【書くこと、暮らすこと】後編:大人だって、心が揺れ動いてもいいのです(小説家・土門蘭さん)
ライター 長谷川賢人
小説家の土門蘭さんに『書くこと、暮らすこと』をテーマにお話をうかがっています。
当店でも短歌とエッセイで綴る連載『57577の宝箱』や、人生の支えになる言葉や生き方を伺うシリーズ『でこぼこ道の常備薬』を執筆する土門さん。昨年12月に公開した「北欧、暮らしの道具店」のドラマ『スーツケース・ジャーニー』では、脚本にも挑まれました。
前編は、土門さんと「書くこと」の出会いをたどりました。後編では、書くための心がけから、ドラマ脚本のエピソードまで。そこから見える、「書く」と「暮らす」の関係とは?
前編から読む
文章を書く力とは、五感での記憶力
連載『57577の宝箱』で、短歌とエッセイを併せて、週に一度の公開を続けている土門さん。第64話の回に、こんな一節がありました。
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「週に1度エッセイを書くの、大変じゃない?」
この間、友人からそんなふうに聞かれた。「どうしたらそんなに書くことが見つかるの?」と。
──【57577の宝箱】何もない日々にカメラを構えれば そこに広がる無限の被写より
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土門さんはこのエッセイの企画を立てたとき、「日常の中にある『宝石』について書きたい、と思っていた」といいます。尋ねた友人の方とも重なりますが、毎週のように差し出される宝石たちを、いったい土門さんはどのように見つけているのか、なぜ細かなことまで覚えていられるのか……気になります。
土門さん:
「文章を書く力とは、記憶力だと考えています。と言っても、知識や言葉、出来事をただ頭で覚えることが大事だというわけではなく、 “五感での記憶” こそが大切だと思っているんです。たとえば、プールの横を通って、塩素の香りを嗅いだときに思い出が一気によみがえる。そういう引き出しをどれくらい持っているのか、ですね」
この引き出しは、前編でも話した「心が揺れ動いた瞬間」を指しています。そして、引き出しを増やすために心がけているのは、物事を「感じきる」という姿勢です。
土門さん:
「よく笑って、よくびっくりして、よく泣いて。気持ちにふたをせず、体で感情を全部捉えて、その場の世界をすっかり感知しようとする。後からそれを書くために、意識的にそうするよう自分へ働きかけている気がします。やっぱり年齢と共に、私も心がどんどん動かなくなってきましたから。
たしかに心が動くのは怖いことなので、目をそらしたり、体がこわばったりしますし、昔はしんどかったです。私も本当は落ち着きたくて、みんなと同じように周囲と馴染みたかった。どうしてこんなに戸惑ってしまうんだろう、どうして傷ついてしまうんだろうと、コンプレックスにもなりました。
それを、書くことが肯定してくれたように感じます。心が揺れ動くのも悪いことではないと慰められましたし、このままでいいんだなって。仕事としても書くうちに、心が揺れ動くことは私の財産になるのだとも考えるようになりました」
日々の仔細を感じきる姿勢でいるから、一つずつの記憶が濃くなる。さらに、その記憶をもとに子どもの頃まで連想していければ、書けることの範囲はより広くもなります。
土門さん:
「今はみんな忙しくて、スマホやSNSに注意も向いてしまいがちです。でも、子どもの頃なら『空中に浮くホコリがキラキラしてきれいだなぁ』とか、ふと顔を上げたときの『この空の感じ、なんかさみしいなぁ』とか、純粋に心が動く瞬間は日常にもあるものです。
そういった記憶をいかに多く持っておき、追体験して、再現できるか。それが “書く力” の一つなのかもしれません。だからこそ、感じることや考えることにブレーキをかけないのが大事なんでしょうね」
第1稿はハートで書く
自分の中から生まれた記憶を、言葉にしてみたい。あるいは、誰かから受け取った気持ちを、また他の人へ届けたいと願うこともあるでしょう。いまはSNSやブログなども交えて、文章を発表する場も増えています。
何かを書き、他者にわかってもらうために、土門さんが気を払っていることは……と、聞いてみると、言葉遣いなど技術のお話が出てくると思いきや、意外な答えが返ってきました。
土門さん:
