【本を読むということ】第3話:文字を通じて、他者が他者ではなくなっていくとき。本は平和につながる

【本を読むということ】第3話:文字を通じて、他者が他者ではなくなっていくとき。本は平和につながる

ライター 嶌陽子

ロシア文学研究者、翻訳家の 奈倉有里 ( なぐらゆり ) さんに、本や言葉との向き合い方や、読書の意味について聞く特集。第1話では子ども時代の読書体験や物語が持つ力について、第2話ではロシア語との出会いや語学の喜びについて話してもらいました。

第1話をよむ 第2話をよむ

最終話ではとりわけ今この時代に本を読むことの意味について、奈倉さんの思いを聞いていきます。


「元気が出る本」をそばに置いておくと

留学していたモスクワの文学大学で、文学や言葉について徹底的に学んだという奈倉さん。大学では、こんな言葉を目にしていたといいます。

ある大教室の壁には、レフ・トルストイの言葉が掲げられていた──「言葉は偉大だ。なぜなら言葉は人と人をつなぐこともできれば、人と人を分断することもできるからだ。言葉は愛のためにも使え、敵意と憎しみのためにも使えるからだ。人と人を分断するような言葉には注意しなさい」。その教えは私たちにとって指標であり規範であった。

(『夕暮れに夜明けの歌を』より)


私たちが日々接する大量の情報の中には、残念ながら敵意や憎しみを感じるような言葉や、不安を感じさせるネガティブなニュースが時折混ざっていることも。そうした情報に心が疲れてしまう日もあります。

 

奈倉さん:
「毎日大量の情報を受動的に浴びると心が消耗しますよね。事実を知らなくてはいけないという気持ちも大切ですが、自分の精神状態を守るために、受け取る情報はコントロールした方がいいと思います。

好きな本や元気が出る本を持っておくこともますます必要になっている気がします。本って本当に豊かで、たとえば一回読んで全然気に留まらなかったことが、もう一回読むとちゃんと胸に響いて勇気づけられることがある。心が疲れた時に『これを読んだらまた元気になるかもしれない』という本があると、すごく心強いのではないでしょうか。

言葉って人間の思考にすごく近いものです。ニュースでは映像も使われるけれど、やはり言葉を使ってその意味が伝えられます。それを受けて頭の中で悲観的な結論が出てしまったとしたら、その結論自体は言葉でできているわけです。その結論を捉え直し、どうしたら希望がみえてくるのかを考えるときも、やはり人は言葉を使って考えています。

だから、一時的に消耗してしまった心を健全な方向へ持っていくために、好きな本を再読するというのはとてもいい方法だと思います」

 

「違う」ってどういうことなんだろう

最近は「自分とは違う誰か」を遠ざけたり、そうした存在に対して不安を感じさせるような言葉を目にすることも。でも本を読めば、そのことについても一旦立ち止まって考えることができるはず、と奈倉さんはいいます。

奈倉さん:
「誰かと自分が “違う” という時、何をもって違うというのか、そこをちゃんと考える必要があると思います。自分と全く同じ人はいないのに、特定の集団を “同じ” と見なし、別の集団を “違う” とみなす。そこに人種や国籍を持ってくることのおかしさは、文学作品を真剣に読んだことがある人ならすぐに分かると思います。

小説の中にはいい人も出てくるし、悪い人も出てきます。その人たちは、大体同じ国の同じコミュニティに属している人たちです。ある集団や地域、民族に属する人たちが揃って善人であったり悪人であったりすることってないですよね。文学を読めば、知らない場所にいる人たちを『いい/悪い』の塊で見ることを避けられるはずなんです」

 

奈倉さん:
「 “異文化” という言葉についても、以前からよく考えています。この言葉は“国” を基準に語られることが多いですよね。たとえば、私が外国に暮らしていたと言うと、 “異文化” というイメージに結びつける人もいます。でも私は本が好きだったから、同じように本好きで、子どもの頃は自分と同じように世界名作全集を読んでいたというロシアの文学大学の人たちはまさに “同じ文化” の人たちでした。

