【金曜エッセイ】だから銭湯が好きだ

文筆家 大平一枝


第五十話:「冷えものでござあい」に見る先人の思いやり


 

 銭湯が好きだ。夜遅くに近所の銭湯に行くと、役者の卵らしき人同士が現場の話をしていて、耳をそばだてたりする。早い時間に行くと、肌のきれいなお年寄りが何人もいて、どうやってお手入れをしているのかと思わず聞きたくなる。

 遠くで救急車のサイレンが鳴ったあるとき、「昔はお風呂でのぼせて倒れる人がいてね」と、ひとしきりおばあさんたちの経験談を聞いた。

 先日は、化粧水を忘れて番台でミニサイズを買おうとしたら、おかみさんが「あたしのでよかったら使って」と、ヘチマコロンを貸してくれた。
 ゆっくりドライヤーで乾かしていると、「もう出たみたいよ」と男風呂から出た夫が外で待っているのを教えてくれる。
 このように、銭湯には名前も知らぬご近所さんたちとの、さりげないたくさんの会話がある。

 赤ん坊の頃からあちこちに連れていかれている長男は、いつしか親以上に銭湯ファンになっており、区の銭湯組合がやっているキャンペーンのスタンプラリーを制覇。毎年1枚オリジナル湯屋Tシャツを手にしている。
 銭湯は家族の大事なレジャーの一つでもあったのだ。

 そんな具合なので、銭湯に関するエッセイや記述がよく目に留まる。森茉莉のエッセイを読んでいたら、すぐ近くの銭湯が行きつけだったとわかり、大変興奮した。その後マンションになってしまったが、好きな随筆家と同じ湯に浸かれたことは、密かに嬉しい思い出になっている。

 ところで、江戸のマナーを綴った本によると、当時の人々は、最初に湯船に浸かるとき、「冷えものでござあい〜」と言ったそう。すでに湯船に入っている人に対して、外から来て体が冷えている者が入ります、ごめんなすってということわりだ。

 今のようにボタン一つで熱湯が出るわけでなし、熱い湯は貴重。自分のせいで湯温が下がってしまうかもしれないことに対する詫びでもある。
 いい言葉だなあと、しみじみ感じ入った。実際は一人入るだけではそう変わるまいが、先人を敬い、後から入る者は礼を尽くすという姿勢は、人付き合いのすべての流儀に通じる。
 日本人らしい気遣いが伝わる、さりげなくて粋なフレーズだ。

 同時に、どうがんばっても今の私達がまねできないコミュニケーション法だなあと思う。持ち出すのは唐突だが、気にそぐわないことがあるとすぐSNSに匿名で書き込んだり苦情を言うこの時代の、対極にある精神性という気がしてならない。

 もちろん私にも冷えものでござあい〜と、見ず知らずの人の前で声高らかに宣言する勇気はてんでない。けれども、「ああ気持ちいいですね。いつも来るんですか」くらいの世間話は、湯船や洗い場で交わす。黙って入って、黙って洗って着替えて帰ったら、銭湯など行く意味がないと言ったら言い過ぎだろうか。

 私は名前も知らないいろんな世代の女性達と、ささやかな世間話をして湯に浸かるあの時間が好きで、家に風呂があるのにわざわざ歩いてゆく。

 そういえば息子は青山の銭湯で、テレビの収録を終えたばかりらしい人気芸人がグループで来ていて、夢のようだったと言っていた。

 裸で湯に浸かれば、有名無名もない。どんどん話しかけろと言ったら、そんなことできねえと一蹴された。それを聞いてふっと思った。
 冷えものでござあい〜という掛け声は、たんに湯温を下げる詫びだけでなく、ひょっとしたら、新入りですがみなさんのお付き合いの輪に入れてもらえませんかというはじめの挨拶だったのかもしれない。

 銭湯は小さな社交場であるという町田忍の文章を思い出す。狭いからこそ、気遣いを怠らない。先人の流儀を過去に葬るのはもったいない。

・・・

本連載は50話を迎えました。いつもたくさんの感想をありがとうございます。
ひとりひとりの声をヒントに、これからも自然体で書き綴っていきたいと考えています。
どうぞ末永くお付き合いのほどを。

 
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文筆家 大平一枝

作家、ライター、エッセイスト。長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』『紙さまの話』(誠文堂新光社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。「東京の台所」(朝日新聞デジタル&w),『そこに定食屋があるかぎり。』(ケイクス)など連載多数。一男(24歳)一女(20歳)の母。

大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com

▼本連載の過去記事はこちら

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