は、フリーターになってパン屋や塾で働いた。10カ月ほどして技師装具の製作会社に就職したが、それも「せっかく国家資格を取ったのに、その仕事をしないのもどうかな」という程度の気持ちだった。それでもすぐに就職できたのは、あまり知られていない業界事情があった。

島田さん:
「医者がだいたい30万人、薬剤師も同じくらいいて、リハビリを担当する理学療法士は15万人いるんですけど、義肢装具士って全国にたった5000人しかいないんですよ。もう、ぜんぜん足りてないから、就職しようと思ったらすぐに採用されたんです」

 

ひょんな出会いからの弟子入り

▲型紙も4本の足に合わせて丁寧に起こしていきます。

とりあえず働くか、と仕事を始めて1年ほどたった時、その後の人生を決める出会いが訪れる。職場の先輩のチワワが事故に遭い、背骨を骨折。担ぎ込まれたのが、神奈川県の座間市にある澤動物病院だった。そこで手術を終えたチワワは、座布団でつくった見るからにお手製のコルセットを装着して退院した。その姿を見た島田さんは、ハッとした。

動物用の装具を作っている人がいる!

島田さんはいても立ってもいられなくなり、先輩のチワワのためにコルセットをつくった。そして診察の日、先輩にお願いして病院まで同行し、担当の獣医師である院長の澤邦彦さんにそのコルセットを見せた。すると、澤院長は驚嘆の声を上げた。

「すごい!」

動物用の義肢装具がないなかで、院長は座布団を含めて身近なものを活用し、装具を自作してきた。そのため、島田さんが人間用の素材でつくった本格的な装具に驚いたのだ。島田さんはその場で自分の仕事の話をして、「お手伝いさせてください」と頭を下げた。ここから、修行の日々が始まった。

装具会社が休みの毎週日曜日、澤動物病院に行く。院長が診察している間、待合室でひたすら待つ。いつも忙しい院長の隙を見て声をかけるのだが、もちろん診察が優先なので、5時間、待ち続けたこともある。

島田さん:
「本とか読んでたら失礼じゃないですか。だから壁を見てジッとしてました」

病院にはあらゆる症状の動物が診察に訪れるので、義肢装具が必要な動物も少なくない。病院に行くたびに、「この犬、手首が曲がっちゃっているから固定してください」などと指示を受けると、島田さんは装具会社での仕事を終えた夜、睡眠時間を削って依頼のあった装具を製作した。それが完成すると、平日の夜も週末も関係なく、病院に持参する。しかし、一瞥して「そんなもん、使えませんよ」とダメだしされることもあった。

院長からすると、動物に対して効果があると確信できなければ、飼い主に勧めることはできない。必然的に求めるクオリティが高くなり、島田さんの自宅には使われなかった試作品が積みあがっていった。

 

勝算なしの独立

それが苦にならないほど試作に没頭し、毎週のように病院通いを続けていたが、一度、義肢装具とは別のことで院長との関係がこじれ、出入り禁止になったことがある。その時はすっかり投げやりになり、「もうやめよう」と思ったそうだ。半年ほどは動物用の義肢装具もつくらず、その間に結婚もした。

そうして離れかけた心をつなぎとめたのは、農林水産省からの連絡だった。まだ院長との関係が良かったころ、島田さんは自分がつくる動物用の義肢装具に関して、動物用医療機器として認可を取ろうと考えた。獣医師や飼い主からの信頼と安心につながるからだ。

その許認可の担当が農林水産省で、島田さんは難解な資料を読みながら、担当の官僚と何度もやり取りを重ね、申請を終えていた。それからしばらくして前述したトラブルで病院に行かなくなり、やる気も失いかけていた時期に届いたのが、農水省からの「認可が下りた」という連絡だった。

▲動物用医療機器の許認可を取るために読み込んだ分厚い指針書にはたくさんの付箋が。

苦労して獲得した医療機器の認可を無駄にするのはバカげているし、なにより、院長とのゴタゴタはあったにしても、澤動物病院での3年間の修業中、毎日の睡眠が2、3時間になってもつらくなかったし、飽きなかった。これを、仕事にしよう。

2007年、島田さんは起業を決意し、東洋装具医療器具製作所を立ち上げた。同時に、院長には「3年間、お世話になりました。動物用医療器として許可が取れたので、開業します」と手紙を送った。これによってふたりの間のわだかまりも解けたのはよかったが、肝心の仕事はさっぱり。開業した月の依頼は1件で、このペースが半年ほど続く。冒頭に記したのが、この時期の苦しい生活だ。