 一方、日本にいても文学は全く読まないかわりに、たとえば野球観戦が大好きな人たちは、私にとっては“異文化” の人たちといえるわけです。もしかすると今後その人たちと仲良くなって、私も野球を好きになるかもしれないけれど、今のところは異文化。

そのように、文化っていうのはいろんなところに存在しているんです。音楽をやっている人たちは国や地域を超えて音色で分かり合えるでしょうし、どんなジャンルでもそう。それなのに“異文化” に対するものとして “自国の文化” を持ってくるのはおかしいなと。

文化というのは、 “人と人とが共通の様式を用いて理解し合う営み”であって、自分で選び、自分で身につけるものです。そこに “国” という概念が割り込んでくるのは変だなと思うんです」

 

他者が他者ではなくなっていく 

奈倉さん:
「他者との距離を縮めるために、本はすごく助けになると思います。“もしも自分が今と違う時代や場所にいたら” という想像をすることは、誰にでもあるはずです。ただし、その時の自分というのは、今の暮らしや環境、考え方、身体能力などをそのまま引き連れた自分でしかないんですよね。

一方、小説はたくさんの言葉で、主人公がその時どういう状況で、毎日どういう風に過ごして、どんなふうに生きてきたかなどを説明してくれる。だから小説を読めば、体も考え方も状況も含めて、全てが違う自分になって、違う場所にいる体験をさせてくれる。

そうやって自分の思考の中に他者という存在が入り込んでくると、他者を理解するというより、もはや他者が他者ではないという感覚になれる。自分も全部その人と同じことをするんじゃないかって思えてくるし、自分が自分であることは本当に偶然なんだなって思えてくるんです」 


どんな場所にも人生の営みが確かにある

奈倉さんには、ロシアに多くの友人や知人がいます。その中にはロシア人もウクライナ人も、両方に出自を持つ人も。数年前にロシアのウクライナ侵攻が始まって以降は、ロシアから届く反戦の声を翻訳して日本に紹介してきました。著書でも度々、戦争の無意味さ、平和の大切さについて訴えています。

「地球上に爆弾を落としていい場所など存在しない」。奈倉さんが『文化の脱走兵』に書いた一文です。

奈倉さん:
「爆弾を落としていい場所があるという考え方は、他者への理解を拒絶すること。それと対極にあるのが、全く行ったことのない場所であっても、そこには人生の営みが確かにあるんだという実感であり、それは本を読むことで得られるはずです。だから外国の文学を読む場合は、あまりいいイメージを持ってない国や地域の作品も読んでほしいなと思います。どんな場所にも人間がいるということが、本当に実感として分かるはずですから。

本は、そうやって他者や物事をゆっくり、確実に理解して “身近な存在” にしていくもの。そういう意味で、本はどこかで平和とつながっているものなのだと思います」


はるか昔から、さまざまな場所で、さまざまな言葉で書かれてきた本の数々。それらの多くが空間や時間を超えて人と人をつなげてきたし、これからだってそうしていくはずです。

知らない世界に入り込む喜びを味わうために、遠い世界を身近に感じるために。たとえほんの少しずつでもいいから、これからも本を読み続けていけたらなと思います。


【写真】井手勇貴

 


もくじ

奈倉有里

1982年生まれ、ロシア文学研究者、翻訳家。2002年からペテルブルグの語学学校でロシア語を学び、その後ロシア国立ゴーリキー文学大学に入学、2008年に日本人として初めて卒業。東京大学大学院修士課程を経て博士課程満期退学。博士(文学)。著暑『夕暮れに夜明けの歌を』(イースト・プレス)で第 32 回紫式部文学賞受賞、『アレクサンドル・ブローク詩学と生涯』(未知谷)などで第 44 回サントリー学芸賞受賞。他の著書に『文化の脱走兵』(講談社)、『ことばの白地図を歩く』(創元社)、訳書に『赤い十字』(サーシャ・フィリペンコ著、集英社)ほか多数。3月17日に最新エッセイ『背表紙の学校』が刊行予定。

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