【スタッフコラム】ポテトサラダに感じる色気
編集スタッフ 齋藤
ポテトサラダ、というものが、どうにもつかみきれない。そう感じるようになってから、久しく経った。
ポテトサラダのことを、人生のどの地点でわからなくなったのか。それは今まで家庭料理だと思っていたポテトサラダと、居酒屋で出会うようになってからだと思われる。
つぶしたジャガイモをマヨネーズで和えてあるなんていう、子どものために存在しているような料理が、大人の社交場で愛されているという事実。
必要なのは安価な食材だけで、そして誰もが家で作れそうなものを、わざわざお店で頼む。それは二十歳かそこらな上に当時はまだ実家で暮らしていた私にとって、ちょっとミステリアスな光景だった。
「ポテトサラダ」とは、果たして何者なのか。
この居酒屋で食べる「ポテトサラダ」が持つ価値を、しかと感じるようになったのは一人暮らしをはじめてからかもしれない。
その理由は、自分で作るとなると案外めんどうだからだ。
ジャガイモをゆでてつぶして冷ますのもめんどうだけれど、中に入れる具材もやっかいだ。キュウリと玉ねぎを水につけて、次に水を切る。水につけたのに、でも切る。やっかいである。非常にやっかいな工程である。作業としては矛盾している。けれど作用としては矛盾していない。だから省くことができない。やっかいである。
そもそもキュウリの95%は水分なのだから、水が切れるわけがない。はなっから無謀な挑戦なのだ。それでもおいしいポテトサラダを食べるためには、この挑戦に挑まなければならない。
このような調理工程を思い浮かべ、「案外ポテトサラダって作るのたいへんなんだな……母さん……」となる人が、居酒屋でついついポテトサラダを頼む人だと思う。
そう、私がポテトサラダという存在をつかみきれなくなったのは、ポテトサラダに母を代表とする「家庭の思い出」を感じるようになってからだった。
家族で食べているものが、家族で食べていたものになったとき、私にとってポテトサラダはその姿を変えた。
思い出が現実に与える影響はとても大きい。それは世界の見方を変えてしまう。
「このお店のポテトサラダおいしいよ」と誰かにおすすめされた時ものをいざ食べてみたら「あれ、普通だな」と感じたことが何度もある。料理自体が悪いわけではないし、すすめた友人の味覚の問題でもない。そもそも、ポテトサラダとは平凡な食べ物である。それだってのに何かが私にそれ以上を期待させる。
おそらくその正体こそ、「ポテトサラダは最高においしい食べ物だった」という幼い頃の記憶である。思い出はいつも美しいとはよく言ったもので、思い出というフィルター越しのポテトサラダは今やファンタジーと化して私の期待をどんどんとあげている。だから「ここのおいしいよ」と言われた途端に、おそらく現実にはないくらいの代物を想像しているのだと思う。
たとえ居酒屋にあったとしても、ポテトサラダは焼き鳥やもつ煮とは一線を画す家庭の匂いを宿している。存在そのものが、単なる食べ物としてではおさまり切らない何かを感じるように誘発してくる。本来の姿以上を勝手に想像力を掻き立ててくる魅力。
このポテトサラダが宿している魅力を、私は「色気」という言葉で表現したいと思う。ポテトサラダに、私は色気を感じる。
こちらの想像力を誘って、欲を喚起させる姿。メインの料理にはなれず、脇役で居続ける健気さ。そして微妙な立ち位置のくせに、絶対的な存在感。一見単純なつくりなようで、作ってみるとなかなか理想の味にはならない内面の複雑さ。どうにもこうにもつかみきれない、ミステリアスな存在。
考えれば考えるほど、色気を感じる。
まさかこんな日がくるとは、キッチンで出来たばかりのポテトサラダをつまみ食いしていた幼い頃の私は想像できただろうか。
大人になった私はポテトサラダに、妙な色気を感じるようになってしまいました。
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