よく晴れたある春の日に、東京郊外にある1軒の家を訪ねました。
明るくおおらかな気配が漂う住まいは、建築家の 山中康廣 さんとプロダクトデザイナーの 山中阿美子 さん夫妻が43年前に建てた自宅です。
チャイムを鳴らすと、ご夫妻はにこやかに迎えてくれました。「今ね、ちょうど庭の木瓜の木の花が満開なんですよ」と康廣さん。ご挨拶もまだ終わらないうちから「ほら、もうちょっとこっちに来るとよく見えますよ」とニコニコ顔で教えてくれます。
現在、88歳と86歳のおふたり。住まいを見せていただきながら、これまでのことや最近の暮らしについてお話を聞いた午後は、胸がじんわり温かくなる、忘れがたいひとときでした。全2話でお届けします。
夫婦で、家族で、いろいろな場所を旅しました
あらためてご挨拶をしたところで、家の中を案内してもらうことに。まずは玄関に近い小さな茶室です。
「小さな空間でも、けっこう面白いんですよ。いろんな人が来て、楽しんでやっています」と康廣さんがいえば、「この人は40〜50代の頃にお茶を習っていたんです」と阿美子さん。
床の間には、康廣さんが庭からとってきた木瓜の花が飾ってありました。庭の草花を生けたり植木鉢の水やりをしたりするのは、康廣さんの担当なのだそうです。
お茶室の隣はリビング。一角にはたくさんの民芸品が飾られた棚がありました。
阿美子さん:
「これは私たち夫婦の趣味みたいなもの。国内外へ旅行に行った先で、少しずつ民芸品を集めてきたんです」
▲3つ並んでいるのは “鬼剣舞” という岩手の郷土芸能の人形。新婚旅行で東北を訪れた際、宮沢賢治の弟・清六さんから贈られたそう。
建築家、デザイナーとして多忙を極めながら、3人の子どもを育てた山中さん夫妻。子どもたちが大学生だった頃の夏休み、家族5人で旅行をした時のことも話してくれました。
阿美子さん:
「3週間休みを取って、イギリス、イタリア、フランスを回ったんです。貴重な旅行でしたね。イタリアが特に印象的でした。帰国後も『こんな味だったっけ』なんて言いながら、カポナータやカプレーゼを作ったりして」
康廣さん:
「イタリアっていうのは楽しい国ですね。旅行好きだったからいろいろな国に行きましたけど、イタリアのもてなしの精神はよくできてるなあと思いましたよ」
阿美子さん:
「当時、フィレンツェから北のベネチアへ行く特急列車に乗るつもりが、間違えて南のローマ行きのに乗っちゃってね。
みんなで困ったねって言って、車掌さんに切符を見せてボディランゲージで一生懸命に事情を伝えたら、しばらくして列車が小さな駅に停まったんです。
車掌さんが『ここで降りてフィレンツェに戻れ』って。私たちのために、停まる予定のない駅に停まってくれたんですよ」
康廣さん:
「ほかの街でも、誰もが親切で楽しい案内の仕方をしてくれる。さすが観光大国だなと思いましたね」
空間の楽しさが、この家の基本です
▲作りつけのソファがあるリビング。ここに友人たちと集まることもあるそう。
家の中を案内してもらうはずだったのが、つい話が弾んで、いったんリビングに座ってお話しすることになりました。床が一段低くなっているからか、作りつけのソファに腰を下ろすと、なんだかとても落ち着きます。
基本的な設計は建築家である康廣さんが考え、阿美子さんは住みやすさ、使い勝手の面でいろんなアドバイスをしたという住まい。43年前、どんな考えのもとで設計したのでしょう。
康廣さん:
「まず『木造の家というのはこういうものだ』っていうのを見せたい気持ちがありました。木の柱や梁を剥き出しにしてジャングルジムみたいにして、木造建築の面白さを表現したいなと。
それに加えて、2階が吹き抜けになっていて、自由な空間がある。それがメインのイメージです」
リビングの床を一段低くするなど、家全体にリズムがあって、変化に富んでいるのも印象的です。これも大切にしたことだったのでしょうか。
康廣さん:
「やっぱりそれが空間の楽しみですからね。少しずつ変化をつけていって、全体が成り立っているというか。外から見る印象と、中に入った時の印象が違うと、初めて来た人にはよく言われます。
リビングやダイニングなど、いろんな大きさの部屋があまり仕切られずにゆるくつながっていて、そこを自由にぐるぐる回れるようになってる。そういう楽しさが、この家の基本だと思いますね」
阿美子さん:
「そう、この家は行き止まりっていうのがないのよね。だから小さな子どもが来ると喜んでぐるぐる走りまわってますよ」
窓の外には見ていてほっとするような、自然のままの庭がありました。
