【5秒日記】最終回:人と一緒にいると、どこかからアイスを噛む音がする
「日記は1日のことをまるまる書こうとせずに5秒のことを200字かけて書くと書きやすい。日々をすごしたっきりにして忘れてしまう贅沢もすてきだけれど、私は貧乏性だから、家のちょっとした瞬間を残して覚えてわかっておきたいと思うのです」 エッセイストの古賀及子さんと、高校生の息子、中学生の娘の3人の暮らしの様子や、自身の心の機微を書きとめる日記エッセイ。月1更新でお届けした連載は、今回が最終回です。ご愛読いただき、またたくさんのご感想のお便りをお寄せいただき、ありがとうございました。
古賀及子
6/13(木)
夕方帰ると娘が学校から帰っており、息子は塾へ出かけたとのこと。
「お兄ちゃん、アイス2本食べてた」とのことで、この家で長らく守られている数少ない掟のひとつにアイスはひとり1日1本まで、というのがある。
「居間からシャリって音がして、あ、アイス食べてるなって思って、そのあと、また台所でシャリって音がした。あれは絶対2本食べてた」と娘は笑みのない顔で言う。
同居する人の存在は、目に見えて、気配で伝わり、音に聞こえる。
最後の「聞こえる」が、思った以上に存在として大きい。
ひとりでいるとき、何によっていちばん一人であることを実感するかといえば、静けさだ。
人と一緒にいると、どこかからアイスを噛む音がする。2回聞こえて「あいつめ!」と思うのだから、音は存在そのものだ。
アイスを2本食べるのは、もう乳児も幼児も児童もいないこの家なのだからある程度は各自の采配に任せてもいいと思うのだけど、おもしろい法律だからこれからもずっと1日に1本までにしておきたい。
塾から帰宅した兄に「アイス2本食べたらしいじゃん」と真顔で咎めたら、笑って「はい」と白状した。
6/20(木)
注文しておいたネットスーパーの品がどさっと届く。セールをやっていたものだから、保存の効くものの予備を、あれこれ買っておいた。
ティッシュペーパーもトイレットペーパーも、これでしばらく備蓄分もふくめ大丈夫。炭酸水もケースで買った。
買いだめはあまり好きではなくて、というのも、余力があると無理に今使っているものを使い切ってしまおうとするのではと、自分が信じられないのだ。
物というのは不思議で、なんでか使い切りたい。使い切ったら買わねばいけないのに、消耗しきる達成に向けてつい笑顔で走ってしまう。
買いだめをするとそのサイクルが早まって、消費スピードも早くなり、結果的に無駄が発生するのではと恐ろしい。
けれど、セールには抗えなかった。買い物は難しく、常々自分の弱さを思い知らされる。たくさんのストックに囲まれ、豊かな気持ちにはなった。
6/21(金)
息子が慌てた様子で「スマホが見つからない……ちょっと電話かけてくれない?」と言うからかけようとしたら、はっとして「あっ、わかった、いつもの場所だ」と自室へ飛び込んでいって「あった!」と照れながら出てきた。
「いつもの場所」にあるのに、なんで「見つからない」だったのか。
嫌味ではなく、単純に不思議でどういうこと? と聞くと、「いつもの場所」というのが「見当たらないなと思った時に、いつもある場所」だそうで、「いつも」のなかにも深度があるのだと思わされる。
6/23(日)
大根だと思って育てていた葉は、さては雑草だったらしい。薄々そうじゃないかとは思っていた。
息子が学校で種まきだけ実習してあとは各自自由に育てるようにと持って帰ってきた鉢から、この芽は生えてきた。
熱心に水やりをしたのだけどどういうわけか数センチ土から顔をのぞかせた程度でなかなか育たず、冬を超えて今年の春をすぎたあたりからやっとじわじわ背がのびてきた。
本当に大根だろうかと疑う気持ちは早い段階から持っていたのが、ここ数日で花がついたものだから、
これはと思い「大根 花」で検索する。検索結果を見ると、案の定あきらかに大根の花ではない。
毎日水やりをして、それなりに長い付き合いだ。大根ではないかもしれないが、ここから枯れるまで大切に育てようという気持ちをふるわせつつ、ではこの花は何なのか。
Googleレンズで検索してみると、「ネジバナ」と出た。知らない。
6/24(月)
午後に打ち合わせが2件あって外出。ひとつ無事に終えて、ふたつ目に移動する途中でコンビニのイートインでコーヒーを飲んで時間を合わせることにした。
数回使ったことがあるこの店は、お客が機械を操作して抽出するコーヒーもセルフレジで決済できるようになっている。
会計したらレジの脇にあるカップをとって、アイスコーヒーであれば氷もディスペンサーから自分でがらがらカップに入れてサーバーにセットする。
