
つながりが過剰になりやすい時代。「自分と他者との境界線」をうまく引くことが大事とよく見聞きします。その境界線を自分はうまく引けているのか、ときに不安になることも。
そんなとき、「つながりを断ち切れば自由になれるというわけではない。人とのつながりなしに自由はありえない。だいじなことは、『つながりにとらわれないこと』だ」というある本に書かれた言葉が目にとまりました。
この特集では、「風をとおすレッスン」の著者・田中真知さんにお会いし、現代を生きる自分と他者との距離感について、お話を伺いました。前後編でお届けしています。
「人と人とのあいだ」について、考えてみようと
▲「10代以上すべての人のための人文書」として創元社から刊行されているシリーズ「あいだで考える」。
短めの章立てで読みやすく、可愛らしい装丁も魅力的なシリーズですが、さまざまな分野の当事者や専門家の方が執筆し、既存の価値観にとらわれない新しい価値観や考えを知るきっかけとなるようなテーマが取り上げられています
アフリカや中東諸国を旅しながら取材し、1990年からは8年にわたってエジプトに滞在。旅にまつわる著作を多く出されてきた中で、2023年に人と人とのコミュニケーションをテーマにした一冊「風をとおすレッスン」を出版された田中さん。どんな思いから、この本を執筆されたのでしょうか。
田中さん:
「信頼している編集者の方が『あいだで考える』シリーズで一冊書きませんか?と声をかけてくれたんです。それで私は海外で人と接することが多かったこともあり、人と人とのあいだ = 距離感について書いてみようと。
たとえばエジプトでは、人と人との距離感がすごく近いんですよ。圧迫感を感じるほど近い距離で会話をする。けんかしていると通りすがりの見知らぬ人たちが集まってきて仲裁に入り、みんなで議論になることもある。
子育てにおいては非常に寛容で、夜中に子どもたちが騒いでも、ピアノを弾いていても、誰も気にしない。目の前に子どもがいれば、街ゆく人がみんな笑ってあやしてくれる優しさがある。少々乱暴な一面があったり、子どもたちも生意気で憎たらしかったりもするのですが、人々の表情は生き生きしているんですよ。そんなゆるくて寛容な雰囲気は、移住者である私たち自身にとっても居心地がよかったんです」

田中さん:
「息子の小学校入学のタイミングで日本へ帰国したのですが、エジプトのコミュニケーション文化の中で育ち、元々じっとしていられない性格だった彼は、はじめ日本の教育環境や人との付き合い方に慣れず苦労しました。ちょっと変じゃない?と先生やまわりの大人に問題視されるようになって。帰国後の生活をものすごく楽しみにしていたので、落ち込んでしまって。
人と人との距離感や、コミュニケーションの仕方は、国や文化によって大きく異なるものです。ただ、『空気を読め』『人に迷惑をかけるな』など、日本で当たり前とされているコミュニケーションの掟には矛盾するものも多く、そこに息苦しさを感じている人も多くいるのではないかと思ったんです。この本は、そんな息苦しさを感じたとき、側で寄り添うものになったらいいなという思いで書きました」
「期待しない」というのは、諦めることではありません

私たちが人間関係に息苦しさを感じるとき、「期待しすぎる」コミュニケーションに原因があると、田中さんはこのように綴っています。
ー 人間関係にまつわる多くの苦しみは過剰な期待が根っこにある。「こんな人だと思わなかった」とか「こんなことをするなんて」「こんなはずじゃなかった」といったせりふも、いずれも期待が外れたことに対する怒りや悲しみの表現だ。
ー 人と人がかかわるうえで、相手に対する期待をまったくなくすことはできない。しかし、ときに期待が苦しみを生むほど過剰になってしまうのはなぜだろうか。
『風をとおすレッスン』より
田中さん:
「人が社会で生きていくうえで、期待するコミュニケーションは欠かせません。相手の期待を察し、こちらの期待を相手に伝える。それによって共同作業や協力が可能になり、私たちの社会は維持されています。
私たちって、自分のしたいことより、まわりが期待することをするほうがよいことだ、という思いがありますよね。自分のしたいことをすると、『わがままだと思われないか』『嫌われやしないか』と心配になり、期待に応えられないと、自分を責めたりもする。それは、過酷な世界を生きのびるために祖先から受け継いだ自然な反応でもあるんです。
ただ『これがないと成り立たない』『こうすべきだ』と自分や相手を縛りすぎてしまったり、期待が満たされたときだけはじめて相手を承認するという関係がつくられると、それは“呪い”になってしまう」