康廣さん:
「庭と建物とのつながりも大事。この家、真四角じゃなくて、けっこう凸凹してるでしょう。それによって、外の庭の見え方も少し変化が出るんですよ」
阿美子さん:
「庭ももう少し手入れをしたいんだけど、歳をとってきて、なかなかできなくて。もうボウボウです」
康廣さん:
「なるようになれ、だよね」
阿美子さん:
「そうね。でも、元々作り込んだ庭というより、自然な感じだったかも。家を建てた時に植えた木は、当時は細い若木だったのがずいぶん大きくなりました」
仕事も育児も、ふたりで助け合って
▲1961年の天童木工・家具デザインコンクールに入選した「マッシュルームスツール」。数十年後に製品化され、パリ装飾美術館のパーマネントコレクションに認定された。今では日本家具を代表する作品
リビングには可愛いフォルムのスツールがありました。これは、学生時代に出会った康廣さんと阿美子さんが、もう1人の友人と一緒に3人でデザインしたマッシュルームスツールです。
ふたりが結婚したのは1965年。康廣さんは建築家として一戸建てや集合住宅などの設計、阿美子さんは夫の仕事を手伝いながら、インテリアやプロダクトのデザインをしてきました。
▲阿美子さんがデザインしたカトラリー〈AMI〉シリーズ。1998年にグッドデザイン賞を受賞。
共働きをしながら、3人の子育てもふたりで。毎日の食事づくり、保育園の送り迎えなど、協力しながら毎日を乗り切っていたそうです。
阿美子さん:
「金曜日の夕方に保育園で使うシーツを持ち帰って洗濯して、夫が月曜日に保育園に行ってまたセットして。その頃はとにかく夢中だったせいか、大変とは思いませんでしたね」
康廣さん:
「まあ、ふたりでやるしかないですよね。困った時には人に助けてもらったり」
夫婦になって60年、仕事も暮らしもずっと一緒だったふたり。喧嘩をすることはないのでしょうか。
阿美子さん:
「この人がのれんに腕押しなんですよ。何ていうか、何を言っても仕方ないっていうか」
康廣さん:
(阿美子さんに向かって)「僕の体のどこにも、のれんなんかついてないよ」
阿美子さん:
「ほら、この調子でしょう?(笑) 仕事ではお互いに言いたいことを言い合うけど、それ以外で言い争うことはほとんどないですね。
たとえばお台所でも、この人は料理をした後に道具や器を出しっぱなしの時があるんです。片付けてっていうと片付けるんですが、お茶碗ひとつ洗うのにものすごく時間をかけるの。私からすると、丁寧を通り越して、ばか丁寧というのかしら(笑)
でも、自分と違うところは仕方ないと思って、あまり突き詰めないようにしてます。結局、私が我慢強いんです(笑)」
康廣さん:
「まあ、そういうことですね(笑)」
毎晩「居酒屋あみ」を開店します
70代に入って少しずつ仕事を減らし、10年前にリタイア。最近では、日中はそれぞれのことをしたり、一緒に買い物に出かけたり。夕方になるとふたりで台所に立ちます。
阿美子さん:
「私は主に下ごしらえ担当、この人はお刺身を切るとか、炒め物の味付けをするとか、最後の仕上げをします」
康廣さん:
「料理は好きなんです。だっておいしいものができあがって、それを食べられるんですからね。楽しいですよ」
阿美子さん:
「毎晩、 "居酒屋あみ" でも始めようかって言って、支度を始めるんです」
取材中、何度も出てきた「楽しい」という言葉。楽しさは、旅といった非日常の中にだけでなく、ちょっとした住まいの工夫や、毎晩の食事の支度など、日々の暮らしの中、自分のすぐそばにあるのだと、おふたりの穏やかな表情が教えてくれました。
後編では、おふたりの現在の暮らしや楽しみについてさらに伺っていきます。
(つづく)
【写真】井手勇貴
もくじ
第1話(5月7日)
88歳と86歳。夫婦でつくったおおらかな家を訪ねました
第2話(5月8日)
この家に、いろんな人が楽しさを持ってきてくれたんです
山中康廣、山中阿美子
康廣さん(写真右)は早稲田大学建築学科卒業、会社勤務を経て「山中康廣建築設計事務所」を設立し、個人住宅、集合住宅を中心に企画・設計を手がける。阿美子さん(写真左)は東京藝術大学美術学部を経て、「YAMANAKA DESIGN OFFICE」を設立し、インテリア、プロダクトデザインの企画・開発を手がける。現在はリタイアし、ふたり暮らし。
HP: https://www.ay-yamanaka.com/
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