【レシート、拝見】酸いも甘いも分け合いながら

ライター 藤沢あかり


亀井智紗子さんの
レシート拝見


 

東京・三鷹。住宅街に広がる畑には、まさに最盛期を迎えたぶどうと、これから収穫を待つキウイがたわわに実っていた。この地で代々続く大野農園。毎週日曜日の直売を中心に、地域の人たちに季節の味を届けている。

大野家に生まれた亀井智紗子(かめい・ちさこ)さんは、夫と14歳の娘と暮らしながら、家族で果樹の世話や販売に携わっている。

畑の一角に建つ一軒家は、夫と友人が設計したものだ。明るいリビングからは、畑が一望できる。ここを子育てサロンとして開放していたこともあり、一時は赤ちゃん連れの親子でにぎわっていたらしい。

見せてもらったレシートは、好物の焼き芋やむき栗、合唱サークルの前に立ち寄ったカフェ、ドラッグストアで洗濯洗剤、急に背が伸びた娘に買った自転車。そのなかに、ファストフードの1枚があった。

「土曜日の夜です。ぶどうの販売の前日で、夕方にはもうヘロヘロになっちゃって。作る気力もないし、みなさん食べたいものをなんでもどうぞ、っていったら『ケンタッキー!』って。娘も好きなんですよね。だからチキンがいっぱい入ったのを選んで、あとはそれぞれが好きなものを。買いに行く元気もなくて、デリバリーしてもらいました」

ところで、「ヘロヘロ」になるほどのぶどうの作業とは、どんな感じなのだろう。

「ぶどうを摘み取って、そこからハサミでカットするのが大変なんです。きれいな房のまま出せるものもありますが、一部だけ鳥がつついたり、悪くなっちゃったものもたくさん。それをカットして詰め合わせにしています。もう延々、みんなでチョキチョキ、チョキチョキ」

隣から、夫の「もう鬼のようだよね」という合いの手が入る。しかしその表情は、とにかく楽しげだ。

「普通、ぶどう農家さんはネットをかけますが、うちは、かけていないんですよ。実に袋掛けはしてありますが、鳥もかしこいからうまく突いていくんですよね。

でもまぁ、ちょっとくらい鳥にあげてもいいやと思ってやっています。父が年齢的にネットをしっかりかけるのが大変だというのもありますが、鳥がいっぱい来てくれたら、それはそれでうれしいですしね。

父の一番の目的は、この景色を維持して残していくこと。近くの人においしく食べてもらえたら、それが一番。遠くに出荷もしないので、ギリギリまで樹上で甘くさせられます。こうしてのんびりとやっていけるのは、兼業農家だからというのもあるんです」

 

智紗子さんの父は、医師である。平日は山梨の大学病院で研究に明け暮れ、金曜の夜に三鷹に戻り畑仕事をし、月曜の朝にまた山梨へ戻る。そんな暮らしを30年以上続けてきた。いまは同じ敷地内に暮らしながら、平日は長年の夢でもあった町医者として、精力的に地域をまわっている。

「父は、とにかくパワフルな人。こうと決めたらやり通すし、夢中になったらまわりが見えなくなるタイプなんです」

医師と農家、どちらも全力でこなす父は、子どもたちにも厳しかったという。

「兄と二人の弟、4人きょうだいで、わたし以外みんな医者なんですよ。ね、ちょっとびっくりしちゃうでしょう?」

医師になる勉強をしておけば苦労をせずに済むし、潰しがきく。それは経験からの親心だったに違いない。

しかし、彼女にはそれが重荷でもあった。

「週末、父が家に帰ってくると勉強、勉強。兄と弟たちは期待に応えていましたが、わたしは全然ついていけなかったんです。がんばっているつもりでも、父にとっては努力不足に見えちゃうんでしょうね。『努力、根性、忍耐』という父の横で、母はいつも忙しくて余裕がなさそうで、わたしはそんな母の顔色をうかがってばかりいました」

