【金曜エッセイ】「いくらがいいと思いますか?」
文筆家 大平一枝
第五十九話:或る店にて〜街のチカラ〜
最近、一輪挿しの花器のかわりになるものを探している。地元の下北沢駅上に輸入雑貨や食品を扱う安い店があり、買い物をした先日。レジ前に珍しいミネラルウォーターを見つけた。薄水色のガラスボトルとかわいいラベルデザインが花器に使えそうなので「これいくらですか」と尋ねた。
女性店員に逆に聞き返された。
「いくらがいいと思います?」
え?
彼女はニコニコしながら、「イタリアのミネラルウォーターなんですが、入ってきたばかりでまだ値段を決めてないんです。200円は高いですよねえ」と明かす。
「ああ、なるほど。うーん、水だからなあ。150円かなあ」
「やっぱりそうですよねえ。200円は抵抗ありますよねえ」
うん、ちょっとねえと一緒に考え込む私に、「それ、サンプルだからどうぞ」と差し出された。
タダだったから嬉しいと書きたいのではない。
誰もがせわしなく行き来し、一見ビジネスライクに見える駅ビルの店でも、心通う会話はできる。
効率だけを追求して即物的に売り買いしている場では、地方であろうとどこであろうと、会話は生まれない。
ささやかなやりとりの時間だったが、客に寄り添おうという気持ちが感じられたのが私はことのほか嬉しかった。
下北沢駅は昨年大規模な改修工事を終え、小田急線は地下に潜り、街の玄関の表情は大きく様変わりした。前述の店は、工事前は戦後のバラックのような下北沢駅前市場にあった。当時は、手に入りにくかった食器用洗剤フロッシュ<ソーダの香り>が割安な価格で山積みされているので重宝していた。
小さな店なので、市場が取り壊された折はもう戻ってこないだろうと寂しい気持ちでいたが、新しい駅が完成するとディスプレイも品揃えも当時のままで再出店。驚きながらも懐かしい気持ちでまた通い出した。
また別の日。
この店で珍しい日本酒の小瓶を見つけ、知り合いに贈るため、ラッピングを頼んだら申し訳なさそうに、リボンなどのサービスはしていないと言う。アウトレット中心で、リーズナブルな分、コストカットをしているのだろう。
そうですかと残念そうにしていたら、もうひとりの店員が「麻ひもでリボンを結ぶのはどう?」と、レジ打ちをしていた仲間に耳打ちした。「あ、いいね」と彼女の目が輝く。そして私に「麻ひもでもいいですか?」。
もちろんです。
果たして、新聞紙で無造作に包んだ小瓶に、ちょこんと結わえられた蝶結びの麻ひもは、むしろおしゃれでセンスよく仕上がった。
「ありがとう!」と喜ぶ私を見て、二人も嬉しそうだった。
かつて、地方から期間限定で東京に出向している女性を取材した時、「東京はチェーンの店でも、スーパーでも、駅ビルの小さなよくあるケーキ屋さんでも、会話がありますね」と、意外なことを言った。「うちの田舎では競合店がないからか、こんなに愛想がよくありません。何も喋らず買い物を終えることがしょっちゅうあります」とのこと。
東京では、店員の多くが笑顔でちょっとした会話を交わす率が高いというので、印象深く思った。
競合店云々はわからないが、少しだけ買う人に寄り添う。買う人間も少しだけ売る人に寄り添う。街の力や住みやすさは、そういう気持ちのあるなしで大きく変わると思う。
店はものを売り買いするだけの場と考えたらあまりに寂しい。
ミネラルウォーターには今、ラナンキュラスが1本。元気なオレンジ色を見ると、あの店のあたたかな会話が蘇る。
文筆家 大平一枝
作家、エッセイスト。長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。『東京の台所』(朝日新聞デジタル&w),『そこに定食屋があるかぎり。』(ケイクス)連載中。一男(24歳)一女(20歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
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