サーバーは2台ある。1台は他のお客さんが抽出中だったから、隣の機械を使おうと、カップを置く扉を開けようとするのだけど、あれ、開かない。何度かがちゃがちゃ試しても開かず、メンテナンス中だろうかと諦めて抽出中の隣に人の後ろに並んだ。
すると、その隣のサーバーでコーヒーを入れている方が、私が諦めた方のサーバーの扉をパカっと、開けてくれたのだ。
「あっ? あれ?」
「今、開くようになったみたいですよ」
にこにこしている。
わ〜、ありがとうございますと、自分のカップを入れてボタンを押すと、すんなりコーヒーが出た。
おそらく私の開け方が悪かったのだ。
あなたが開けようとしたときは閉まっていたみたいですが、たった今、開くようになったみたいですよ、というおしゃれな言い方にしびれる。
7/3(水)
春に水栽培を始めたアボカドが元気だ。伸びた茎に双葉が生えて、日を受けるように広がっていく。これが、すごくうれしい。
生とともにある喜びは実際にふれてみないとなかなか実感を持って伝わらないもので、アボカドを育ててこんなにプリミティブに、論理ではなくただただ感情的に興奮し嬉しいなんて、私にはそらでは想像できない。
育てられるらしい、じゃあ育ててみよう、その先にまさかの希望と喜びがある。めでて、成長をはげまして、水をかえた。
この夏、一緒に元気でいよう。
7/7(日)
友人と会うことになり、街行きのバスに乗る。となりあった年長のかたが「暑いわねえ」と声をかけてくれた。
「今日は35度以上あるんですってね」
「そうみたいですねえ、厳しい暑さですね」
「もう外は歩いちゃだめね、バスが一番ね」
こうして気さくに話してくれる方は、常々、沈黙をおそれないのだなと思う。さらっとした会話が終わると、しゅっと沈黙がおとずれる。私などはそれがちょっと怖くて未知の方に声をかけるのは気が引けるのだ。
しばらくするとまたぽつりと会話が始まった。
「このあたりは緑が多いのね」
「そうですね、街路樹がしっかりしていて」
「いいわねえ、久しぶりに来たんですよ」
「そうなんですね、このあたりはずっと変わりない様子ですよ」
終点まで乗って行かれるということだった。
「ごめんください、どうかお気をつけて」
「ええ、あなたも気をつけて」
降りながら私は、でもどうも照れくさくて後ろを振り返れないのだ。
7/13(土)
家では最後に食事を終えた者が食洗機をかけることになっている。自動で給水ができないタイプの機種で、上部の穴からやかん3杯分の水を入れる必要がある。
見ると娘が、やかんの口の部分についた蒸気で沸騰を知らせる笛の部分を閉じた状態で水を入れていた。
「あ、口閉まってるよ?」と教えると「おもしろいから、わざとこうしてるの」と言う。
古いやかんで、笛の部分のしまりがやや悪くなっているから、隙間からつーっと3本の筋に分かれて水が食洗機に流れ込んでいた。
「こうやると、水が出るのがゆっくりになって、時間があるときくらいしかできないから」
あえて、無駄なことをしているのだ。
娘は無駄と合理を区別しない。できることはぜんぶ「できること」として受け取って、それぞれにある良さをしっかり味わう。
文/古賀 及子(こが ちかこ)
1979年東京生まれ、神奈川、埼玉育ち、東京在住。ライター、エッセイスト。 どうってことない日々を書くのが好き。著書に日記エッセイ『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』(素粒社)。2024年2月に日記エッセイの続編『おくれ毛で風を切れ』(素粒社)、エッセイ『気づいたこと気づかないままのこと』(シカク出版)を刊行。
note:https://note.com/eatmorecakes X(twitter) :@eatmorecakes
イラスト/芦野 公平(あしの こうへい)
イラストレーター、TIS会員。書籍、雑誌、広告等の分野で活動中。イラストを提供した仕事に、Honda N-ONEカタログ、坂角総本舗130周年カタログ、新国立劇場「シリーズ 声」ビジュアル、田島木綿子『海獣学者、クジラを解剖する。』(山と溪谷社)、瀬尾まいこ『傑作はまだ』(文藝春秋)など。
X(twitter) : @ashiko
『うんともすんとも日和』に、古賀及子さんが登場!
私たちが大好きな「あの人」のいまの生き方に迫る、ドキュメンタリー番組『うんともすんとも日和』、第51弾では連載『5秒日記』でお馴染みの古賀及子さんにご登場いただいています。
古賀さんのとある1日に密着し取材。最初に日記を書き始めたのは偶然で、子育てがひと段落した頃のことだったと振り返りながらお話ししてくれました。
ぜひご覧ください。
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