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【連載｜ひとはパンのみにて】第十回：あたたかくて甘い香りが満ちる

みなさんこんにちは。安達茉莉子と申します。自他ともに認めるお買い物好きの私ですが、このたび買い物にまつわるエッセイの連載が始まることになりました。私は買い物とは、「出合うこと」だと思っています。みなさんの日々に、良き出合いがありますように。

安達茉莉子

第十回　あたたかくて甘い香りが満ちる

　日が暮れるのが早くなった。店頭には柿やかぼちゃ、梨にりんごがごろごろと並ぶ。買い物袋はいつもより重く、黄色や紅に色づいた山と、抜けるように青い空のコントラストを眺めて家路につく。透明に染まる夕暮れ空も一瞬だ。時計を見ると、暗くてもまだ6時前。ちかちかと鋭く光る星が散らばっている。

　秋だ。秋がやってきた。あまりに一瞬で去っていく、一年で一番大好きな季節。意気揚々とスーパーに行った。家について、テーブルにどさっと置いた買い物袋に入っているのは、強力粉、イースト、シナモン、クリームチーズ。八百屋で買ったりんごもある。これでりんごをまぶしたシナモンロールを作るのだ。

　作ったことのないものを作ってみる時の買い出しって、なんて高揚感があるのだろう。きび砂糖やバターは既に家にある。家にあるものでまかなえることにも、ほのかな悦びがある。

　インスタグラムで海外のインテリアやライフスタイルアカウントをフォローしてよく見ているからか、秋になった瞬間、パンプキンラテを作る動画や、秋の訪れを喜ぶ動画がたくさん流れてくるようになった。自宅周辺の山の色づきに気づくよりも先に、アルゴリズムで秋を知るとは。

　ひとつ見てしまったが最後、延々とシナモンロールを作る動画が流れてくる。世の中の人は皆シナモンロールを焼いているのか、と錯覚しそうなほどだ。美味しそうだなあと見ているうちに、ふと思い至った。これ、誰でも、というか、私でもやろうと思えば作れるのでは？　と。

　シナモンロールは要はパンなので、発酵が必要になる。クロワッサンのように、手間がかかりそうでお店で買ってくるものという、ちょっとハードルが高いイメージだった。だけど、ここに延々と流れてくる動画を作っている人たちも、同じ人間。同じような台所を使っている。そもそもどんな料理だって、普通に家庭料理として作ることができる。ってことは、私にだって作れるはず。手順さえ踏めば。

　そこからレシピを検索し、自分のイメージや感覚にしっくりくるものを探した。DIYで本棚を作った時も、こんな感じだった。買うという選択肢しかないと思っていた何かを、自分の家で作れると気づいた時の、広がる余地に気が付く解放感。

　作ってみると、やろうと思えば誰でも作れるのではという思いつきは、見事に証明されていった。一番の難所（？）と思われていた発酵も、オーブンの発酵機能を使えばなんてことはない。とはいえ、発酵を待っている間、ダイニングテーブルで原稿を書いていたが、そわそわして何度もオーブンを覗きに立ってしまった。それもまた良い時間だ。

　発酵した生地を伸ばして、柔らかくしたバターとシナモン（なんとほぼひと瓶！）と砂糖を混ぜたフィリングを広げる。細かく刻んだりんごをばらっ！　と一面にばらまくと、満点の星空のようだ。甘い匂いがする夜空。

　生地をもってくるくる丸め、糸でぶつんと切って、ひとつひとつ天板に乗せる。なんとも絵になる食べ物だ。さらに発酵させ、みっちりと詰まった天板を、予熱したオーブンに入れて、あとは焼き上がりを待つだけ。

　その間もやっぱり何度もオーブンを覗きこんだ。家にあってよかったもののひとつにオーブンがある。そんなに高価なものではない、オーブン付きのレンジだが、オーブンがある生活とそうでない生活では別のパラレルワールドに分岐するくらい日々の生活が変わる。

　単純にできる料理が増えたり、便利になるのもあるけれど、この「オーブンを覗きこむ時間」が与えられる。柔らかく熱を帯びた、オレンジ色の照明が灯った庫内を眺めている間の、日常に訪れる何気ない詩情。

　やがて部屋には甘いシナモンの匂いが満ちてきた。黄金色に焼き上がったシナモンロールは完璧で、自分でもやっぱり作れるんだとちょっと驚いた。ブラックコーヒーをなみなみとマグカップに注いで、フロスティングを乗せて、熱々の状態で食べる。参考にしたレシピを作った人と、言葉ではないおしゃべりをしているような気持ちになる。その日の夜は、部屋に小麦粉の匂いがしていた。

東京外国語大学英語専攻卒業、防衛省勤務、篠山の限界集落での生活、イギリスの大学院留学などを経て、言葉と絵を用いた作品の制作・発表を始める。『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』（三輪舎）、『毛布 – あなたをくるんでくれるもの』（玄光社）、『世界に放りこまれた』（ignition gallery）、『らせんの日々 ― 作家、福祉に出会う』（ぼくみん出版会）などの著書がある。10月21日、新刊『とりあえず話そう、お悩み相談の森解決しようとしないで対話をひらく』（エムディエヌコーポレーション）発売。

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