人はなぜ、日記をつけるのでしょう?
理由は人それぞれだと思いますが、私の場合、幼稚園から帰宅する道中で3歳の娘と大喧嘩し、初めて「ママ、嫌い!」と言われたことがきっかけです。
日記を始める理由としては、なんだかお恥ずかしい話なのですが。
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喧嘩の経緯はさておき、日頃から「ちょっと気分じゃない」とか「あんまり好きじゃない」とか「今はやだなぁ」とか、優しい婉曲表現を使う娘。
これまで幾度もバトルをしてきましたが、強い物言いをされたことはなく。はっきり「嫌い」と拒絶されたのは、このときが初めてでした。
だからこそ、その切れ味といったら凄まじく。その場は乗り越えたものの、後からじわじわ、悲しみと、喪失感と、後悔と。時間が経つほど言いようのない気持ちが押し寄せて、自分でも驚くほど落ち込んでしまいました。
よくある親子の喧嘩です。どんと構えて、爽やかに流して、揺らぎたくなんかないのに。頭ではわかっていても、心が追いつかず。
いまとなっては、これも成長のひとつだわ〜とか、新しい関係性になれたんだな〜とか、前向きに捉えられるんですけれど。このときの私は、どうしようもなく、強い孤独を感じました。
夫や友人に話しても、ダメで。本当の本当の部分で、ショックだったあの気持ちは、なんというか、どこにも行き場がなかったんです。
結局、冷静に事実を振り返り、気持ちを切り替えられるようになるまで、2・3日ほどかかり。さっぱりとした3歳の横で、連日どんよりしながら「ああ、いまここに日記が欲しい」と強く思ったのでした。
さて、世の中に色々な日記帳がある中で、散々迷った結果、私が選んだのは当店の3年日記です。
まず「いいな〜」と思ったのはこんなところ。
・思い立ったその日に始められるつくり
・自由に使えるシンプルな中身
・3年分を一冊にまとめられること
・書くスペースが大きすぎず、小さすぎない
思い立ったが吉日!な、衝動的なタイプの私にとって、求めている機能が全て備わっています。
次に良いなと思ったのがこちら。
・外出先にも持ち運びが可能なサイズ感
・リビングに置けるデザイン
とても魅力的です。
ちなみに一番リアルに良さを感じたのは、この可愛いらしい佇まい。
意外な点に自分でも驚いたのですが、なんというか、思わぬところで肩の力が抜けて、ほっとする。思い詰めすぎず、フラットでいられる。
このデザインは「すみれの栞」がテーマですが、その懐かしい雰囲気も相まって、なんというか、安心してそばにいられる優しい友人のような空気感を感じます。
その他にも、細かな場面で色々と心地よさを感じることが多く、驚きました。
例えば、自然と集中が続くスムーズな書き心地。
乱れた筆跡もいい感じに整う、うっすら入った桝目。
ふわっとなめらかな、布張りの装丁。目に優しい色味。
180度開くページ。フリースペースや、1年ごとの振り返り、記録に残したい日の一覧、等々の嬉しいおまけ。
一つひとつは小さなことですが、本当に、隅々まで気配りに満ちたつくりで、とても良いものを手に入れたなぁと思います。
おかげでしょうか、最初はきっちり机に向かって書いていたのに、最近はソファの上でリラックスしつつ書けるようになりました。
ちなみに日記を書くのは子供の頃以来で、続かない予感がしたため、「いつでも書ける仕組み」を大切にしています。
置き場所は一番長く過ごすリビング。どどんと目立つように置いておけば絶対に忘れません。来客時は本棚にうまく紛れさせればOK。
たまに抜ける日はあれど、ちゃんと続いています。
毎日のことなので、仲良くなれる存在でよかった。
さて、日記には、何を書けばいいのでしょう。
楽しいこと? ご機嫌な思い出?
私は毎度、書きたかったこととちょっと違うな、と思いながら、書き終えた自分の文章に首をかしげることが多々。
というのも、残念なことをポジティブに変換しようとしてみたり、本当の気持ちをそのまま残すのに躊躇したりで。
なんならいっそ、まともに書けるのは事実だけ、という状況ですが、それすらうっかり忘れ、今日何があったっけ?という有様です。
けれどね、それでいいんだなと。ここに正誤や、良し悪しは存在しない。そのまんまでいい。自分のために書いているのだから。
日記をつけるってそういうことだなぁと、続ける毎に思い、それこそが日記のもつ良さだな、と思います。
最近では、もはや念願の日記帳が徐々に「王様の耳はロバの耳〜!」と叫ぶ穴のようにもなってきました。
気張らず、取り留めのないこともぽんぽん入れて。 今日あったこと。オチもない喜びや些細な悲しみ。すぐに消え失せそうな、儚いものまで。
何があっても、いつでも。自分の中にあるものを取り出して、置いておく。ただひっそりと、そのままを受け止めてくれる、紙の器に。
そこに、いちばんの意味と価値を感じています。
さて、契機となった大喧嘩も、遠い記憶となった最近。それまで静かにしていた娘が、急にぽつりと、こぼしました。
「ママ、あのときはごめんね〜」
あまりにも唐突で、一瞬何のことだかわからなかったけれど、その顔を見るうち、あぁ、あの喧嘩のことか、と合点がいき
「あのときはママも悪かった、ごめんね〜」
と謝りました。
その夜、子どもを寝かしつけ、しんとした部屋で日記を開き。今日のこと、昨日のことをチラリと見つつ、ページをパラパラめくると。
なんてことのない日常のカケラが、ポロポロ溜まった日記です。他の誰かにとっては、何の価値もない。
しかしそのとき、多分これは私の宝箱なんだろうな、と思いました。
子どもの頃のように、自分だけのものを、しまった。3年日記だからまだページの半分以上は空欄で、そのせいか今ひとつ実感がないけれど。
何もかも、全てが詰まった、この日々は。
どれだけ必死に目に焼き付けて、必死に頭の中を反芻しても、きっといつか忘れてしまうだろう。 それでも尚、ありのままを、ぎゅっと、抱きしめられたらいいのにと、願っている。
まずは3年、自分だけのさまざまなものを、しまいこんで。この下段が埋まったときのことを知るまで、細々続けられたらいいなと思います。