「『小説家を見つけたら』※1って映画、知っていますか。ぜひぜひ観てください。とてもよいセリフがあるんです」
ごめんなさい、存じ上げず。調べてみました。
2000年に公開されたアメリカ映画で、 舞台はニューヨークの下町、ブロンクス。文才がありながら、環境にめぐまれない高校生のジャマールは、処女作でピューリッツァー賞を得たのちに、消息を絶った伝説の老作家・フォレスターと知り合う。ジャマールは自作を持ち込んで添削を頼み込み、フォレスターもまたジャマールの文才を認め、自分のことを口外しない条件をつけて、文章指導を始めていく──。
土門さん:
「このセリフは、タイプライターをお互いの前に置いて座り、フォレスターがジャマールに文章の書き方を教えるシーンに出てきます。何を書いてよいか迷うジャマールに、すらすらと指を動かしながら、フォレスターはこんなふうに言うんです。
『考えるな。考えるのは後だ。第1稿はハートで書く。リライトには頭を使う。文章を書く時は、考えずに書くこと。』
この言葉、すごく響きました。みんな頭で書こうとしてしまうものです。でも、最初は絶対に自分を信じてあげて、ハートを広げて書かないといけない。その初期衝動がなければ書かなくていいとさえ、私は思っています。それが出来たあとに初めて、読者の目を考えながら改稿するんです」
今でも土門さんは「第1稿はハートで書き、リライトする」の教えを基本としているそう。そして改稿するときに、土門さんは「読んでほしい読者」をイメージしています。
土門さん:
「たとえば、高校時代のクラスメイトで、すこしやんちゃだった女の子。彼女が忙しい子育ての合間に、ふとスマホを開く。本を読む時間なんて全然なくて、ちょっと疲れ気味なら、この言葉では伝わらないかもしれないな……みたいに。ある程度、誰かに向けて書くという方針をもとに、手直しをしていくことが多いですね」
「何が好きだったのか」を思い出してもらいたい
連載『57577の宝箱』では、どういった人をイメージすることが多いのかを聞くと、「ほぼ私みたいな人」との答え。家事も育児、仕事もあって、なかなか自分の時間も取れない大人たちです。
土門さん:
「昔はよく映画を見たり、ファッションが好きで買い物したりしたのに、今や自分のことは後回し。いったい何が好きだったか忘れちゃった……という人を頭に置いています。
でも、みんな好きなものがあって、気持ちに蓋をしていない多感な時期もあったはず。エッセイや短歌を通じて、『本を読むのって、そういえば面白かったな』『私も映画が好きだったな』みたいに思い出すきっかけになれたら嬉しいです。
忙しい生活の中で、いちいち心が動いてたら、やっていられませんよね。でも、何かで心が動くのは自然なこと。それを私が言葉にすることで、『自分も最近、本当はそんなふうに感じていたな。あの瞬間は悪い時間ではなかったのかも』と思ってもらえたら」
これまでの連載したエッセイで「特に思い入れがある回」を伺ってみると、第28話の『ゆりちゃんのハンカチ』を挙げてくれました。
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今でもわたしは、ハンカチにアイロンを当てるたびにゆりちゃんのあの言葉を思い出す。
「だって蘭ちゃんってきれいなものが好きでしょう?」
そしてそのたび「そうだね」と、もう20歳も年下になってしまったあのころのゆりちゃんに返事をする。
──【57577の宝箱】ハンカチにアイロンあてて 一日のお守りのような押し花つくより
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土門さん:
「『57577の宝箱』で、今だけでなく、昔のことを書いてみようとしたときに、ゆりちゃんがハンカチを褒めてくれた記憶がパッと浮かんできたんです。昔の記憶をエッセイに書いてもいいのだと思えたのは、ちいさな転機でしたね。
たとえば、卵焼きを食べたときに小学生の頃の遠足のことが浮かんできたりする。そんなふうに、心を動かしてきたことをいっぱい引き出せば、これからも私はいっぱい書けるはずです。
記憶は風化していくのではなく、私の中にずーっと生き続けている。それを言葉にしてまた読んでもらえるなら、記憶がどんどん過去になっていくことも怖くなくなりました。
私が最初に書き始めたのは、生きることへの不安感からでした。それが今、書き続けてきて、生きることに対しての安心感を蓄積していっていると感じます。そうして生きることを肯定できたから、たぶん人生で今が一番、自分が充足しているとも感じます。
