自分を生きる
【自分を生きる】前編:人生は、不足があるから前に進める。千葉の里山でチョコレートを作る、國岡妙子さんを訪ねて

【自分を生きる】前編:人生は、不足があるから前に進める。千葉の里山でチョコレートを作る、國岡妙子さんを訪ねて

大人になるとは、役割を増やすことなのかもしれません。仕事をする自分、家庭を持つ自分、親となる自分。それぞれの役割の中で、それらしく振る舞って。でも、ならば本当の「自分」とはどこにいるのだろうと、ふと思うことがあります。

そんなときに出会ったのが、千葉の里山で「くにおかチョコレート」を営む國岡妙子(くにおか・たえこ)さんです。

「くにおかチョコレート」は、カカオ豆の焙煎からひとつひとつ手作業で行う、チョコレートのお店。シンプルな板チョコレートを主役に、季節を生かしたチョコレート菓子を手がけています。

はじめてお店に伺ったのは、情報誌の取材がきっかけです。店頭に立つ、真っ白なブラウスに身を包んだ彼女の凛とした姿。力強い眼差しが、印象的でした。

チョコレートのこだわりは、と月並みな質問を投げかけた私に、國岡さんは「何を作ろうと、それはその人自身だから」と言いました。

整えられた店の中で、淡々と手を動かす姿。どこか聖域のように、暗がりの中に佇む商品の売り場。そこに並ぶ均一で端正なチョコレート。言葉通り、隅々にまで人柄が見えるような気がしたのです。

チョコレート職人である彼女は、かたやシングルマザーとして、5人の子どもを育ててきた母親でもあります。彼女は「自分」をどこに保って、生きてきたのか。お話からヒントが聴けそうな予感がして、千葉の里山を訪ねました。


家族との別れ、親の介護を経て選んだ食の道

お店を訪ねたのは9月の下旬、長雨が続く日々の中でした。じきに晴れ間が見えると言われていたその日の予報も外れ、生憎の天気に。

しとしと雨の中、國岡さんはからりとした笑顔で迎えてくれました。

國岡さん:
「雨続きですね。遠いところ、道も大変だったでしょう。

こういう天気の日は、潔く休んで良いよって言われているような気がして、ちょっとだけ嬉しくもなるんですけど」

軽やかな姿の奥に見える、強い芯。彼女は、どんな人生を歩んできたのでしょうか。

19年前、東京から今の場所へ越した國岡さん。里山の中にぽつんと浮かぶ無人島のような土地に移り住み、店舗と工房を自らの手で作り上げました。

人けのない静かな場所で、はじめに開いたのは食事ができる小さなカフェ。けれど、そもそも食の仕事を志していたわけではなかったと言います。

ならばなぜ、と理由を尋ねれば、口から出てきたのは、ここまで20年の歩み。そこには、大切な人の死、両親の介護、離婚と、いくつもの苦労がありました。

國岡さん:
「20代で結婚した当初は、子育てに専念しようと思っていて、働くつもりすらありませんでした。

その後、夫が亡くなり、働かなければならなくなった時に、この仕事を選んだ理由はシンプルで、暮らしと仕事を切り分ける余裕がなかったからです。料理の仕事をしていたら、それで子どもたちの食事もまかなうことができるでしょう。

今の自分にできることの中で、効率よく選んだ結果でした」


甘さより「香り」が主役のチョコレートを作る

その後、チョコレート作りを始めたのが2014年のこと。カカオ豆を焙煎し、ひとつひとつ殻をむくところから手作業で行う、たくさんの手間と時間をかけた『くにおかチョコレート』が生まれました。

はじめて口にした時、甘さより先に感じたのは香りでした。舌に微かに感じるざらりとしたカカオの粒と、口に入れた瞬間から鼻に抜ける華やかさ。砂糖に頼らず、原料である「カカオ」の存在を認知するような深い味は、國岡さんらしい味だと感じました。

國岡さん:
「作りたいのは、カカオの存在を感じるチョコレートです。素材であるカカオには、それぞれ香りや甘みに個性があります。

香料を使わず、その風味をいかに生かすか。粒感を残しながら、滑らかな口溶けをどう両立させるか。ひとつひとつに手をかける、個人だからこそできるものづくりがしたいと考えました」

繊細に溶けるチョコレートの奥に見えるのは、ストイックな人柄。12年が経つ今も日々向上を目指しているチョコレートは、遠方からも人を呼ぶほど、静かな人気を集めています。

一方で工房を出れば、ひとりで家庭を切り盛りする母親としての姿があります。

毎朝早くに起き、子どもたちの食事を作り、送り出してから仕事へ。夕方には家に舞い戻り、急いで夕飯の支度に取り掛かる日々。

店の主であり、職人。一家の主であり、母親。肩書きをかわるがわる変えながら20年以上、休む間もなく体を動かしてきたそのエネルギーは、どこから生まれているのでしょうか。


「人生は平等ではない」と。認めた時から、力が湧いてきた

國岡さん:
「夫が亡くなった時も、両親の介護につきっきりでいた時も、信じがたいことが次々に起きるなと思う一方で、こういう思いをしている方が、本当はたくさんこの世の中にはいるんだと、知らなかった世界に気づきました。

壮絶な日々に、なぜ私ばかりが、と思うこともありました。それでも生きていかなければいけない。その時、きっと人生は不平等なんだと思ったんです。

それまでの自分はどこかで人生を平等だと信じていて、うまくいかないことがあるたびに、不満を感じていました。でも、それでは状況は変わらない。前に進めません。

ならば不平等なんだと認めて、その中でも平等に近づけるように頑張ってみようと。運を待つより自分で動いてみたら、少なくともその分だけは、なにかが返ってくるかもしれないと思うようになりました」

もしも満ち足りた人生を送っていたら、今の店を開くことはなかっただろうと國岡さんは言います。だから「良かった」と簡単には言えませんが、それでも今の自分があるのは「人生に “不足” があったから」だと。


國岡さん:
「足りないものがあるから、人は頑張れる。自分では想像もしていなかった力が湧いてくることを知りました。

子どもたちには、人生は平等ではないけれど、精神的な平等を得られるよう努力することで、より良い人生を送ることができると伝えています」

降りかかる出来事そのものを、止めることはできません。けれど、動いてみることで、その後の景色なら変えられるかもしれない。

美しいチョコレートが並ぶ、穏やかな店内で話を聴きながら、今、ここにある景色は偶然ではなく、國岡さんが自身の手で手繰り寄せたものなのだと感じました。

続く後編では、そんな彼女が大切にしてきた考え方について、引き続き聴いていきます。


【写真】吉田周平


もくじ

第1話(10月8日)
人生は、不足があるから前に進める。千葉の里山でチョコレートを作る、國岡妙子さんを訪ねて

第2話(10月9日)
仕事も家事も。向き合い続けたものには「自分」が宿る(くにおかチョコレート・國岡妙子さん)

國岡妙子

千葉県市原市の里山で「くにおかチョコレート」と予約制の食事処「くにおか」を営む。カカオ豆を焙煎し、ひとつひとつ手で殻をむくところから始めるこだわりのチョコレートを作る。2024年、目黒区碑文谷に二号店をオープン。

Instagram:@kunioka_chocolate