僕からすると、1年に1度だけ行く居酒屋で大根の厚みに感激する生活はつらい。しかし、当時の島田さんに悲壮感はなかった。

島田さん:
「僕はもともと質素な生活をしていたから、特別貧乏だったと思っていませんでしたし、お金も仕事もなかったけど、卒論の調査もしたから動物用の義肢装具を必要としてくれる人は必ずいるはずだと思っていました。その時期を支えてくれた妻には感謝しています。それに最初は、5年もてばいいやと思ったんですよ。いざとなったら人間用の義肢装具士に戻れるし、失敗したら動物には必要のないものだったとわかるから、それもひとつの実績だと考えていました」

島田さんの涙は、苦しかった時代を思い出して流したものではなく、妻と二人三脚で歩んできた温かな思い出が蘇って、こぼれたものだった。島田さんの妻はいま、東洋装具医療器具製作所のスタッフのひとりとして働いている。

 

暇な時の過ごし方

暇な時、ボーっとしていたわけではない。人間の医療は完全分業制で、義肢装具が必要な患者がいると、医師から連絡を受けた技師装具士が病院を訪問し、患者と対面して製作に必要な計測などを行う。

一方、動物の医療に分業制はなく、獣医師がひとりであれもこれも担当している。その違いに目をつけた島田さんは、獣医師に義肢装具用の計測を任せようと考えた。そうすれば、自分ひとりであちこちに出向くよりもはるかに効率的に仕事を請け負うことができるし、たくさんの動物を救うことができる。

島田さんはできるだけ簡単に、正確に詳細なデータを計測できるように、獣医師用のマニュアルをつくった。単純に考えると、獣医師にとっては負担が増えるので嫌がられそうだが、そんなことはなかったという。

▲獣医さんに配っているマニュアル。イラストは島田さんご自身が描かれたもの。

島田さん:
「人間相手の場合、作業区分がはっきり決まっているので、例えば、医者が義肢装具用の計測をすることは絶対にないんです。でも動物相手の場合、獣医師がぜんぶひとりでやっているので、必要なことだと理解してくれれば、わりと抵抗なく計ってくれます」

このマニュアルが圧倒的な効果を生み出し、島田さんのもとに全国から依頼が殺到するのはもう少し先のこと。

 

院長のアドバイスからの追い風

どうにかして仕事を増やそうと考えた島田さんは、和解した澤医院長から受けた「獣医学会の企業ブースに出展してみたら?」というアドバイスを実践することにした。そこには、全国から獣医師が集まってくる。動物用の義肢装具をつくって出展していたのは島田さんだけだったから、物珍しさもあって話かかけられることも多かった。

そのすべてが好意的だったわけではない。医療は、エビデンスが重要視される科学の世界。例えば、ひとつの装具を100頭に使い、そのうちの何%がどのように、どれぐらい回復したのかというデータや論文があれば納得してもらえるだろう。それがない島田さんの義肢装具に対して疑いの目を向ける人も多く、時には「けちょんけちょんに」酷評された。

それでもめげずに出展を続けていると、依頼が少しずつ増えていった。実績のない島田さんだが、義肢装具士としての知識、技術と澤院長のもとでの3年に及ぶ修業、そして地道につくり上げたマニュアルが活きた。

慢性的な膝蓋骨脱臼で立ち上がることもできなくなってしまったある犬は、島田さんの装具によって、走り回れるようになった。その姿を見た飼い主は涙を流して喜んだ。

義肢装具は万能ではない。つくった装具が合わず、思うような結果が出ないこともある。そういう時は何度も作り直した。ひとつの装具に9カ月を費やしたこともある。

このような目に見える結果と誠実な姿勢によって医師の信頼を勝ち取り、東洋装具医療器具製作所の名前は少しずつ広まっていった。

追い風が吹いたのは、2015年。その年に開催された獣医麻酔外科学会で、日本で初めてとなる「動物用尾義肢装具のディスカッション」が行われ、5人の登壇者のうちのひとりとして島田さんに声がかかったのだ。学会で行われる企画はすべて、その妥当性について事前に厳密に審査を受ける。しかも、ほかの企画も含めて、登壇者のなかで獣医師の資格を持っていないのは島田さんだけ。それまでの島田さんの実績が、獣医師たちに認められたのだ。この学会を境に、注文も急増した。

 

