本屋という仕事
【本屋という仕事】前編:人口1,500人の小さな村に、「本」という気づきを並べる。(もくめ書店・酒井七海さん)

【本屋という仕事】前編:人口1,500人の小さな村に、「本」という気づきを並べる。(もくめ書店・酒井七海さん)

車を降りると、たくさんの音に包まれました。ごうごう流れる川の音、しゃわしゃわ言う蝉の声。

キャンプ場や別荘地として知られる、山梨県道志村。自然豊かなこの町に、たった一軒の小さな本屋があります。川のほとり、木々の間に佇む、本と喫茶の店「もくめ書店」。出迎えてくれたのは店主の酒井七海(さかい ななみ)さんです。

酒井さん:
「色んな音が聞こえますよね。蝉の声は、もうじき鈴虫になります。季節に合わせて少しずつ変わっていくんですよ」

物語の中から抜け出てきたような、赤い屋根のログハウス。外からの音と風を感じられるように、通年開け放しているという入り口をくぐると、目の前に広がる本の森。

はじめてここを訪ねた時、小さなこの空間に、気になる本がひしめくように並んでいて心が高鳴ったのを覚えています。山歩きのエッセイ、草花の詩。ふだんは手に取らないジャンルの本にも、不思議と手を伸ばしたくなりました。

「本」とはどんなもので、この小さな町に「本屋」を開いたのはなぜなのでしょう。今回は全二話で、酒井さんの物語を伺います。


好きなものだけを追いかけて、たどりついた道

4年前、東京から道志村へ移り住んだ酒井さん。関東近郊のチェーン書店に勤め、長く書店員として働いてきた彼女は、小さい頃から本が好きでした。

酒井さん
「幼い頃は冒険ものやファンタジーに夢中でした。愛読書は『秘密の花園』や『海底二万マイル』。海外の物語が多かったですね。別世界に連れて行ってもらえるようで、わくわくして。

小学校も中学校も、休み時間になれば本を開くような子供でした」

読書と同じくらいに好きだったのは、音楽。20代はバンドを組み音楽活動をしながら、お金を貯めては海外を旅しました。

バックパックに、文庫本と旅の荷物を詰め込んで。東南アジア、オーストラリア、アメリカ。さまざまな国へ出かけました。

中でも特に印象に残っているのは、アイルランド。文学と音楽が独自の発展を遂げたこの国では、1年間の遊学を経験し、現地でバンドを組んだり、本を読んだり、思うまま自由な時間を過ごしたと言います。

その後帰国し、ほどなくして起きたのが、東日本大震災。酒井さんにとって、これからの働き方を考える転機になりました。好きなものしか仕事にできない自分が、長く続けられるものは何だろう。浮かんだのが、本屋という仕事でした。



一冊の力を超えた、「本屋」という力を知って

大手書店にアルバイトとして入ったのが、30代の初め。好きなものに触れられる仕事は、それは楽しかったと言います。中でも記憶に残るのは、はじめて企画したフェアのことです。

酒井さん:
「当時の上司が好きなように棚づくりを任せてくれて、何かフェアを企画しようということになったとき、『はじめての海外文学』というテーマが浮かびました。

昔から、海外文学が好きでした。幼い頃に読んだファンタジーに始まり、大人になってからは小説やエッセイも。サガンの『悲しみよこんにちは』や、アントニオ・タブッキの『インド夜想曲』。登場人物の心理が、日本とはまた違う感覚で描かれていて、言葉の美しさに惹かれたんです」

その魅力をもっと広めていきたいという思いで、編集者や書店関係者、翻訳者、総勢50名に声をかけ、おすすめの一作を展示したフェアは大盛況。たくさんの本が旅立っていきました。

酒井さん:
「その時の反響が予想以上で、海外文学はまだまだいけるんだって思いました。

同時に書店という場所は、人の心を動かすことができるのかもしれないと。大袈裟でなく、この場所でできないことはないんじゃないかと感じました」

本という単体を超えた「本屋」という場の力。それを体験したことが、のちに本屋を開くきっかけにも繋がります。その後、2つの書店で10年以上勤めたのち、結婚と出産を経て、道志村へ移住。

自宅として探していた今の物件に出会ったとき、ふと「本屋、やってみようかな」という想いが湧いたと言います。



「本は、そこにあることに意味がある」

酒井さん:
「はじめから店をやるつもりで移住したわけではありませんでした。自然豊かな場所に暮らしたいという思いがあって、道志村を選んだのも、この物件が見つかったからです。

実際に暮らして見ればここは人口1,500人の小さな村で、高齢化も進んでいます。お店も年々少なくなり、移動は車が必須。こんな場所に書店を作って大丈夫なのかなと不安もありました。

それでも、本屋も図書館もないこの村で、子供たちに本がたくさん並ぶ空間を見せたいと思って。次第に、迷いよりもワクワクする気持ちの方が増してきました」

酒井さん:
「ロシア文学者の奈倉有里さんが『背表紙の学校』という本の中で、こんなことを書いています。昔、自分は本屋にいることが好きだった。たくさんの背表紙が並ぶ様子をただ見ているだけで、なんてたくさんのものを得ていたんだろうと思うと。

私にとっても、子供の頃の本屋は大切な場所でした。そこに行くことが楽しみだったし、嫌なことがあったときにも、包んでくれるような場所でした。

たとえ買わなくても、そこにある本を眺めているだけで、たくさんの気づきや励ましをもらっていた気がするから。この村にも、そんな場所を作りたいと思ったんです」

本は、開かずともその佇まいからメッセージを発しているような気がします。初めてもくめ書店を訪ねたとき、書棚に並ぶたくさんの本をお見て、手に取る前からわくわくした理由が、酒井さんのお話を聞いてわかりました。

それがひとつひとつ世界の入り口であるならば。世の中は自分が思うよりずっと広く、まだまだ自由だと。幼い頃にそう気づかせてくれたのが、 本であり「本屋」という存在だったのかもしれません。

続く後編は、本を届けるという仕事の面白さと、酒井さんが思う「本」の力について、伺っていきます。


【写真】吉田周平


もくじ

第1話(9月15日)
人口1,500人の小さな村に、「本」という気づきを並べる。(もくめ書店・酒井七海さん)

第2話(9月16日)
わからないものと、自分との間に「本」を置く。(もくめ書店・酒井七海さん)

酒井七海

千葉県出身。大手書店で書店員として働いたのち、山梨県道志村に移住。本と喫茶の店「もくめ書店」を2022年にオープン。

Instagram:@mokume_books