【わたしの味方】第1話:何者にもなれない、紆余曲折の20代を救ったのは。シンガーソングライター・NakamuraEmiさんにお話を聞きました
編集スタッフ 野村
目の前の課題に頑張りたい時、ここがふんばりどころと感じた時、体調やメンタルのことも含めて、自分だけじゃどうにもならないかもと、弱気になることがあります。
そんな時に、いつもお守りのように聴いていて、自分が励まされる音楽があります。それはシンガーソングライター・NakamuraEmi(なかむら えみ)さんの音楽。
▲シンガーソングライター・NakamuraEmiさん
彼女のつくる曲には、自身の弱さも包み込んだ上で、自分らしく頑張ろうとする彼女自身のありのままの姿が歌われています。
そうした楽曲の数々が、自分にも重なり、励まされ、歌の歌詞に支えられて何とか頑張ってこれたということが、今までいろんな場面でありました。
彼女が生み出す音楽のルーツは、そして彼女自身を支えているものはどんなことだったんだろう。それを聞くことができれば、彼女のようなしなやかな大人に一歩近づけるかもしれない。
そこで今回、NakamuraEmiさんにインタビューをお願いし、お話を伺いました。
音楽を始めて、やめて、また始めて。紆余曲折の20代前半
20代の頃からミュージシャンとして活動していたNakamuraEmiさん。メジャーデビューをしたのは2016年、33歳の時でした。
デビューするまでは音楽活動と並行して、生活のためいろいろな職を転々としていたそう。そして、20代の始めの音楽活動は、うまくいかないことが多かったと話します。
NakamuraEmiさん:
「20代は、どんな道に進めばいいのかが定まらなくて。音楽を始めて、一度諦めて、また始めてと、たくさん悩んだ時でした。
20代のはじめは、小さな頃からの夢だった幼稚園の先生として働き始めました。幼稚園では楽しく働いていたんですが、歌うことも大好きで、仕事と並行してボーカルレッスンにも通っていたんです。
その時は『音楽なんて若い時にしかできないし』と思って、先生の仕事は1年ほどで辞めて、音楽の道に進んでみることにしました」
NakamuraEmiさん:
「そうやって音楽の道に進んだはいいものの、はじめは全然うまくいきませんでした。それで周りからも反対されてしまって、その時は『向いてなかったのかな』と音楽はすぐに諦めてしまいました。
そのあと3年くらいは会社で事務職として働いていたんですが、自分の生活の中に音楽がないことに段々とフラストレーションが溜まって、仕事にも集中できない日が続いてきて。
でもある日、大好きなシンガーの柴田淳さんのライブチケットが当たって、1人で見に行ったんです。教会でのライブだったんですが、目の前で歌う淳さんと1音1音が、押し込んでいた自分の気持ちを救いあげてくれるようなライブでした。そして『やっぱり私は音楽がしたい』と気持ちが固まって、再び音楽活動を始めることにしました」
好きなことを続けるには、理由が必要なんだと焦る日々
一度諦めた音楽を再び続けると決めるも、自信があったわけではなかったと語るNakamuraさん。自信のない中でも音楽を続けてこられた理由はあったのでしょうか?
NakamuraEmiさん:
「再び音楽活動を始めてからは、当時勤めていた会社は辞めて、アルバイトやパートに切り替えて、空いた日にいつでもライブを入れられるような生活スタイルになりました。
成功の見込みなんて分からないし、音楽がしたい! という一心で決めた道だったので、周りからは『なんで仕事を辞めてまで音楽をやるの?』と疑問を持たれたり、反対されたりが多かったです」
NakamuraEmiさん:
「だから当時は、周りからの『なんで?』に答えるためにも、音楽を続けるには立派な理由が必要なんだって焦っていました。
『メジャーデビューするため』『自分の音楽で、人を感動させたいから』と人当たりの良い理由を自分の中で作って、音楽を続けていて。
自分はまだ何者にもなりきれていないんだとすごく痛感していたからこそ、何かが欲しくて、反対されても、ひたすら意地だけを張っていました」
思い込みが、自分を苦しめていただけだった
NakamuraEmiさん:
「結局、再び始めた音楽活動も自分が思い描いたようにうまく進まずで。
音楽を続けているうちに、20代も後半にさしかかってきて、メジャーデビューができない、音楽をやめたほうがいいのかなって、また悩み始めたんです。
そうやって悩んでいた時、友人が『音楽に、やめるなんてあるのかな?』と言葉をかけてくれました」
NakamuraEmiさん:
「たとえば幼稚園でも子どもたちは歌を歌っているし、私たちもカラオケに行って好きなタイミングで歌を歌うし。そうやって音楽は生活の一部で、いつだって始められるものなんじゃない?って友人が言ってくれて。
友人にとっては何気ない一言だったかもしれないけど、私はその言葉のおかげで、すごく気持ちが楽になって、救われたって思いました。
私はメジャーデビューのために音楽をやりたいわけでもないし、誰かのために音楽がやりたいわけでもないんだって気付けて、目の前の道がブワーッて開けた感覚でした」
NakamuraEmiさん:
「音楽はずっと生活の一部なんだって思えるようになって、普通に働いて、恋愛もして、音楽は趣味として続けて、そうやって生きていければいいんだって思えたんです。
そこからは、平日は会社員として働いて、月に何回か休みの日にはミュージシャンとしてライブをして。そんな生活に変わっていきました」
***
彼女のお話を伺いながら、自分自身の味方になってくれたいろんな人やものを思い浮かべました。
誰かの何気ない一言や小さな行動、ふと目にとめた本の一節や音楽の歌詞が、自分の背中を押してくれたり、自分の気持ちを救ってくれたりすることが、案外たくさんあったかもと思います。
そして私・野村のそんな味方のひとつは、NakamuraEmiさんの『YAMABIKO』という楽曲でした。
続く第2話では、どんな背景があってその楽曲が生まれたのか、そんなお話を中心に伺いたいと思います。
(つづく)
【写真】神ノ川智早
もくじ
NakamuraEmi(なかむら えみ)
神奈川県厚木市出身。1982年生まれ。様々な職種を経験する中で、いろいろなジャンルの音楽に出会い、歌とフロウの間を行き来する独特なスタイルを確立。小柄な体からは想像ができないほどパワフルに吐き出されるリリックとメロディーは聴く人の心の奥底に突き刺さる。
2016年1月、日本コロムビアよりメジャーデビューアルバム『NIPPONNO ONNAWO UTAU BEST』をリリース。収録楽曲の「YAMABIKO」が全国のCSやFM/AMラジオ52局でパワープレイを獲得。2021年4月から、3ヶ月連続デジタルリリースと題し、デジタルシングル4曲をリリース。7月には、メジャー6枚目のアルバム『Momi』をリリース、9月からはアルバムを携えた全国25公演ツアーを行う。
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