ひとりの人間として、心がこういうふうに動いたんだ、と素直に書き続ける。それが、私が世界で健やかに生きていくことなんじゃないかなぁ、って」
『スーツケース・ジャーニー』で挑んだ、初めての脚本
そして最近、土門さんにとって初めてのチャレンジとなったのが、「北欧、暮らしの道具店」のオリジナルドラマ『スーツケース・ジャーニー』の脚本制作。
店長・佐藤からの「すでにある脚本に肉付けしてほしい。主人公のキャラクターを掘り下げたい」という依頼に応えました。
土門さん:
「考えあぐねていたら、一緒に取り組むことになった編集者さんが『脚本の初稿を読んで、それを小説にしてみよう』とアイデアをくれて。なるほど、と思ったんです。
小説にするには、脚本で書かれた主人公の女の子が、何歳で、どんな体型や髪型で、どういう洋服を好きでいて、どんな家に住み、口癖は何で、どこに勤めていて……と、あらゆる設定を考えなければなりません。言うならば、作品世界を立体的にしていく作業ですね」
立体的になるほど、主人公の「小谷栞」が立ち現れていったそう。なぜその名前になったのか、どういう人生観を持っているのか、彼女にとっての「成長」とは──。
土門さん:
「匂いや質感から記憶がよみがえってくるかのように、あらゆるシーンやセリフに意味のある役割を持たせられたのではないかと思っています」
それは図らずも、これまで土門さんが続けてきた「書くこと」にも通じているように感じます。
「暮らすこと」を輝かせる、自分に合うやり方を
今回のインタビュー、テーマは「書くこと、暮らすこと」でした。
でも、土門さんから聞かせていただくほどに、実は心のもっと深いところに「書くこと」がつながって、光を放つ様が伺えました。心が動いて言葉が生まれ、それを文章にすることで世界を知覚し、健やかに暮らしていく。まさに「書くこと、生きること」の営みでした。
土門さん:
「感じてはいけない感情なんて、一つもないはずです。私は、日々抱くあらゆる感情を言葉にして、自分にとって安心できる場所に置いてあげたい。嬉しさも悲しさも、嫉妬も怒りも、全部感じていい。それを “生きている” と言うのですから。
私にとって『書くこと』は、今日もちゃんと生きていたかなぁ、と確かめる方法で、それの繰り返しが仕事にもなっているのだと思います。私にとっては『食べること』と同じようなものですね」
土門さん、実は仕事以外にも、プライベートで「誰にも読ませない文章」を留め続けているといいます。「コツコツと、火星人の世界の続きみたいなことを。書かないと落ち着かないんです」と話す姿に、何か一つの冴えた手段として「書くこと」を聞き出そうとしていた自分に、かすかな寂しさを覚えてしまったのも本心です。
インタビューのあとで、土門さんおすすめの映画『小説家を見つけたら』を観ました。老作家・フォレスターは、こんな言葉もくれました。
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「自分のために書く文章は、人に見せるための文章に優る。」
「至福の時を知ってるか? 第1稿を書き上げて、自分で読み返すときだ。」
──『小説家を見つけたら(字幕版)』より
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その言葉たちに、フォレスターと土門さんが、教えを請う少年・ジャマールに私の姿が重なりました。
土門さんにとっての「書くこと」のように、日々を慈しみ、観察し、心動いたことを確かめられる方法は、他にもきっとあるはずです。料理でも、写真でも、お掃除だっていいかもしれません。「暮らすこと」を輝かせる、自分に合うやり方を見つけたくなりました。
※1 『小説家を見つけたら』2000年公開 ガス・ヴァン・サント監督
【写真】岡安いつ美
【撮影場所】かもがわカフェ
もくじ
『スーツケース・ジャーニー』は、YouTubeの北欧、暮らしの道具店の公式チャンネルで無料公開中です。前後編ともに15分程度のショートストーリーとなっておりますので、ぜひお気軽にご覧ください。前編はこちらから
土門蘭
1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。
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