【ラジオ|チャポンと行こう!】第172夜:カゴ愛、再燃中! シルバニアや赤毛のアンなど、カゴ好きのルーツも紐解いてみました
【金曜エッセイ】仕事がていねいな人、に共通すること
文筆家 大平一枝
第七十五話:
アイドルの歌を聴きながら襟を正した夜
音楽番組で、80年代の男性トップアイドルの楽曲を依頼された山下達郎さんのエピソードが紹介されていた。彼は、その歌手について研究と分析を重ね、ノート一冊分書きとめたうえで、作曲にとりくんだという。
当時から日本を代表するシンガーソングライターで、依頼は朝飯前だろうと決めつけていた私は、ひどく驚いた。
どれほど成功し、評価されていても、一本の仕事の前では誰もがゼロから始める。あんな実力派でもそこまでするのかと、仕事に対する姿勢に打たれたのだ。
自分は二十数年、文筆を生業(なりわい)にしているが、毎回山下さんのような態度でとりくんできたろうか。オーダーを聞いて、深く掘り下げようとせず、だいたいこんな感じでいいかなと経験値から、完成の具合を決め込んではいなかったか。まことに心もとない。
山下さんの音楽に詳しいわけではないが、長くトップを走っている人の、仕事に対する誠実な矜持を見た思いがした。
私がライターになる前、勤めていた編集プロダクションに出入りしてたフリーライターの女性ふたりがいる。どちらも、新米の私より20歳ほど上で、締切を厳守する、文字数を間違えない、原稿の完成度が高いという三点が共通していた。
ライターは、グラフィックデザイナーや編集者が決めた文字数通りに原稿を仕上げるのが仕事だ。多くの場合、先にレイアウトと文字数が決まっており、書き出したらおもしろい話が書けそうなので3行増やしたい、10文字削りたいという希望は制作進行上、通らない。
ソフトが自動計算してくれる今と違い、当時はデザイナーがレイアウト用紙に「◯文字×◯行」と、文字数を手書きしてくれていた。ライターはその数字を頼りに、執筆していく。
ところがごくまれに、デザイナーが文字を数え間違えることがある。その結果、入稿時に編集者が文字の溢れや不足を発見し、急ぎ修正を命じられることもなくはない。
前述のふたりの女性は、デザイナーが文字数を書き入れてあっても、必ず自分で専用スケールを使って計り直し、正しい文字数を確認した上で執筆に取りかかっていた。それはじつに面倒な作業なので、社内で伝説のように語り継がれ、いかにベテランライターのふたりの仕事ぶりが丁寧か、だから仕事の発注が絶えないんだねと噂しあった。
偉大な音楽家と並べるのはあれだが、私にとっては彼女たちも偉大なプロである。
悲しい偶然で、ふたりはまだまだ働ける年齢でこの世を去った。いつも穏やかな語り口で、感情がフラットだった。ひとつ尋ねると、根気よく仕事の仕方をわかるまで教えてくれた。
山下さんの話を聞きながら、そんなふたりのやわらかな笑顔を思い出した。
かつて、ただなんとなく聴き流していたアイドルの歌は、技巧に優れ、全く古臭くない。ひとつひとつを丁寧に、新しい気持ちでとりくんだ結果がこれだとするなら、私はまだまだどちらも足りない。学びの多い一曲であった。
文筆家 大平一枝
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。『東京の台所』(朝日新聞デジタル&w),『そこに定食屋があるかぎり。』(ケイクス)連載中。一男(24歳)一女(20歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
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