【金曜エッセイ】小さな換気扇
文筆家 大平一枝
第六十四話:建築家のキッチンにて
かつて長く夫がヘビースモーカーだった。家で食事中、ひと息つくと換気扇の下に行ってしまい、話が途切れる。宴会時もそれで客の話の腰を折るようなときがあったので、20年前、コーポラティブハウスという自由設計の集合住宅を建てる時、あえて換気扇をリビングの中央寄りに設置した。
ちゃぶ台のすぐ近くにあるので、たばこを吸いながら会話にも加われる。そんなわけで、我が家はやたらに目立つところに、換気扇がでーんと幅を利かせているのである。
目立つところにあるので、設計時、換気扇のデザインにはこだわった。設計士が新潟市のメーカーで見つけてきたのは、キャメル色の大きなレンジフードで、存在感抜群。
おかげで初めての来客はだいたい、「珍しいデザインの換気扇ですね」と目を丸くする。なかなか、換気扇が最初に話題になる家というのも稀有だろう。気に入っているので、もちろん悪い気はしない。
それから十二、三年後、女性建築家の自邸を取材した。採光と通風に恵まれた、アトリエ付きの大きな二世帯住宅である。
リビングタイニングキッチンは、天井が高く東の天窓から燦々と太陽が降り注ぐ。無垢の自然素材を使った気持ちのいい大空間が広がり、初めて足を踏み入れたときは、わあっとおもわず羨望のため息が漏れた。
キッチンも自身が設計したオリジナルで、動線や間取りはもちろん、隅々まで収納が行き届いている。
ところが見上げると、換気扇だけは驚くほど小さくてシンプルな構造だった。ステンレスの囲いに、四角い小さなファンがついているだけ。わざわざのぞきこまないと、換気扇だと気づかない人もいるだろう。
仕事の住宅設計でも、このオリジナルデザインを採用しているという彼女は、「あれこれ便利な設備が付いたメカニカルなものでなく、シンプルに作っておけばいい。作りが簡単なら、どんな人でも手入れがしやすいでしょ?」と笑った。
よく見ると、ファンの下には油受けがついている。簡単に取り外して洗える。料理のたびにフル稼働する換気扇は汚れやすい。手入れのしやすさは大きな魅力だ。
使う身になって考え抜いたデザインを印象深く思った。
住宅設計は、私のような素人は意匠やデザイン、レイアウトにばかり目がいきがちだが、長い視点に立ち、機能や利便性にこだわることは大変重要である。
家だけではない。
洋服、家電、器、家具、日用品。いろんなことについてもいえる。長く使うとどうなるか。手入れのしやすさは目に見えづらく、地味な利点だが、あとあと暮らしの快適を大きく左右する、じつは大切な見極めポイントだ。
さて、我が家の意匠にこだわり抜いた換気扇はどうか。
数年前、溜まった油を排出しなくなったので修理を頼んだら、すでに製造中止で対応できないとのこと。「出張費もいただくので、あまりおすすめできません」と申し訳無さそうに言われてしまった。特殊な構造のため、他の業者に依頼ができない。
強力な換気で、作動音も大きい。リビングに響くので、換気扇をつけるとき、子どもたちはテレビのボリュームを上げるのが習慣になっていた。
それでも、喫煙者の夫を会話の蚊帳の外にしなくてすんだので、感謝している。今は禁煙しているけれど。
もう大きな買い物をすることはあまりないだろうが、暮らしの道具を選ぶとき、時折あの気負わぬ小さな換気扇のことがちらっと浮かぶ。「こうしたほうが使う人も嬉しいでしょう?」という彼女の笑顔とともに。
文筆家 大平一枝
作家、エッセイスト。長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。『東京の台所』(朝日新聞デジタル&w),『そこに定食屋があるかぎり。』(ケイクス)連載中。一男(24歳)一女(20歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
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