忘れられないポメラニアン

起業から12年が経ったいまでは、年間3000件の依頼が届く。島田さんはそのすべてに目を通し、手を動かしている。

島田さん:
「動物向けの義肢装具は新しい商品なので、僕が獣医さんに使い方を説明しなきゃいけません。飼い主さんとのコミュニケーションはもっと重要です。動物の医療や解剖学についてわかってないので、それを前提に、丁寧に話をします。装具をつくることと同じくらい、人間とのやり取りが肝心なんです。動物を元気にさせることだけじゃなく、飼い主さんに満足してもらって、また注文したいなと思ってもらうことまでが僕の仕事ですから」

島田さんには、忘れられない犬がいる。澤動物病院で修業を始めて、最初に装具をつくったポメラニアンだ。右前足の骨が折れて、それがうまく接合しないまま(融合不全)、プランプランの状態になっていた。

通常であれば足を切断するか、一週間に一度、病院で包帯を巻いてもらう生活を一生続けるかという状態だったが、装具をつけたことで折れた足を接地して歩けるようになり、通院も1年に一度で良くなった。この犬が記憶に残っているのは、その後もいい関係が続いたからだ。

島田さん:
「飼い主はおじいちゃんとおばあちゃんだったんですけど、たまたま近くに住んでたんです。だから、自宅に伺って装具を変えたり、調整しに行きましたし、よく話をしていました。途中でおじいちゃんが亡くなったり、その家の変化も間近に見てきて。ポメラニアンも2年前に亡くなりましたが、15年間、僕の装具をつけてくれたんですよ」

動物にも、飼い主にも寄り添う。この関係性が島田さんの理想なのかもしれない。

 

未知な動物の依頼がきたら

修業時代を含めて、島田さんがつくった装具は2万個超。特許も5つ取っている。頭の中には無数の症例と装具のパターンがあって、ふと新しいアイデアが思い浮かぶこともあるそうだ。犬、猫だけじゃなく、うさぎ、鳥、ヤギ、馬の装具も手掛けてきた。最近は牛の義足も頼まれたという。

島田さん:
「まったく未知な動物の依頼が来たら、とりあえず、受けます。初めての動物や難しい症状の時はもちろんうまくいかないこともあるけど、失敗しないと何がいいのかわかんないじゃないですか。うまくフィットするまで何度もやらせてもらううちに、何をどうすればいいのかわかるんです。動物の種類も違えば、大きさも症状も違うから、いつも必死に考えなくちゃいけなくて、大変ですけどね」

先述したように、特に動物が好きでもないという島田さんがここまで仕事に入れ込んでいるのは、「答えのないものづくり」に没頭しているからではないだろうか。

人間用の義肢装具には長い歴史とノウハウがあり、新しい要素は少ない。逆に動物の義肢装具は世界を見渡しても島田さんの先を行く者がいないからこそ、常に創造力が問われる。島田さんはそこに魅力とやりがいを感じているのだろう。

社長でありながら、常に現場に足を運んでいて多忙にもかかわらず、2年前から慶応大学と提携して3Dプリンターで犬の義足をつくるプロジェクトも進めている。新しくパソコンを買い、3Dプリンターを稼働させるためのプログラム「3DCAD」もイチから勉強した。近い将来、3Dプリンターで装具をつくるのが主流になると見越してのことだ。

島田さん:
「この前、中学時代の仲間と飲んでいた時、『お前は自分で開業して、テレビも出てすげえな』と冷やかされたんですよ。そうしたら仲間のひとりが『こいつは、すごく早いうちにやりたいことを見つけただけだ』と言ってくれて。まさにその通りだと思うんです。自分は早いうちにやりたいことが見つかって、本当にラッキーだったなと思ってます」

 

(おわり)

【写真】岩田貴樹

島田旭緒

東洋装具医療器具製作所代表。世界でも稀なペット専門の義肢装具の開発、製造、販売を行う。年間3000件の依頼に対応する傍ら、獣医関連の学会にも積極的に参加し、動物の義肢装具の技術発展のため活動している。

 

川内イオ

1979年生まれ。大学卒業後の2002年、新卒で広告代理店に就職するも9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターとして活動開始。06年にバルセロナに移住し、主にスペインサッカーを取材。10年に帰国後、デジタルサッカー誌、ビジネス誌の編集部を経て現在フリーランスエディター&ライター&イベントコーディネーター。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンターとして活動している。稀人を取材することで仕事や生き方の多様性を世に伝えることをテーマとする。

 

▼連載:フィットするしごと


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