
千葉県市原市、里山の中にひっそりと佇む「くにおかチョコレート」店主の國岡妙子さんにお話を聴いています。
前編では、5人の子どもを育てながら、チョコレート作りに向き合ってきた彼女のこれまでの人生を聴きました。仕事と子育てを両立しながら、自分の芯をどう保ってきたのか。後編では、その姿勢を伺います。
お母さんにも、大切な時間がある

お話を聴く中で、國岡さんの口から幾度も出てきたのは「効率」というフレーズでした。
田舎に暮らしたのは、遠い公園へ子どもを連れていくより、目の前にある自然で遊ばせられる方が効率がよかったから。
食の仕事を選んだのは、今の自分にできることで、子どもたちの食事もまかなえる、効率的な選択だったから。
けれど、手間と時間をかけてチョコレートづくりに向き合う國岡さんの姿勢に対して、その言葉は少しちぐはぐに思えて、違和感がありました。「効率」にこだわるのは、なぜでしょうか。

國岡さん:
「時間を守りたいというのが、一番の理由です。仕事も、家事も、子育ても。すべてを大切にしたいと思ったとき、必要なのは時間でした。
人生において時間は可能性であり、一番の価値だから。子どもたちには、いつも時間を大切にしなさいということ、お母さんにも大切な時間があることを伝えてきました」
すべてに手間と時間をかけていては、人生は足りない。「効率」という言葉は國岡さんにとって、本当に大切なものを守るために何かを諦める勇気であり、決意の表れのようにも聞こえます。
家事も、仕事も、自分を育てるためにある

ならば、「時間」をかけたいものとは何か。尋ねると、迷いのない答えが返ってきました。
國岡さん:
「仕事ですね。私には、仕事が何より大事です。だってそれは自分自身だから。ときに子育てよりも優先してきました。
チョコレート作りは繊細な作業です。料理ならば少しの間違いは丸くおさめられるけれど、チョコレートでは、そうはいきません。温度や湿度の変化で状態が変わり、なかなか均一なものが作れない。日々地道に向き合いながら、感覚を育ててきました」

仕事とは、感性を磨いていく行為だと。そう國岡さんは続けます。
國岡さん:
「日々の家事も同じです。掃除、洗濯、食事づくりに、庭の草取りからも、学べることは多くあります。
毎日同じことを繰り返しているようで、そこには必ず違いがあるんです。たとえば、お米を炊くこと。同じ炊飯器を使っていても、水の量や浸水する時間で、日々炊き上がりは違います。観察して、違いに気づき、工夫する。そうやって、人はささやかなことからでも成長していけると思っています」
迷ったときには、自分を見る

日々のなにげない家事にも、手間を惜しまない。その姿勢には、何を大切にし、どう生きていきたいか、「自分」というものが見えている人の芯を感じます。
なぜ、自分が見えるのか。尋ねると、返ってきたのはシンプルな答えでした。
國岡さん:
「何もない、この田舎に暮らしてきたからだと思います。元々私は、誰かと競うような生き方が苦手で、それを避けるためにこの町に越しました。
東京には素敵な人がたくさんいて、刺激的な環境だと感じます。一方で、ここで私はとても生き延びられないだろうとも思いました。常に、誰かと自分を比べてしまうから。すると自分が本当に進みたい道が、見えなくなってしまう気がしたんです」

國岡さん:
「対してこの場所では、よそに見るものがないでしょう。
人は迷うとつい周りを見てしまうけれど、やはり、最終的に見るべきなのは自分で。何もないこの場所は、自分と向き合うためには、最良の舞台でした」

車を走らせなければ日常の買い物にも困るようなこの場所は、心細いと感じるほどに静かです。一方で便利な都市は、常に賑やか。自分という存在を意識する手前で、たくさんの情報が頭に流れ込んできます。
不便さと引き換えに彼女が手に入れたのは、余計なものを「知らない」ことができる環境。視点を変えれば、それは今自分が暮らす場所でも、手に入れられるものなのかもしれません。
「自分」はこのチョコレートの中に、ちゃんと入っている

仕事と家庭に奔走した日々。効率を優先する中では、自分が本当に好きなものを二の次にすることもありました。
けれど、その心境にも変化が。この頃は、自分の作るものと、作りたいものが重なっているように思えてきたと言います。
國岡さん:
「自分はこのチョコレートの中にちゃんと入っているなって、ふと思えた時がありました。それは自分が心から好きだと思えるものに、お客さまが共感してくださることが、少しずつ増えていると感じるようになったからです。
商売はお客さまが認めてくれなければ成り立たなくて、何を作ればいいのかわからなくなった時期もあります。20代の私は自我が強くて、反対に30代の私は自信がなくて、迷ってばかりでした。
仕事をしながら、ずっと自分というものを探っていくような感じでいましたが、ようやく40歳を過ぎてわかってきたのかな。結局は自然体でいることが答えだったんだと思います」

國岡さん:
「時は”来る” ものだと思っていて。こうしてお会いできたのが今日であったように、機会は自分から迎えにいくことはできないのだと思います。
だから、20代、30代と葛藤してきたことも、無意味ではなかった。今、ようやくここだと思えるのは、やっぱり、今だからなんですよね」

長くお話を聴いていました。次第に夕方になり、気づけば雨が上がり、あたりは明るい曇り空に。白んだ空気、霧のかかった窓の向こうを見ながら、國岡さんがぽつりと言いました。
國岡さん:
「曇り空が好きです。青空は、いつ終わってしまうのかなと怖くなるから苦手。昔は白黒はっきりさせたいと思っていたけれど、今はグレーでいいんだと思います。
この間の台風の後、雨が止んだとたんに蝉が鳴き始めたの。何事もなかったようにね。その時、幸せだなと感じました。人はこんなに大慌てなのに、虫はそんなこと全く気にしていなくて、いつも通り生きている。ああ、こんな風に生きられたらって思ったんです」

「自分」の居場所を探すこと。それは國岡さんの言葉を借りれば、自分と向き合わず、周りばかりを見ているような行為だったことに気づきました。
本当の自分は、足元の道に向き合い続けた先に、自然と在るものなのだと。たどり着いたのは、シンプルな答えでした。
混沌として見える曇り空は、決して暗い空ではありません。帰り際に見上げた空の切れ間から、細い光がさす景色は、今日伺った話そのもののようでした。
【写真】吉田周平
もくじ


國岡妙子
千葉県市原市の里山で「くにおかチョコレート」と予約制の食事処「くにおか」を営む。カカオ豆を焙煎し、ひとつひとつ手で殻をむくところから始めるこだわりのチョコレートを作る。2024年、目黒区碑文谷に二号店をオープン。
Instagram:@kunioka_chocolate