【57577の宝箱】無線LANから放たれる散歩道 自由の中を独りで歩く

小説家 土門蘭

信号が赤になり、横断歩道の前で立ち止まる。

バッグからスマートフォンを手に取り、メールやチャットの通知が来ていないか確認した。いくつか来ていたので、すぐに通知を開く。内容を読み込み、返信すべきものには返信して、返信不要のものにはスタンプを押して、迷惑メールは削除して……

ということをしていたら、隣に立っている男子小学生が目に入った。

野球帽をかぶり、ランドセルを背負っている彼は、小学3年生くらいだろうか。
両腕を地面と水平になるようにして、ゆらゆらと波打つように揺らしている。ハンドウェーブというやつだ。なかなか上手で、左手から右手、右手から左手と、スムーズに波打たせている。
彼は真剣な面持ちで、両目をキラキラさせながら、自分の指先から腕、肘、肩がどう動くのかを見つめていた。練習するというよりは、おもしろいから夢中でやっているという感じ。わたしはその様子を、彼に気づかれないように横目でこっそり観察した。

周りには大人が数名いたけれど、ほとんどの人がスマートフォンに目を落としている。
そんな中で彼ひとりだけが、誰の目も気にせずに自由に身体を動かしていた。

信号が青になり、人々が歩き出そうとする。
それと同時に、彼はぱっと横断歩道の上を走り出した。一番前に躍り出て、すいすいと進んでいく。まるで水槽から海へと放たれた一匹の魚のように、あっという間に向こう側へ着き、街路樹の葉っぱ目掛け、手を伸ばしてジャンプした。

わたしは横断歩道を歩きながら、彼のそんな姿に見とれていた。
手の中でスマートフォンが振動して、わたしを小さな液晶画面の中に呼ぶ。

§

今年の3月、SNSのアプリをスマートフォンから消した。

新型コロナウイルスが流行し始めてからというもの、スマートフォンを眺める時間が急に増えた。感染者数や緊急事態宣言の動向など、コロナに関するニュースを追うようになって、とくに高頻度で更新されるSNSに張り付くようになってしまったのだ。

最初は不安な気持ちから、客観的事実としての情報を仕入れるのが目的だった。
でもいつの間にか、「情報」が持つ刺激の中毒になっていたのだと思う。

情勢が不安定になるにつれ、SNSの中で飛び交う言葉たちが強くなっていることには気づいていた。でもそれが刺激的になればなるほど、ストレスを感じる一方で、快楽のようなものも感じていた。

スクリーンタイムという、1日にどれくらいスマートフォンを見ているかがわかる機能があるのだけど、それで週の平均が4時間を超えているということを知ったときには、声をあげるほど驚いた。「そんなに長時間、この小さな液晶を見つめているのか」と。
4時間と言ったら、映画が2本観られる時間だ。見てもストレスになるだけのSNSよりも、おもしろい映画を観たほうがずっといい。そう頭ではわかっているのに、翌週も、その翌週も4時間を超えてしまう。「これは完全に中毒になっているな」と思った。

それで強硬手段として、 思い切ってSNSアプリを待ち受け画面から消したのだった。

§

その瞬間、ざわざわとした雑踏から路地へと入り、すっと静かになったような気がした。

雑踏が今も存在して、そこでいろんな人が出会い、会話し、さまざまな議論や事件が起こっているのは知っている。でも、そこから自分だけが離脱して、静かな誰もいない道を歩き始めたような感じだった。

「なんだかこの感じ、知っているな」と思った。
少し考えてみて、ふと、子供の頃の帰り道だと思い当たった。友達とふざけ合ったり、おしゃべりしながら歩いていて、ある角に来るとそこで自分だけ「バイバイ」と別れる。その時のあの感じ。

さっきまで一緒にいたみんなが何を話しているのか気になるし、もしかしたら悪口を言われたり、わたしには知らない秘密が共有されているかもしれない。
心細いような、不安なような……その一方で、急にふわっと身軽になったような気がした。

自分だけの帰り道、わたしはよく小さな橋の上で立ち止まって、川が流れるのを眺めていた。キラキラ光る水や藻や石は、いつまで見ても見飽きない。それを思う存分に眺めていると、少しずつ自分の心が落ち着いて整っていくのを感じた。

ひとりだって大丈夫かも。
1日の終わりにそう思えることが、わたしにはとても大事なことだった。

§

今も、SNSのアプリは消したままだ。
SNSは今も続けているけれど、パソコンを開いた時に見るくらい。スマートフォンのスクリーンタイムは当時の半分くらいに減り、浮いた2時間は映画や読書に充てられるようになって、わたしはいろんな作品に出会った。
その感想も、以前はすぐにSNSに投稿しようとしていたけれど、今は自分の中だけに留めている。ひとりで出会い、ひとりで感じ、ひとりで考える時間が、こんなにも静かで豊かなものだったのだということを、改めて思い出しながら。

街を歩いているときに、ふと、あの小学生男子のことを思い出すことがある。
彼はあの時、誰ともつながっていなかった。
至るところに張り巡らされている無線LANのどこにもつながらず、まるで網の目の中をくぐり抜ける小魚みたいに、自由気ままに街の中を泳いでいた。

彼のことを思い出すとき、わたしはバッグの中のスマートフォンを意識する。
肌身離さず持ち歩いているこの小さな受信機は、わたしをどこでも誰とでもつなげてくれるけれど、ここではないどこかに自分をつなぎ止める杭のように、ときどき見える。

わたしも彼みたいに、街を自由に泳ぐことができたら……。

スマートフォンを置いて出かけることは、不安だし心細いかもしれない。
けれど、それと引き換えに得る身軽さを、今のわたしは少しだけ知っている。

 

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 

1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 


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