田中さん:
「一方、『こんな風になったらいいけれど、まぁそうならなくてもいいよ』と結果を自然に委ねるというのが期待しないコミュニケーション。これは、闇に向かって球を放りつづけるようなもので、その球を相手が、いつ受けとってくれるかわからない不安もつきまといます。でも期待しないというのは、諦めることとは違います。
精神科医の神田橋條治さんは、「祈り」とは”人事を尽くして天命を待つ”ことではなく、”天命を信じて人事を尽くす” ことだとおっしゃっています。たとえこの場で望む結果が出なくても、物語や世界は続いていく。第一章の終わりが悲劇でも、それはひとりの一生に収まりきらない物語として、第二章、第三章へと展開して、長い目で見れば、思いもよらない豊かな実を結ぶこともあるかもしれない。そう信じること。精神論のように聞こえるかもしれませんが、私はとても大事なことだと思うんです」
必要なのは、思いもよらないことに折り合いをつけていく力
▲田中さんの著書の一部。古今東西の『美しい』の価値について綴った「美しいをさがす旅にでよう」(白水社)、旅や人生の出会いと別れを描いたエッセイ「旅立つには最高の日」(三省堂)
田中さん:
「いろんな国を旅してさまざまな出会いがありましたが、世の中は思いもよらないことに満ちています。こうした方がいい、ああした方がいい、といった知恵やルールは溢れているけれど、それをすべて守ったからといって、人生がうまくいくわけじゃない。
科学や医療は不確実なものをコントロールしようと発展してきて、現代の私たちはそのことにすっかり慣れています。でも、未来がコントロールされるべきだという考え方には、コントロールできないのは自分の責任だという強迫観念もひそんでいるので、気をつけなくてはいけません。世界も身体も、本当は思いどおりにならないことばかりなのに、それはおまえのせいだと責めたてられたら、生きることは悲劇でしかなくなってしまう。
私たちがともに生きるためにいちばん必要なのは、どうしようもない偶然を否定したり、ねじ伏せたりする力ではなく、折り合いをつけていく力なんじゃないかと思うんです」
田中さん:
「システムエンジニアの友人が教えてくれたんですが、IT用語で、“密結合” と“疎結合”というプログラムの状態を指す言葉があるそうなんです。密結合は、システムの構成要素を強く結びつける方法で、処理速度は速いですが、ひとつでも要素が壊れると動かなくなってしまう。 疎結合は、構成要素の結びつきは弱く、その分処理速度は劣りますが、一部の要素にトラブルがあっても、ほかの要素がその代わりを果たす。変化に強く、アップデートにも適しているのだとか。
話を聞いた時、この考え方は生き方や人とのコミュニケーションにおいても同じだと思ったんです。目的をどこか遠い将来に置いて、いろんな要素を密につなぎ合わせ、『あなたがいないとダメ』とか『こうじゃなくちゃダメ』とお互いを縛りつけるよりも、なによりも今この瞬間を大事にして、ほかのものが役割を補えるゆるやかな関係のほうが、いろんな要素も入ってきやすいし、たとえ思いもよらないことがあっても、『こんなこともあるよね』とうまく折り合いをつけていけるのではないかと。
振り返ると、私がしてきた旅もまさにそうでした。目的地への到着よりも、その『過程』に思いもよらない楽しさを見出していく。そんな考え方が、自分とだれかのあいだ、また自分自身の中に風をとおすヒントになってくれたらうれしいなと思います」
今回のインタビューを終えるまで、自他の境界線をうまく引けないと不安になるとき、それは自身が曖昧でしっかりしていないからだと、自分のこと、正直にいうと同時に他者のことも、心のどこかで責めてしまう気持ちがあったように思います。
でもじつは、私というのは、これまでの他者との出会いから生まれた複数の「小さな私」の集まりであり、つねに変化し続ける、むしろとても曖昧なもの。そのことを、そのまま認めることこそが大切なんだと、お話を伺いながら思いました。
同じように変化し続ける他者には、過剰な期待ではなく、ゆるやかな信頼を寄せていたい。つながりのあいだには、強くてわかりやすい線を引くのではなく、すーっと風をとおすような軽やかな心持ちでいられれば、私たちはもっと自由に、他者と関わっていけるのかもしれない。そんな希望を持てた取材でした。
【写真】神ノ川智早
もくじ
田中 真知
1960年生まれ。作家、立教大学観光研究所研究員、元立教大学講師。エジプトに8年にわたって滞在し、中東・アフリカを旅して回るなかで、コミュニケーションや対話について考えるように。著書に「旅立つには最高の日」(三省堂)、「美しいをさがす旅にでよう」(白水社)、「孤独な鳥はやさしくうたう」(旅行人)、「増補 へんな毒 すごい毒」(ちくま文庫)ほか多数。「たまたまザイール、またコンゴ」(偕成社)で第1回斎藤茂太賞特別賞を受賞。あひるとかっぱの人形とともに旅をするあひる商会CEOも務める。
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