努力や忍耐といった根性論は、相対的には測れない。

「歌が好きだったので音楽を志すようになりましたが、厳しいレッスンを受けるうちに、向いていないかもと思い始めていたんですよね。でも両親が『音大受験ならグランドピアノを』と、早々に準備して。もう言い出せなくなっちゃったんです」

その後は音大に進むも、音楽とは別の仕事に就職し、結婚。初めての育児に気合いを入れてがんばり過ぎるうち、プツンと糸が切れてしまったという。智紗子さんは実家の近くに戻り、畑の仕事を手伝ううちに少しずつ元気な心を取り戻していった。

 

「子育てサロンを開いたのも、産後の辛かった経験を生かし、人の役に立たなくちゃと思い込んでいたんです。精力的なタイプじゃないのに、そこでもがんばりすぎちゃったのかな。努力、根性、忍耐が染み込んでいたんでしょうね。いまは、キウイを自立支援の施設に送ることで、誰かの役に立てたらと思っています」

人と直接関わり合うことだけが支援ではない。大野農園の完熟キウイは、施設で取り組むジャム作りにぴったりだと喜ばれているらしい。

わたしのしあわせってなんだろう。智紗子さんは悶々と考え続けた。しあわせの形も価値観も、それぞれ違っている。違っていていいのだ。そう気がついたのは、40歳を過ぎてからだった。

「父が言うように『がんばればなんでもできる、できないのは努力不足』だと思っていたけれど、違ったんです。自分が父のように完璧になんでもできる人間じゃないと気づいたときはショックでしたが、同時にすごく楽になれました」

少しずつ自分にかけていた呪いを解いていく。そうして、できないことはできない、と父に言えるようになったのは、つい2年ほど前のことだ。

「もう、できないよー!って、泣きながら収穫中の梅の実を地面に叩きつけちゃいました。父は、もうびっくり。でも、『そうだったのか』って言ってくれたんです。いままでは『できない』ということがあるなんて考えもしなかったんでしょうね。父も年齢を重ねて思ったようにできないことが増えて、見える景色が変わってきたのかもしれません」

智紗子さんは最近、また音楽を始めた。グランドピアノよりもずっと小さく、軽やかな音色が自分にぴったりだというウクレレだ。

「自分の魂を癒すために弾いています。ウクレレを抱えるのって、赤ちゃんを抱っこしているみたいな感覚なんですよ」

 

 

これから最盛期を迎えるというキウイ畑をみんなで歩いた。キウイは、ときどき2個がくっついて巨大でいびつな形をしていたり、小さなコブをくっつけていたりしていたりする。

おいしそうだなぁと眺めていると、智紗子さんが言った。
「でも娘は食べられないんですよ、キウイアレルギーで。味見をしている横で、どんな味?って聞いてくるんです。甘くてちょっと酸っぱくてね、って一生懸命伝えるんですけどね」

食べたくても食べられないものがある。わたしが好きなものを、あなたも好きだとは限らない。だからこそ、その味を一方は伝えて、もう一方は想像する。必要なのは完全に分かり合う着地点ではなく、わかり合いたいと願い、知ろうとするプロセスではないか。

彼女が何十年かかってでも、タイプの違う父親に「できない」と伝えることが必要だったように。きっとそれは面倒でやっかいで、難しい。けれどその過程こそが、なにより愛おしい人間らしさだとわたしは思うのだ。

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亀井智紗子(かめい・ちさこ)

東京三鷹市の果樹園「大野農園」で、家族と共に畑に従事。キウイフルーツを中心に、ブドウ、栗、柿、梅などを栽培し、毎週日曜日の直売で地域に届けている。趣味はウクレレと歌うこと。https://ohnomitaka.amebaownd.com

ライター 藤沢あかり

編集者、ライター。衣食住を中心に、暮らしに根ざした取材やインタビューの編集・執筆を手がける。「わかりやすい言葉で、わたしにしか書けない視点を伝えること」がモットー。趣味は手紙を書くこと。

写真家 長田朋子

北海道生まれ。多摩美術大学卒業。スタジオ勤務を経て、村田昇氏に師事。2009年に独立。


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