【金曜エッセイ】失敗を責めるのではなく「許す」ということ
文筆家 大平一枝
第七十話:ミスを許す、粋な言葉
飲食店で働く知り合いから、こんな話を聞いた。
ビストロで、同業の友達と食事をしていた。ところが相手が誤ってワイングラスを割ってしまう。備品の損失が店にとってどれだけ痛手か身にしみている彼らは、すかさず平謝りをし、「弁償させてください」と申し出た。
店主はニコっと笑って、答えた。
「あ、それちょうど捨てるとこだったから」
「いいですよ」でも、「気にしないで」でもなく、ジョークで返されて本当にしびれましたと、彼は眩しい表情で教えてくれた。「気にしないで」と言われても割ったほうはひきずるし、気づまりなものだ。
ふたりは、店を出たあと「自分が逆の立場に遭遇したら、次は絶対ああ言おうな」と誓いあったらしい。
弁償を求めないのももちろんだが、その後の食事が気まずいものにならないようにという店主の気持ちが伝わってくるところがまた素敵だなと思う。
器といえば、私には苦い思い出がいくつもある。粗忽なので、幼い頃からよく割った。注意力散漫が大きな要因だが、先天性の病気で左目にほとんど視力がない。そのため器の左側に隙間や危険物があっても気づかず、ガシャンとやってしまうのだ。
器道楽の母に、そのたびひどく叱られた。いわく、どうしておまえは毎回そんなに注意力がないのか、うっかりにもほどがある、と。視力のせいで左に置くときによく割れると自分で気づいたのは、おとなになってからなので母の小言もやむを得ない。
ただ、どんなに気をつけても割ってしまうので、世の中にはがんばってもどうにもならないことがあると思った。だから少なくとも自分が親になったら、故意でない器の粗相だけは叱らないようにしようと心に決めていた。もうひとつ、自分が親に言ってもらいたかった一言を、必ず先に言おうと思った。それは「大丈夫? 怪我はない?」である。
果たして二児の母になった。
子どもたちは視力に支障がないので、あのときの私ほどは割らない。けれど、そういうことがあったとき私は必ず最初に「大丈夫?」と聞くのが癖になった。
娘が四歳ごろのこと。ある日、台所で私が皿を割ってしまった。部屋で遊んでいた娘はすかさずこう叫び、駆け寄った。
「ママ、大丈夫? 怪我しなかった?」
思わず、涙がこぼれそうになった。
雑で、忙しくて、十分かまってやれていない私の子育ては、三歩進んで二歩下るの連続だったけれど、失敗を責めるのではなく、まず相手を気遣う人になってほしい。その願いはどうにか伝わっているのかもしれないな……。小さな自信が芽生えた瞬間である。
だからといっていま、他人のミスをすべておおらかに受け入れられるほど、我が子も私もまだまだ成長しきれていない。器の対応は、あらゆる場面で応用できるはずだ。
ビストロでの粋な話を聞いて、そんな忘れかけていた記憶のかけらがよみがえった。店主に、私からもお礼を言いたくなる。
文筆家 大平一枝
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。『東京の台所』(朝日新聞デジタル&w),『そこに定食屋があるかぎり。』(ケイクス)連載中。一男(24歳)一女(20歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
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